二十九.八島の鼎(2)
四番打者は真ん中高めの変化球をフルスイングし、セカンドフライに終わった。ゲームセット! 星陽高校は三回戦コールド負けという結果だ。ナイスゲーム、よく頑張った、お疲れさまーという声援が聞こえ、選手たちはスタンドの応援団にお辞儀をする。
もちろんミヨは納得してない。文句ばっかり。勝利至上主義者なのだ。
「最悪、入場料返せ! 真面目に練習しなさい。そんなんじゃ甲子園なんて夢のまた夢よ!」
うーん、もうやめてやれ。美月はどうだった? 美月が帰るまでにやりたい百のことをやってみたのだけど。美月は苦笑いだ。
「気性が荒いスポーツですけど、シュータさんの隣で見ていると奥深くて面白いです」
気性が荒いのは、ミヨとオッサンとトラ党だけだから気にしないで。野球は紳士のスポーツなのさ。のんびり楽しめていいだろ? これで春麗らか、秋深しみたいな気候だともっと気持ち良くて楽しいんだけどな。俺は汗を拭って立ち上がる。
「さ、帰るぞ。クーラーの効いた涼しい部屋で休まないと。腹も減ったし」
いつまでもこんな所にいたら黒卵になって大涌谷のロープウェイで運ばれちまう。
「大涌谷……箱根行きたいわね!」
ミヨが目を輝かせる。箱根はいいが、俺は湘南・江の島派。鎌倉もいいよね。
「おおわくだに? わくわく谷」と美月が言う。
「そうそう。超ワクワクして楽しいなって谷さ」
本当は江戸時代に関所があった山間の地域だ。山からは硫黄が噴出していて(事実くさい)、そこで卵を茹でると殻が真っ黒に変色する。食べると寿命が七年延びるという伝説があるのだ。それに近くには老舗の温泉や、旅客船が通る蘆ノ湖があり、都会の疲れを癒すリフレッシュスポットとなっている。ちなみに第三新東京市もある。
「美月も行きたいです。私、山は登ったことが無いので」
俺が告白した場所は山じゃん。スキー場みたいな冬山だったけど。
「そそそ、それは、また違うじゃないですかぁ」
美月が照れて目を逸らした。登山をしたいのね。関東なら筑波山や高尾山がいいんじゃないか。初心者には登りやすいだろうし。
「富士山! ねえシュータ、来週富士山に登るのはどう?」
ミヨが妙案を思い付いたように飛び跳ねた。アホか。富士山なめんな。死ぬど。ノエルも勘弁してくれと言わんばかりに座っている。
「出掛けるとしても、先の話だ。今日は帰る!」
「駄目よ、シュータ」
ミヨがホットスナックのゴミを掴んで俺の前に立ち塞がる。
「午後はお祭りに行くの! 花火を見にね」
あーあ。俺の夏休みは今年こそ充実したものになるだろうね。まずは浴衣姿の美月を堪能しなくては損だ。
八月十五日は美月のお誕生日である。だが、その一週間前の俺は今日も今日とてお勉強中である。補講、赤本、補講、赤本、たまに美月、補講、補講、赤本、模試……という夏休みはあっという間に消化されていってしまう。一週間に一度くらいは文化祭の準備や、ミヨ家にお呼ばれになって美月と会えるのだが、夏休みなんて早く終わってしまえと思う。
マジで勉強ノイローゼになりそう。ただ来年には解放されるという希望があるだけマシだ。先が見えるだけモチベが持続しそうに思える。
息切れ状態だったので、美月の誕生日パーティーが待ち遠しくてたまらない。その日だけは勉強を忘れて、美月のお祝いを楽しむつもりだ。ミヨの家が会場で、ノエルと阿部を呼ぶ。他の皆は三年生だから、気を遣って呼ばないことにした。それぞれ自分のペースで頑張っている最中だろうね。
「美月先輩への誕生日プレゼントは決まりました?」
ここは高校の図書館。八月のお盆前に、気分転換を図るため図書館まで来たのだ。俺は一日自習しようと思っていたのだが、ノエルを見つけ、隣で共に勉強していた。眠たくなるような昼下がり、コイツはテキパキ悠々と学校の宿題を片付けている。
「去年は渡せなかったからな。俺がミヨと入れ替わっていたこともあって。だから形に残る物をあげようと思う。この気持ちを形にして、な」
ノエルはくるりとペンを回して微笑んだ。
「具体的には?」
「指輪かな」
ノエルがパッと俺の方を見て、それからクスクス笑った。
「いいんじゃないっすか?」
俺は少々ムッとして眉をひそめる。背もたれに体重を預けた。
「卒業旅行で深雪にプレゼントしたとき、指輪って思ったより大事な贈り物なんだなって気付いたんだ。それと、指輪は円だろ?」
ノエルは笑いを止めて、首をかしげた。前髪がさらりと流れる。
「だからさ、サークル――円だ。俺と美月の『縁』も切れないようにと思って」
高価なものじゃなくていい。気持ちが伝わるような物を渡したかった。
「エンゲージ・リングですか? 縁だけに」
「契約か……。それよりはプロミス・リングとかがいいんじゃない?」
「縁だけに、エンゲージ・リング……」
「え、何が?」
ノエルはテーブルに伏せて笑った。肩を震わせて。自分で言って何が面白いんだよ。
俺は美月を強制させたいわけでも、拘束したいのでもない。ただ必ず再び会うことを約束したいのだ。今日の帰りに、〇オンに行くのでパパッと買おうと思っている。俺と美月の再会の印さ。
「そうっすね。いいなあ先輩たち」
ノエルは顔を上げた。正面のカーテンの隙間から夏の元気な日差しが射し込んでいる。
「お前だって、いい相手がいるんじゃないの?」
「あはは、まあ、そうかな」
苦笑いで流された。屈託のある陰な野郎だ。
「俺は最初、美月先輩のことを疑っていたんです」
仕方ないさ。いきなり壮大で難解な話を持ち掛けてくるとびきり美しい未来人だったんだ。違和感が無ければそっちの方がおかしいさ。
「実際、美月は隠し事をしていた」
「でもそれは俺たちに迷惑を掛けないためだったっす。先輩は、きっと何も裏切らない、心の澄んだいい人なんでしょうね」
うん、美月は嘘を吐くことがあっても誰かを傷付けたり、貶めたりする人じゃない。一年半も一緒にいれば自然とわかることだ。俺たちとも、他の未来人とも一味違う。
「俺は美月先輩に色々教わったな。あれだけの善人に会えたことは感謝しないといけない。シュータ先輩はもっと感謝してください。恋人になってくれた人なんですから」
まだ恋人じゃないんだよな。好意を受け取ってもらっただけで、俺は何も受け取ってないし、付き合う約束もしてない。でも……感謝してるよ。
「俺も、美月先輩のお祝いのためにできることなら何でもします。迷惑もかけたことですし、ここらで恩返ししないと、俺の場合は次いつ恩返しできるともわかりません」
そっか。卒業したらお前ともお別れだな。たぶん頻繁に会うことはなくなるだろう。
「寂しいでしょう。こんな良い後輩がいなくなって」
「俺さ、先輩としてお前を見てきて、善人だとは思わないぜ」
「まあ、そうでしょうね」
腕組みをしたノエルに失笑された。
「だけど、悪い奴じゃなかった。ノエルは全然悪い奴じゃないし憎めない奴だ。むしろ好きだ」
「え"?」
「少なくともお前は、意識的に良い奴になる努力をしてるだけ、悪人より優れている」
「……なる、ほど。いい子ぶってる、ただの偽善者だとしても?」
俺は大いに頷いた。ノエルを嫌いな人って俺はあまり知らない。
「美月は無垢で、お前は聡いだけだ。手段が違うだけだよ。根本の部分はすごく似ている。二人とも一人で抱え込みすぎるけど、責任感が強くて真っ直ぐだ。だからノエルも、この先誰と関わることがあっても心配は要らないよ。ノエルって、都合の悪い場面から逃げ出すために能力を使わねえじゃん。――俺はその点で一番お前を尊敬してる」
「ほう。初めて、先輩らしいことを言われました」
マジ? だとすると俺も先輩失格……。いや、これで職責を果たせたかな。ノエルは満足そうに背もたれに寄り掛かった。




