二十八.尾を捧げて七度(24) 6
「は? やだよ。だって何も負ける要素が無いもの」
負ける要素がないって? もう伊部が何とかしてくれるんじゃないのか。俺の体内コンピューターを排出させるとかしてさ。美月は首を振る。
「いいえ、神経と深く絡んだコンピューターを無理に引き抜けば、シュータさんの精神が危ない。言ってしまえば、アリスさんはコンピューターウイルスです。手順に従って駆除しなければなりません」
美月と深雪が、戦うのか。このアリスと。美月は頷いた。
「ほらね! これが私の狙いだよ。こんなお姫様風情に、超能力者の私が倒せると思う? 私はこの日のために能力を磨いてきたんだよ。シュータくんの内側でさ」
アリスは手の平に包丁を出現させる。アリスは本気だ。ここが半ば夢の世界だから、なおさら。
「ねえ美月ちゃん。お母さんと同じ末路を辿るといいよ」
「そのことですが、」
美月が真っ直ぐ立ち上がった。スカートの中が見えそうなので俺は寝返りで回避。
「あなたが母を消したのは、間違いないのでしょうね」
「うん。そうだよ」
美月の凛とした表情から動揺は窺えない。内心がどうなのかは俺にもわからない。
「母の最期の場所はどこでしたか?」
「実代の家の近所のー、花屋さん前の路上」
「ええ、おおよそ合っています。母の消息が途絶えたのは、記録上その付近です」
美月はふっと息を吐いた。まさか、こんな所に犯人を見つけるなんて。
「美月、本当なのか。お母さんが超能力を俺たちに与えた張本人だって話……」
俺の問いを聞いて美月は一瞬迷って、頷いた。……そうだったんだ。
「黙っていてごめんなさい。母のグループの研究は、人体の機能を拡張するためのものでしたから……」
それが超能力の正体。恣意的に俺たちに与えられたもの。俺には、能力を与えられた記憶がさっぱり無いけれど。アリスは、
「シュータくんたちが覚えていないのも無理らしからぬことだよ。私だって一度死ぬまで忘れていたくらいだから」と言う。
「なぜ母はあなたに消されなければならなかったのでしょう」
美月が落ち着いた調子で訊いた。その科白を耳にして、アリスが淡々と答える。
「そのせいで私たちの世界が狂ったから。私が死ぬことになったから。死にたくなかったから。当然でしょ」
アリスの口調には少し怒気が混じっているような気もする。
「ええ、母は間違いを犯しました。いわゆる『超能力』と呼ばれるものを与えるのは、どの時代であれ倫理的にノーです。あっちゃいけないことです。私も後ろめたさから、皆さんに隠していました」
美月は首を振った。何かを振り払うように。
「あなたの生きたいという望みは当然だと思います。アリスさんはいい方です。大切に思われている家族もいる。ならば、心苦しいですが言わせていただくと、あなたは母を殺すのではなく、生き残るための協力を我々から得るべきだったのではないですか?」
アリスは鼻で笑った。
「未来人にとって邪魔だから私は死んだんだ。私には死ぬ未来が迫っていたんだよ。でも、あの人の最期の言葉は『別に、未来はそうと決まったわけではないのよ』だって。無責任も甚だしいい。なら当人を消した方が簡単じゃない。どうせ理由をつけて君は助からないって言い出されるくらいなら、こっちから仕掛ける」
「私には、この時代の人が持つ、そのような執着的な憎悪がよく理解できないのです」
美月は少し顎を引いて表情を歪めた。
「でしょうね。未来人には感情なんか無いのよ。私はあなたの母親に言ったよ。あなたのせいで死ぬんだから助けてって。『別に』と返された。人の命がかかっているのに呑気すぎないかしら。命の重みもわかってない」
アリスが死ぬという事実は、未来予知によってもたらされたと言っていた。つまりミヨから教えられたのだろう。もちろん今のミヨはそんなこと覚えていない。本当にアリスが死ぬ未来が待ち受けていたのだろうか。だとしたらなぜ死ななければならなかったのだろう。
「未来予知のように非科学的なこと、母が信じたはずはありません」
「自分がつけた超能力なのに? ねえ美月さん。私は真面目に話しているの」
アリスは段々といら立ってきていた。
「未来予知という超能力自体、母たちがどう開発したのか見当もつかないです。他の能力はまだ技術の理屈はわかりますが。いいですか? それが事実にせよ、そうでないにせよ、母を消して、シュータさんを連れ去ることの合理的な説明になっていません」
アリスは包丁を投げつけた。美月は事もなげに回避する。
「未来人が来て、私たちの生活がメチャクチャになったことも変わらない事実でしょう。人を不幸にしてまで、どうして過去に干渉しないといけないの?」
アリスが二の矢三の矢というように、包丁を出して美月に向ける。直線的に飛ばされた切っ先を、美月はユリのように華麗な身のこなしでかわした。体育の授業のときもそれくらい動ければ良かったのに、と思ってしまうくらいだ。
「滅茶苦茶になんてしていません。過去に『戻る』技術が発展すれば、益になることは多いです。父や伊部くんはそのための研究をしていました。母や私はもちろん応援していました。ですから、当初はタイムマシンという人類の夢が完成して、もっと安定的に、多くの人に恩恵を与えられるようになることを願っていたのです」
美月はシャキッと髪を結った。本気モードだ。
「ですが超能力の問題が発生して、それから母がいなくなり状況が混乱しました。トラブルが起きたのはそれ以後。今私がここにいるのは、別の目的です。母を救うためです。そのためにまずは、目の前のシュータさんたちを元の時間軸に連れ戻す。その必要があるのです」
「あなたの母親は私が消したって言ったでしょ! 物質的にも精神的にももうこの世に存在しないの。死んだの」
美月は髪を左右に揺らして首を振った。自分の胸を押さえて宣言する。
「必ず母は見つかります。見つけます。あなたが消したというのなら、その痕跡や残滓を辿って母に会いに行く」
「それはシュータくんたちがいない、向こうの空っぽの世界で勝手にやってよ! 私の夢の世界に入って来ないで。シュータくんも実代も私のものなの! もう何も奪わないで!」
アリスが烈火のごとく叫ぶ。天井が崩落して、美月の頭上に降る。黒猫の上にも、俺たちの所も――




