二十八.尾を捧げて七度(26) 6
「いた、シュータくん」
アリスがポッキリ折れた渡り廊下の根元から顔を出した。そこからピョンとウサギのように身軽に飛び出してくる。廊下の傾いた屋根に乗ってドヤ顔。来たな、アリス。よくも愛しの美月にこんなひど、ひど、ひ、うぷ、お、おえっ。キラキラー☆
「キャー、シュータさーん!」美月が大慌てだ。
ゲロゲロー☆
「だいじょぶ? シュータくん……」
アリスが憐憫を示した。うん、これでスッキリしたぜ。デトックスして気分がいい、むしろ清々しい、結構万全かもなあ。逃げるなら今のうちだぜ、アリス。
「シュータくん、極度の猫背だけど」
逆流した胃酸のせいで激しい運動ができないだけだ。
「もうアイくんは下がってて」
深雪が俺を介抱した。やはり体調はそこまで劇的に改善されないものか。代わりに美月が立ち塞がる。赤い月を背にしたアリスはこっちを見下して微笑んだ。
「アリスさん、私はもう逃げも隠れもしません。母のこととシュータさんのこと。ここで決着をつけます」
アリスは緑のピンで髪を留め直した。
「私は最初からそのつもり」
「先ほど、言い忘れたことがあります。私がこの時間軸を捨てて未来に『戻らない』理由のもう一つです」
お母さんを捜すためじゃないのか。
「シュータさんに本当の想いを伝えるためです。単なる『感謝』や『好意』では表現しきれない多くの想いを、自分の言葉で伝えたい。そのためには母のことも全て片をつけてから、誇れる自分になってから、伝えたいのです」
ああ、そうか。そうだよな。美月は凛々しい表情でアリスに向き合う。
「私はそれが終わるまで、未来には帰れない」
「それも自分勝手。エゴ、わがまま」
「いいえ」
「私を殺してでもやりたいことがそれかって言ってんの!」
冷蔵庫が美月の頭上から落ちる。美月は瞬時に前方へダッシュして避ける。アリスへと猛突進だ。アリスは傘やらバールやらを飛ばして進路を塞ぐ。美月はことごとく左右上下に飛び跳ねてかわしていった。やるじゃん。
「ところで深雪」
「わかってる。銃弾は三発。確実に狙い打つよ」
深雪は制服の上着のポケットを確認する。ヘマはするなよ。
「だけど、私が入れる余地なんてあるのかな……」
深雪は自嘲した。戦況を見るに、アリスの繰り出すゲートオブバビロンが炸裂し、色んな物が飛び交っている。美月は自分でも半ばビックリしたように、後方伸身宙返り三回ひねりなどで回避する。俺や深雪が入り込めば、鈍器で頭蓋が陥没したり、刃物でズタズタに切り刻まれておしまいだろう。慎重に機を窺わざるを得ない。
「もっちーの能力に限界は無いの?」
「たぶん無制限だ。大きなもので言えば、城まで作り出せるのがアリスの能力だ」
「美月さんの体力は有限だよ」
……確かにそうだ。いくら身体能力を向上させても、体力や筋肉そのものが劇的に変わるわけではないだろう。ジリ貧だな。
「深雪は使えない? 身体強化」
「使ったの見たでしょ。上手く調節できなくて、転んだり倒れたりしちゃうの」
でも無理に動かなければ、筋力増強も可能なんだよな。ならできることがあるはずだ。アリスを倒せなくても妨害はできる。俺は飛んで来た空き缶を掴む。
「これを思い切り投げてくれ」
アリスを指差す。深雪は白い歯を覗かせた。
「全力でぶつけろってことね。コントロールに自信は無いけど」
少しでも気を逸らせれば、美月の助けになる。頼む。深雪はへこんだ赤い空き缶を掴み、振りかぶって腕を振った。
「〈肩・とにかく強化〉して!」
ビュンと目にも止まらぬ速さ。殺人級の百マイル越え空き缶は、そのまま地面に命中した。地面に。しかし、ドカンとすさまじい音がして土煙が上がる。反動でアリスが立っていた校舎の足元が崩れる。アリスは足を滑らせ、二階から落ちていった。結果往来!
「美月、アリスを!」
「ラジャーです」
美月が快足を飛ばして、アリスの落下地点へ一直線。アリスは驚いた表情でお尻から落ちていく。確保できればこちらのものだ。深雪は銃が入ったポケットを確認して、駆け寄る。
「……うそ」
だが、事はそう綺麗に運んでくれなかった。落ちると思ったアリスは、一階と二階のちょうど中間の高さで静止した。立っている。足場など何も無い場所で。
「浮いてるの?」深雪が愕然とする。
アリスは不敵な笑みを浮かべていた。空中で、金魚のように優雅に一回転する。
「驚いたでしょ? 私こんなこともできるの」
「重力」と美月がつぶやいた。
「すぐネタバラシしないでよ。正解だよ。私は重力も操作できるの。だから、こうやって自分の周りだけ作用する引力を低く設定することもできる。なかなか落ちて来ないでしょ?」
重力まで自在に変えられるなんて能力は聞いてない。いつの間に、お前はそんな力を手に入れたんだ。




