三十.貝なしと(2)
俺たち三人と伊部で、リビングに車座を囲む。やけに広い家だなと思ったが、別に金持ちとかそういうわけじゃないんだよな。金それ自体が無いわけだから。無償でこんな広い家を一人で借りられるのだ。なんか、これだけでも羨ましい。
伊部は皆の分のコーヒーを運んで来て座った。一分で美味しいコーヒーを四杯作れることくらいには、いちいち驚いていられない。
「え、ここ貸し家なの?」ミヨが訊く。
「俺とルナのアジトだよ。ラボがあるコロニーとは別の惑星にある。向こうは学生街があって、華やかな場所や人の集まる所が多いから、のどかな生活区域が広がるコロニーを隠れ蓑に拠点を築いたんだ。家は条件にもよるけど、成人の名義なら数軒借りられる。財産として保有はできない。ちなみにこの場所は、他にルリしか知らない」
土地が広いのはそういう風にコロニーが無数にあるからだろうな。移動の不便が無いんじゃ、どこに家があっても同じだろうし。確か、惑星間移動だって一瞬で出来るんだもんな。
「ま、とりあえず作戦会議だ。まずはコーヒーでも飲め」
俺はカップを手に取って、一口味わってみた。――ん。
「これは、美味しいのか? 酸味がある」
不味くはない。感動するほど美味しいとも思わないけれど。不思議な味だ。
「そう? けっこう、美味しいと思うわ」
ミヨが上品にカップを置いた。まあ、俺も不味くないとは思うって。
「味覚の問題っすね」
ノエルが優雅に香りを嗜んで口を付ける。再三指摘しておくが、カッコつけるな。
「ほら、高級フレンチを食べても、庶民はさほど美味しく感じないと言うでしょう? ああいう店は、甘み、苦み、辛味、酸味、塩味、旨味……そういった様々な味覚を刺激して楽しめるよう、味が設計されているんです。いつも人工甘味料と、油と脂質と、濃い調味料で味付けされたものばかり食べている庶民の口には、そういった繊細な味を楽しむ教養が無いんです。きっと、平安時代の人間が俺たちの食事を口にしても、味がわからないと思いますよ。今ほど味の種類を知らないのだから」
講釈を垂れてくれてありがとう。俺が味の繊細さがわからない庶民の舌を持っていることがよくわかったよ。伊部、話を進めろ。
「お、おう。俺としてはまず、ルナがどこでどういう状況下にいるのか確認を取る。こっちの時代はプライバシーとかセキュリティが厳戒だから、すんなり解析できるかは不透明だ。一日、二日は覚悟しておいてくれ」
そんなに掛かるものなのか。まあ、美月はお父さんの元に帰ったのだ。差し迫った危機にあるとは思えない。数日の間なら構わない。ノエルも首肯。
「もし連絡が取れたり、すんなり俺たちと会えたりすれば、それでいいわけですし」
「ただ、問題はルナが外出を禁じられたり、俺やシュータたちとの接触禁止令を出されたりするような場合だな」
伊部が腕を組む。もちろん、そうなれば俺たちで乗り込んででも連れ帰らなくちゃいけない。そのために来たんだ。
「ええ、そのときは私も身分を明かして、美月を弁護しに向かうわ」
「問題その二としては、あっちには磯上とユリがいるってことだな」
そこは伊部、何とか援助してくれないのか。ノエルは肉弾戦なら互角にやり合える。ほら、体内コンピューターってのがあったろ? あれなら俺だってさ――
「いいや、ユリ製の〈身体強化〉ならやらない!」
「なんでだ」
伊部は恨めしそうに見つめる俺から目を逸らし、溜息を吐いた。
「体内コンピューターはお前らに与えようと思っている。そうじゃないと、こっちで日常生活すら送れないからな。あれは身分証やパスポートみたいなもんだ。でも、身体機能の拡張は、こっちだって身体機能が低下した人間なんかにしか許されていない特権だ。要するに、麻薬なんだよ。上手く使えば薬だが、下手すると人体を壊す」
だけど、ノエルはともかく俺は生身じゃ戦えっこないぞ。
「だから、今回は戦わない。暴力でもって向こうがやって来たら、撤退しろ。どっちにしたって、暴力はこの世界のルール違反だ」
伊部のその発言には、流石にミヨも固まった。もし無理に美月を連れ戻そうとすれば、きっと戦闘になる。上手くいく見込みは薄い。
「いいや、そんなことは無いです。俺がいます」
ノエルが俺とミヨに対して堂々宣言した。
「暴力から逃げるなら、美月先輩を連れて撤退すればいい。俺の瞬間移動があれば瞬時に逃亡できるっすから」
なるほどな。伊部も大きく頷いている。最初からトンズラするつもりで行けってことだな。ミヨもそれでいいな?
「でも、もし美月の解決案が却下されて、もう一度逃げたりしたら、それこそ二度と未来に帰れないかもしれないわ。なんだかすごく不安」
逃げ続ければ解決、という話でもないからな。でも、まずは美月を安全圏に置くことだろ。この話を終わったことにされて凍結されたら、おしまいなんだ。逃げ回って引き延ばしてでも、解決に導くのが俺たちの役目だ。
ノエルが挙手をした。
「ところで本日は、俺たちどうすればいいんですか?」
「今日のところは、この時代に理解を深めてもらう。社会科見学ってやつだ」




