二十八.尾を捧げて七度(30) 7
次の瞬間には、俺は保健室のベッドで横たわっていた。目を開けると阿部が顔を覗き込んでいるのが見える。俺は現実世界の方ではどうなったのだ?
「起きた? 意外と早かったなぁ」
阿部が驚いている。どうやら俺が倒れてから時間はそれほど経っていないらしい。今はまだ夕刻だ。七夕終わりから一時間も過ぎていないだろう。カーテンの隙間の西日が眩しい。
「俺は、どうなってた?」
阿部は「まずは無事でなによりです!」と前置きしてから、
「廊下でシュータセンパイが意識を失って、センパイたちが大混乱ですよ。でも状況をテキパキ分析して、体内に乗り込むんだとか訳のわからないこと言って、シュータセンパイを保健室のベッドにとりあえず寝かせたんです。私は伊部さんの指示で、シュータセンパイに薬を投与しました。体外に排出させる薬だそうです。これで元に戻るはず」
後輩にまで迷惑をかけてすまなかったな。体は何ともない。俺は平気なんだ。
「美月たちは?」
阿部がベッドのカーテンを開ける。隣の寝台に美月と深雪とミヨが寝ていた。
「あれ? みよりん師匠まで帰って来てる!」
ミヨ……。消えたというから心配したが、無事で良かった。美月たちもおかえり。
「シュータさん?」
美月が起きる。まだ怒ってる?
「なんかもう、許します。これから気を付ければ良いのです。お互いに!」
そうだね。アリスと一緒に過ごしていた人格は完全に俺そのものじゃなかったんだ。だから大目に見てくれると嬉しい。そっちは怪我とか無いか?
「はい。向こうと体は共有していませんから。仮に共有していたら、今ごろ腕がなくて三日は筋肉痛で動けず、催眠の副作用で頭がフラフラしているはずです」
後先を顧みない特例の能力だったのね。でも頼りになったよ、美月は。
「私だってやればできるのです。というか、皆さんの勇気を見習って、私もやってみたらできたというだけのことで……」
赤くなってしまった。自信過剰は美月の不得意とするところだ。根は謙虚で慎ましやかなのである。今日くらいは堂々と誇っていいと思うけどね。阿部は「惚れ直してくれたみたいですよ」と微笑んだ。美月は「良かったです」と頷く。
「ん、あれ?」
ミヨが目を覚ます。周囲を見てただならぬ空気を察知したようだった。
「また事件なの? 終わった? これから?」
厄介事はもう済んだよ。
「良かったぁ。疲れちゃってもう」
黒髪を手でといて腕組みした。ミヨは被害者側だったからな。でもアリス関連の話だし、ちょっと報告はさせてもらうぞ。
「帰りながらでもいいでしょ? それと深雪ちゃんが重い」
深雪は、美月とミヨの間で大の字になって寝ている。あらら。こっちも疲れているらしいな。ご苦労様である。
ミヨの家に向かうまで俺の身に起きた出来事について話した。阿部は疲れただろうから帰したが、深雪は律儀に付いて来ている。校庭に放置されていた笹を担いだミヨ太郎は、アリスの名前を聞いて複雑そうだった。そりゃそうだ。ミヨはアリスが亡くなったとき一番辛そうだった。ミヨはさ、アリスに言いたかったことあるか?
「ない」
ふうん。じゃあこういう別れ方で良かったのかもな。学校前の坂道を下りながら、俺は不思議な気持ちだった。アリスとミヨは同じことを言う。やはり二度と語り合う必要は無いと。それって何だか親友らしくて好ましい。俺にはそういう相手はいない。
美月とはまだまだ話し足りないことがたくさんある。冨田は? うーん、最後に伝言を残すチャンスがあっても、どうでもいいから別に話したって仕方ないと思うだろうね。信頼というより、どうでもいいという意味合いで。
「美月はさ、アリスが本当にお母さんを消したと思った?」
信号を渡るとき、そう尋ねてみた。まだきちんと聞けていなかったなと。
「はい、そうなのでしょうね。アリスさんは、物体を出現させたり消滅させる能力を持っています。それに体内コンピューターまで使えたのです。母を消すトリックが可能なのは彼女くらいでしょう」
特別に美月が取り乱している印象は無かった。美月は超能力者が犯人だと踏んでいたから、こういう展開も予想していたのだろう。俺たちは信号を渡る。ミヨの家まで二人を送るのだ。
「怒らないの? もっちーに対して」深雪が訊く。
「もう、散々怒っちゃいました」
美月は苦笑いした。それはそうだけど、肉親が関わっているのだからもっと憤ったっておかしくはない。けど、美月は一種晴れやかな表情をしていた。
「原因がわかれば、対策の道は見つかるかもしれません。母と再び会うために、これから頑張らなくちゃ」
俺も応援するぞ。深雪もいるし、ミヨもいるからな。去年の春先みたいに人材不足で困ったりすることは無いのだ。俺たちも着実にレベルアップしているはず。




