二十九.八島の鼎
うだるような暑さ。「うだる」は「茹だる」なので、ゆで上がるような暑さという意味になる。ねえもう帰らない?
七月下旬の地方野球場。グラウンドでは星陽高校野球部と、古豪の県立高校が、夏の全国高等学校野球選手権大会(甲子園大会)出場権をかけて、第三回戦を戦っている。この試合に勝ち、さらに残り四回勝ち上がれば、星陽高校は本戦に出場できるわけだ。
絶対ムリ。だって春の県大会一回戦負けのノーシード高校が勝てるわけがない。奇跡を七回起こせるほど、彼らが徳を積んでいるとは思えないからな。
俺は夏休みのこの日、私服で球場に足を運んでいる。もちろん自ら応援するために来たのではない。せめて準決勝まで進めば応援したいという気が起きたかもしれないが、まだ三回戦……。Aシード校がそろそろ初戦か、みたいな時期だ。エラーや四球を重ねる素人野球を見て何が楽しいだろう。一応、吹奏楽部は来ているみたいで、楽器をタオルで包んで日射しから守る福岡をさっき見かけた。俺はもちろん美月とミヨに呼び出されているのだ。おまけのノエルもいる。
学校では進学のための補講が土日を除いて毎日開催されている。俺はそれから逃れたいという一心でサボってミヨに付いて来た。ミヨは美月に野球というスポーツの退屈さを教えてあげたかったらしい。
確かに実際に球場に来ると、のんびりした競技だなと思う。高校野球はそれでもペースが早い方だが、何かを食べたり飲んだり喋ったりしながら眺めるくらいがちょうど良い。だって攻守が一気に変わったりしないし、得点は多くても一度に四点しか入らないし、選手が目まぐるしく交代することも無い。ミヨのようにアメリカンドッグやフライドポテトをつまんだり、美月のように俺とのお喋りを楽しむのが吉。
「あー、もう何やってるの! 負けちゃうじゃない。ちゃんとやんなさい」
野次を飛ばすのはミヨ。昭和のおやじじゃないんだから。
「負けそうですか?」
美月が訊く。俺は足を組んでうちわであおぎながら、美月に解説していたのだ。
「五回以降は十点、七回以降は七点差がついた時点でコールドゲーム。つまり九回を待たずに負けが決まるんだよ。今は七回裏の攻撃時点で、十二点差。負けるね」
表にエースが降板した途端に試合が崩壊し、一気に六点取られた。裏の攻撃で六点取らないと負けになる。
「ノエルくん! 助っ人で代打。代打よ!」
「俺は選手登録されていないのでね」
ミヨがノエルのTシャツを掴んで揺らす。可哀想だからやめてやれ。
「美月、熱中症は大丈夫?」
「ええ、とっても暑いですが、もう終わるならおっけーです」
「もう終わるなら」というのはヒドイ言い方だが、たぶん彼らの夏ももう終わる。内野のひさしのある席にいるから平気だと思ったが、屋外は危険だな。俺も汗が止まらない。ペットボトルも飲み切ってしまいそうだ。美月は肩を出したスポーティーファッションだけど、顔がリンゴみたいに真っ赤だった。ミヨやノエルも同様。皆うだりそうなのである。
星陽高校の二番バッターが打席に立つ。相手投手のファーストストライクを捉えてセンター前だ。彼はベンチとスタンドへ気合の咆哮を見せる。無駄に粘るなや、アホ!
「シュータさんも野次ってるじゃないですか。恥ずかしい」
美月が俺の口を塞ぐ。ガラガラの観客席とはいえ、ごめんって。
「いいわよ。このまま逆転して、甲子園で星陽旋風を巻き起こすの!」
ミヨが高らかに笑った。星陽高校のメンツであの美しき黒土を観戦しに行くというだけで、気が遠くなるぜ。きっと日帰り小旅行となり、大騒ぎして俺への負担が……。いや、受験勉強を休んで甲子園観戦って……最高じゃん。
「それこそ夢物語っすよ」
ノエルは肩をすくめて、ベンチに寄り掛かった。だよねー。
「ならドームでも行くか。夏でも涼しいし、ご飯も美味しいぞ」
美月は「ぜひ行きたいです」と声を弾ませる。プロの試合だぞ。
「今年もジャイアンツ弱いじゃない」
今年「も」だと? 耳に入れたくないので真剣に黙っていてくれ。
「あ」
ノエルが珍しく驚いた。何だろうと思ってグラウンドを見る。三番バッターが放った打球は、痛烈なゴロとなり――
「最悪よ!」ミヨが悲鳴を上げた。
二遊間を詰めたショートの正面へ。6・4・3のダブルプレー。ツーアウトランナーなし。
「ばっかじゃない! いっちばん駄目! 外のボールを無理やり引っ張って内野ゴロなんて、何も考えずに打ってる証拠じゃない。だから弱小なのよ。万年弱小校! ばか!」
ミヨ……。一塁ベース上では三年生の彼が泣いているのだが、よくも傷に塩を塗って泣きっ面に蜂をけしかけるようなことができるな。高校野球で野次っちゃ駄目よ。彼らは三年間朝から夜まで真剣に野球に取り組んでいて、なお弱いのだから。監督や保護者やOBにも聞こえちゃったら睨まれるぞ。




