二十八.尾を捧げて七度(29) 6
「一つだけ訊きたいんだ。アリスに」
アリスは――かつてアリスだったもののデータは、俺を無言のうちに見上げた。髪も濡れて口は開き、目が充血して別人みたいに見えた。
「最後に、ミヨに伝言は無いか? あいつと喋りたいことは無いか?」
親友のミヨはたぶん今でもお前のことを大事に覚えているはずだ。アリスも同じなんじゃないかと思ったのだ。本当は俺よりミヨとの思い出が欲しかったんじゃないのか。俺は温泉旅行楽しかった。けど、結果的に俺がミヨとアリスの仲を引き裂くことになったんじゃないかって心残りなんだ。最後の夢なら、ミヨとだって過ごしたかっただろ? アリスは打ち笑った。
「ないよ。実代と私はたくさんのことを話したから、後悔していることはない。相手の言いたいことも、大体想像がつく」
だろうな。お前は本当にミヨのことをよくわかっていた。
「じゃあな、アリス。本当のさようならだ」
俺は非情にそう告げたはずなのに、手がぶるぶる震えた。照準が定まらない。これじゃ射的を教えた自分が馬鹿みたいじゃないか。手を押さえて、狙いを定めて、くそ。
「落ち着いて。大丈夫ですから」
美月がそっと手を添えた。白くて細いけれど、意思のある強い手の平だった。
「シュータくん、素敵な夢をありがとう。あ、俳句みたい」
アリスのジョーク。俺と美月はそうやって笑ったアリスに弾丸を撃ち込んだ。傷ができるわけではなかった。弾丸が当たった胴体から、段々と全体が真っ黒に変色し、黒くてべとべとした塊になる。それが集まってきて最終的には小さな……黒猫になった。
「にゃあ」
猫?
「アリスさんのコンピューターエンジン部分の擬人化でしょう。アリスさんには猫の心象イメージがあったのかもしれません」
美月は猫も銃で撃った。猫は綺麗に八方に散って跡形もなくなってしまった。さっきも黒猫を見た気がするけど、あれはどこ行ったんだ? 同じ猫なのか?
「これで伊部くんが介入できます。シュータさんの精神と完全に切断し、このコンピューターは体外へ出されることになりますよ」
美月はボロボロだった。腕も片方が無い。今日は頑張ったね、とても。
「それだけ、ですか?」
美月が物足りないといったように、眉を八の字に下げる。疲れてたから、淡白になってすまない。本当は、こうしたかった。
「ありがと美月! 可愛い、優しい、そして強い。……大、好き」
「シュータさーん」
ぴょんぴょんする美月を抱き締める。これが無いと、事件が終わった感じがしないんだ。解決のハグは大事だぜ。ぎゅー。流れでチューまでしてしまおうかな、へへへと思っていると、なんだか冷気を背中に感じた。
「アイくん」
深雪がクールな視線を送っているのに気付いた。美月は苦笑いに転じる。
「あ、相園さん、これは恒例行事というやつでして……」
「いいのよ。どうぞ続けて」
深雪は目を見開いてニコニコしながら「続けて」と促した。続けられるか! するとみるみるうちに空が明るくなってきた。空は群青に染まり、月が白んでくる。正常に戻ったのか。
「そろそろ帰還のときです。シュータさん」
「俺はいいけど、ミヨたち超能力者は?」
「ご心配なく。シュータさんのデータが取り出せれば、皆は元の世界に『戻せ』ます」
なら良かった。こっちに閉じ込められた人も多いって聞いていたからな。
「まさか、シュータくんがもっちーにまで目を付けられていたとはね」
深雪が溜息を吐いた。美月が何かを思い出したように顔を上げる。
「そのことです! シュータさん、『浮気してませんよね?』 してないですね? したなら言ってくださいね」
近いよ……。俺は美月だけを愛すと誓った身だ。もちろんやましいことなど……無かったはずだよな? ――うん、無かった。美月の綺麗なブルーの瞳にかけて誓う。
「当たり前だ。アリスと混浴したくらいじゃ、浮気のうちに入らない――あれ?」
言ってしまった。催眠術! 自白剤だ。
「あー、混浴してました!」
げ、美月の顔色が一変する。深雪がショックで腰が抜けた。いやいや前後の流れというか文脈があってだな、一筋縄ではいかない難しく深遠な問題が潜んでいてさ、ちょっと待ってくれたまえよ。説明する、誤解だ美月! 怒気を抑えろ。俺はクラクラしながらダッシュで逃げる。
「浮気は許しませーん!」
は、はーい。ちょうどいいところで、――目眩。




