三十.貝なしと(4)
丘を登って少し引き返す。小川が流れた心地よい木陰を見つけて座る。松の木かな。
時間があるなら試してみたいことがある。俺は機械とか自分でいじってみたいタイプだから、気になっているんだよな。――体内コンピューターってやつが。
以前美月の言っていた、デジタルノートを出現させて、デジタルのペンで文字を書いてみる。手触りは本物そのままだ。でも、視界から消すと何もなくなる。――楽しい。ノート以外も出せる物があるのかな。持ち運びに便利な物とか……。
「――ん?」
……視線を感じる。目線を上げると、背の高い女性が一人佇んでいた。ランニングウェアにショートパンツ。黒いキャップにサングラスを掛けていた。不審者!
まさか、俺が過去から来たことを知っている敵対者か? そいつは一歩一歩こちらへ歩み寄って来た。そして五メートルくらいの距離で気付く。俺は、それが誰か察知した。
「ユリか、お前」
「楽しそうね、オモチャを与えられた子供みたい。フフ」
……あ? ユリが朗らかに笑った? ユリは帽子を取る。中からピンクのポニーテールが飛び出す。帽子はそのまま手の中で消えてしまった。そういう使い方もあるのか。
「初めましてになるのかな。アララギくん」
俺は「相田」だ。アララギはミヨだろ。
「あ、そうだ! うっかり。ごめんなさい」
やっぱりキャラが違う……? いや確か、寝台列車で助けてもらったときと、公園で鬼ごっこをしたときのユリもこんな風に優しかった記憶がある。でも、今のユリはそれよりも明らかに性格が改善している。あの冷徹ドSお姉さまの面影も無い。
機嫌がいいのか? だが前回会ったのは、俺がブッ倒して弾丸を撃ち込んでやったあの時だ。機嫌がいいわけがない。もしかして体内コンピューター停止弾のせいで、おかしくなっちゃったのか。
「ごめん、ユリ。調子悪いか? あのときは頭に血が上っただけだ。その、後遺症とか色々あるんだとしたら謝罪する」
「え、ああ。あのときのことね。確かにユリちゃんは……」
ユリは顎に手を当てて思惟した。しばらく考えて口を開ける。
「まあ、わたしはユリという人格に潜む、〈良心〉の側面みたいなものよ。普段のわたしとは違うの、シュータくん」
え、人格が分裂してしまったのか。本気で言ってる……? マズいことしちまったな。
「そ、そんなことないわ。人格が分裂しちゃうなんて、皆よくあることだから(?)」
しかも錯乱している……? ユリは座っている俺の目の前に身を乗り出した。近いって。
「とにかく、わたしは一日に一時間くらい? 現れるユリちゃんの〈いい子〉の側面なんです。これは決して病気とか障害とかじゃなくて、あとで治るものなのよ。コンピューターの気の迷いというか、不具合! そう不具合なのです」
「一人称は『ユリちゃん』なのか……?」
大人の女性が痛々しい。俺は苦笑いしかできなかった。
「ユリちゃんは、二十代です。乙女の年齢を多く見積もるなんて最低ですよ」
本格的にキャラが違ってきた。マジでいつものユリじゃないようだ。
「と、ところでさ、お前は何をしに来たんだよ。まさか俺を捜して――」
ユリは人差し指を振った。
「ノンノン。わたしは、シュータくんたちと話をするために来たの」
微妙に仕草と言動が古い……。いや、未来人だから一周回って新しいのか。
「俺がここにいるって知っていたのか?」
「ルナがおうちに帰って来たから、わたしが独自で伊部くんのアジトを調査したんです」
美月は無事おうちにたどり着けたらしい。ところで「伊部くん」とは。
「え、何が?」
「お前、伊部のこと『ゴミ眼鏡』って呼んでなかったか」
「え、ユリちゃん辛辣……」
自分の発言に自分で驚いているあたり、二重人格者っぽさがあるな。
「アジトの場所は、わたしとルリちゃんしか知らないから安心して」
「何に安心すればいい。要するに、お前は美月奪還を目論む俺たちを阻害しに来たんだろ?」
こうして友好的に話していたって、結局こいつは中道から敵方につくことを決めた科学者なのだ。美月に「わがままを言うな」と一喝した、リアリストだ。
「ううん、言ったでしょ。わたしはユリちゃんの〈良心〉。考え方は違う」
それをどうやって証拠づけてくれるっていうんだ。すると、ユリは隣に腰掛けた。俺の頭を無造作に撫でる。は、はあ? なに姉貴ムーブをかましてくれるんだ。
「ユリちゃんは、今眠っているのよ。向こうのコロニーは、現在深夜」
そうなのか。ってか、時差があるのは当然だ。別の惑星なのだから。
「そう、惑星の大きさも恒星……地球にとっては太陽のことね? その位置も自転・公転のスピードも違う。向こうが一日三十六時間くらいで、こっちは十九時間くらい。ちなみにここら辺は確か、夏季で白夜よ。暗くならないから気を付けて」
なるほどね。一日の長さも、日の短さも違うのか。ここが地球じゃないことを改めて思い出したよ。で、そっちは夜中に体を乗っ取って抜け出して来たのか。
「そ、ユリちゃんの寝ている隙にコッソリ。だから長居はできないし、眠りから覚醒してしまうから一時間が限度かな。用事は手短に済ませたいと思ってる」
う、うん。まあせっかく来てくれたんだし、〈良心〉らしいし、話を聞くだけでもしてやろうじゃん。こうして話すぶんには害はなさそうだ。ユリはウインクをして微笑んだ。気味悪い……。
「なら、場所を変えましょう。カフェに入らない?」
俺はユリに連れられて、近くにあるカフェへ。労働と資本がないのに店があるのか。




