二十八.尾を捧げて七度(11) 4
「アリス、先に謝っとく」
「シュ、シュータくん。だ、だめっ……」
俺は何とか片腕に浴衣の袖を通し、アリスに壁ドンした。ロッカーとの間に浴衣でカーテンを敷き、温泉からはアリスの姿が見えないようにする。
「っ――」
アリスがピンを外して前髪で顔を隠す。じっとしていてくれ。バレるって。
「だめ、バスタオル一枚で、くっついちゃだめだよ」
すまん。だから先に謝っただろ……。扉が閉まり彼らが温泉に浸かれば、戻って来るまで相当の時間を要するはずだ。だから扉が閉まるまで、耐えてくれ。
呼吸を止めて過ぎ去るのを待つ。扉がガラガラと閉められる音がして、脱衣所には再びの静寂。沈黙。無音。そして溜息。
「わっ、離れてよ!」
アリスに突き飛ばされ、尻もちをついた。ひでえ扱いだ。
「とにかく目を瞑って背を向けて。着替えるから」
俺は言う通り目を瞑って着替えを待った。なんか、こういう経験を去年したな。確か、プールの帰りだ。具体的には思い出せないけど、似たようなことがあったような。アリスの衣擦れの音が耳に届く。
「着替え、終わったよ。はい」
振り向くと、浴衣姿に戻ったアリスがバスタオルを俺に手渡した。
「今度は私が目を瞑ってる」
アリスは目を閉じ、ロッカーに背を預けてしゃがみ込んだ。俺はタオルを拝借する。
「タオルあったけえ」
「なに馬鹿なこと言ってんの! シュータくんのタコ、ハゲ、イモ!」
独特な悪口。巻いていたタオルを取り、アリスが体を拭いたタオルだということは一旦頭から忘れ、自分の体を拭いた。ただ、湯上りから時間がかなり経ったので、それほど丹念に拭き取る必要も無かった。それが幸いだな。
俺は着替えを終えると、アリスの頬をつつく。アリスは「終わった?」と顔を上げた。
「おう、無事に着替えは済んだ。飲み物でも買っていい加減戻ろう」
アリスは頬を膨らませて付いて来た。
災難続きの混浴が終わり、夜の町並みに戻って来ると不思議と解放感を感じる。隣を歩くアリスもお風呂上りだからか、薄ぼんやりして歩いていた。石段を下って行く。
「ホント珍奇な体験をしたよ。宿泊所を抜け出して、温泉でしかも混浴なんて」
「シュータくんも楽しかったでしょ? 私もまさかシュータくんの裸を見るなんて……」
アリスは照れた。俺だって気まずい。見たって、アレは見えてないよな。後半は必死で隠すことまできちんと気を配れなかったが。
「み、見えてないよ。本当だよ。見えたとしても、しるえっと? くらいなもんさ」
「なんか見えたやつの反応じゃないか?」
「見てないって断言する。断言するから。信じてよ~」
アリスは泣きついてきた。混浴に入って、お互い何も見てないってのは逆におかしな話だからいいんだけどね。俺は絞ったタオルを肩にかけて笑う。
「だからさ、最後あんな全力で私を庇わなくて良かったんだよ。大学生のカップルが秘湯でしっぽりやってると思わせとけば良かったんだって!」
秘湯でしっぽりやっちゃいかんだろ。曲がり角で自販機が見えたので、親指でそちらを差す。冷たい炭酸が飲みたい気分だ。俺が硬貨を投入し、一本購入する。バコンと雑に落ちてきたペットボトルを取り出し、結露でいっぱいのそれをアリスの頬にあてがう。
「ふぎゃ、つめたあ……」
「お前も飲む? 一口やる」
キャップを開けてアリスに向ける。アリスは「いいの?」と確認を取ってからゴクゴクと飲んだ。突き返されたペットボトルを掴んで、俺も一口飲む。温泉後の体に染み渡る爽快感だ。これが飲みたかったのだ。
「間接キスした! シュータくん最低の変態クソ野郎だよ」
間接キスしたくらいで変態クソ野郎呼ばわりとはずいぶん狭い料簡よな。アリスは顔を背けた。この少女は何が気に食わないんだろうな。
「私は牛乳飲みたい。確か、紙パックの牛乳がホテルの販売機にあったんだよ」
「へえ。アリス、ちょっといいか。温泉での話の続きだけど」
「なあに?」
「アリスは自分に自信が無さすぎだ。お前、可愛いぞ」
「は?」とアリスは息を呑み込んだ。一歩、二歩と後ずさって行く。
「お前はよく自分なんか普通だって言う。でも実際はすごく綺麗だと思う。俺がさっき守ったのだって、アリスみたいな美人が他の男に見られたら良くないと思ったからで」
反応に戸惑うアリスは、
「温泉入ったから、たまたま肌がすべすべで綺麗なだけっす」と誤魔化す。
「まあいいんだけどな」
俺は旅館の方へと歩き出す。外から見ると、建物の窓でいくつか電気が点いているのがわかる。最後の夜だから夜更かししている部屋があるのだ。早く寝ないと明日が大変だというのに。って、俺たちが他人のこと言えないか。
「あのさ、シュータくん。私のこと好き?」
「もちろん、す……好き? なんだ急に⁉」
アリスは夜風に髪をなびかせていた。せっかく温まった体も冷えてしまうな。
「美月ちゃんはいないよ。仮に、深雪ちゃんもいないとしたらどう?」
ならアリスが一番好きだと言い切れる。俺がそう言おうとしたとき、ふと視界に美しい月が差し掛かった。形は不恰好でも、魅入られてしまう。満月なら完璧な風景だったのにな。
「焦らなくていいんじゃないか? 俺はまだわからないから」
「そうだね。シュータくんらしいや」
この後、裏門から建物に入り、何とか部屋まで戻ることに成功した。アリスが途中で買ったパック牛乳をこぼして大変だったのだが、それはただの小ハプニング。しかし、同部屋のやつらには出掛けていたことを知られてしまった。俺の居ぬ間に賭けトランプをやっていたのだ。俺も混ぜろ。




