二十八.尾を捧げて七度(7) 4
「アリス、俺は準備できたぞ」
「わ、私も、いいよ」
ロッカーの奥へ、恐る恐る進み出る。そこにアリスも登場する。
「なっ」
バスタオル一枚をまとった姿。髪は長いのでまとめてお団子にしている。前髪は緑のピンで押さえていた。ほっそりした首元、骨張った鎖骨、そして胸元が大胆だ。もうちょっと谷間を隠せないのか? 目を当てられないのだが。
「隠せないよ。だってこれ以上引き上げたら、後ろが見えちゃう」
アリスは太ももの半ばまで差し掛かるバスタオルの裾を引っ張った。下もミニスカみたいになってる。いやいや、かなり破廉恥な状況なのでは?
「何言ってるの。それに、シュータくんも見えそうだよ」
確かにタオルが薄いし、短い。腰に巻くので精一杯だ。あまり目を向けないでくれないか。
「とりあえず、入るんなら入ろう。んで、さっさと帰るぞ。こんな所」
俺は扉を開けて、屋外へと飛び出した。結構寒い。風が冷たいのだ。温泉からは湯気が立ち昇り、いかにも温かそうな雰囲気を醸し出している。俺は温泉の傍まで歩いて行った。
「シャワーは無いみたいだし、かけ湯して入ろう」
風呂桶も持っていないので、仕方なく手ですくって体にかける。温かいどころか熱くて気持ちがいい。よく見ると、湯は石灰色に染まっていた。湯の成分のせいなのだろう。濁っていて温泉特有の匂いがする。
「なあアリス。この湯、幸いなことに濁ってるぞ」
「そ、そう」
アリスは俺の後ろでもじもじしながら動かない。さっきまで乗り気だったのにどうしたのだろう。俺は手ですくった湯を、アリスに引っ掛けた。
「ほら、かけてやろうか?」
「やめてって! だって、透けちゃうでしょ」
あ、そうだな。確かに。
「シュータくんが先に入ってよ。私が後に入るから!」
俺はアリスに突き飛ばされて、頭から湯に突っ込んだ。あぶねえよ。温泉の底に頭でもぶつけたらどうするつもりだ。俺はタオルを温泉の外で絞って頭に載せる。あったまる。いい温泉だとは思う。少し緊張して、リラックスできないけれど。
「シュータくん、そっち向いて目を閉じて。早く!」
アリスにせかされた。俺は大人しく目を瞑ってアリスに背を向ける。残念だけど、こういうときに下心が全く出ないのが俺という紳士である。紳士だからというより、単に意気地なしだからかもしれないな。律儀に目を瞑って邪念を取っ払ってあぐらをかいた。今なら坐禅で悟りが開けそうだ。万物流転、生者一切諸行無常。
「あちち」
アリスの声が聞こえる。タオルを外し、湯を体にかけているようだ。お湯が体をつたって流れ落ちる音が聞こえる。それは綺麗な流線形を描いているのだろうな、なんて。何を考えているんだ俺は。駄目だ。修行が足りない。じょろろという水の滴る音に反応するなんて。そこにいるのはただのアリスだぞ。あの、アリス。
「隣、入っちゃうよ」
ちゃぷんという水音。アリスが足先から湯に浸かったらしい。すぐ隣にいるのか?
「目、開けてもいいよ」
「おう」
目を開けると、想像より近い距離にアリスがいた。ほんのり上気した頬に笑みを浮かべている。健康的な美肌を白くてからせ、デコルテまで水面から覗かせていた。
「お、おい。もっと沈めないのか」
「く、苦しいよこれ以上は。別に見えてないでしょ」
こんだけ広い湯なんだから、もう少し離れてもいいのに。俺は落ち着かない気分で脚を伸ばした。どうしてこんな風に混浴することになってしまったのだ。
「シュータくん、私のことめっちゃ意識してて可愛いね」
「意識するだろ。同級生の女子だぞ」
「女子なら誰でもそうなる?」
三秒ほど考えてみた。色んな女子を頭に登場させて。
「程度の差こそあれ、多少は緊張するだろうな」
「私は緊張する方? しない方?」
「する方だろ。お前は可愛いし」
アリスは誤算だったようで、しばらくキョトンとしてしまった。そして言葉の意味が呑み込めてから、肩を震わせて笑った。水面も揺れる。あまり動くなよ。
「やけに素直だね。でもそういうの、あんまり言いふらさない方がいいよ。女の子の見た目を褒めるのは、最上級に近い褒め言葉だから。男の子は見た目を褒められるより、功績とか勲章が好きでしょ? 女の子はね、自分の体が大事なんだよ。オシャレもメイクもネイルもそのためにするの」
そう。初めて聞いた。俺は湯を顔につけて、前髪をかき上げた。
「あまり髪は濡らさない方がいいんじゃないかな。乾かさないとバレるよ」
俺の髪は短いから、夜道を歩けば乾くんだ。お前とは違う。
「私も短くしちゃおうかなー。ほら、シュータくんの好みに合わせて、深雪ちゃんがショートヘアにしたという噂が耳に届いているんだよね」
そんなわけなかろう。深雪には似合うと思うけど。




