二十八.尾を捧げて七度(4) 3
みよみよりーんはどこにいるかなと、二組の教室へ来た俺である。ガチョウの群れでも飼ってるんじゃないかという騒がしいクラスだ。
ミヨの席は覚えていたのですぐに見つかった。俺の知らない女子たちに囲まれて、あははは、うふふふと笑い話をしている。こう見ると、遠い存在になったように見えるな。声を掛けづらい。
どうしても昼休み中に話さないといけないわけでもないのだけど、取次を誰かに頼めないかな。手もずいぶん冷えてきたことだし。
だがあいにく坂元、佐奈子、石島の誰もいない。ぐぬぬ。こうなれば意を決して、無になれ周太郎。さりげなく教室の前方から入って、ミヨに気付いてもらうパターンしかない。レッツそれで行こう。
俺は膨らんだポケットに手を入れて、口笛でも吹きそうな勢いで何気なく前のドアを開けた。ミヨの視界に入るように、なるべく近くを通る。ミヨは女の子たちとのお喋りに夢中だ。段々じれったくなってきた。思いきって、ミヨの隣の列の間を歩いていく。
ほら、俺が来たぞミヨ。ミヨ……。ミヨ?
「いや通り過ぎちゃったよ!」
しまった! ついツッコミ魂に火がついて、大声を出してしまった。こんなバカみてぇなことをしたらミヨからお叱り間違いなしだ。なにより俺自身が恥ずかしい。
「え、なんでシュータいるの?」
ミヨが目を点にした。女子から「誰?」と訊かれて「友達」とぶっきらぼうに返した。俺の腕を掴んで廊下に引きずり出す。やっぱり怒ってる。
「なんか用⁉」
「用も何も、お前が言いたいことあるんじゃないのか」
ミヨは険のある表情をふっと柔らかくして考えた。そして、
「ああ、別に今じゃなくてもいいんだけどね。放課後、生物室に集合だから。至急」
ただの呼び出しかよ。それくらいスマホで伝達しろ。文明の利器を用いてさ。
「ってかさ、あんまり教室来ないでよ。友達と話してるときは特に!」
ミヨが声を潜めてそう言った。なんでだよ。いつもは喜ぶじゃん。そんなに俺はみっともない男か。
「嬉しいのは嬉しいんだけどね、いつメン以外の人には誤解されるかもだし、彼氏がいるとか調子乗ってるって思われたら嫌だし、彼みたいな人が好きなんだ意外~。みたいにからかわれるのも嫌なのよ。だから機を窺って来てよね」
ミヨは半袖の腕を組んだ。お前にも、俺たち人間と同じ「恥じらい」という感情が備わっていたんだな。新たな発見をしたよ。
「恥を捨てたらそれはケモノよ」
「じゃあ放課後そっちに行けばいいんだな? 缶ジュースあげるから、午後も頑張れよ」
俺はミヨに冷えたオレンジジュースを手渡すと、そそくさと五組に逃げ帰った。二組にはもう行きづらくなってしまった。今回は自業自得だけれども。
「うん……! 頑張る」
すぐ放課後になってしまう。鐘が鳴って帰りのホームルームを終え、俺は今日も一日疲れた、たくさん勉強したと伸びをする。
「シュータさん」
隣の美月が俺に微笑みかけている。一日の課業を終えて解放される瞬間って清々しいな。
「いいえ、シュータさん」
「どうした。今日、日直だっけ」
「いいえ、シュータさん」
怒ってるぞ。美月は笑顔に見えても腹のうちでは激怒していることがたまにある。
「なに、か、怒ってます?」
「たとえば怒っているとしたらどういう理由で怒っているとお思いになります?」
美月がスマイルを浮かべたまま詰め寄ってくる。確定で憤怒している。俺は数々の悪行を思い返してみた。本棚の下三段目に背を向けてエッチな本を置いたのがマズかっただろうか。木の葉を隠すなら森の中だと思ったのだが。
「いや、違うな。それとも、もしや居眠りしたこと?」
「それ以外に何があると言うのですかっ!」
美月が怒鳴る。良心の塊みたいな存在の美月が怒ったので、クラス中がどよめく。美月はお構いなしでお説教する。ビシビシくどくど。
「――わかりましたか? シュータさんは受験生なのです。自覚を持って机に向かう姿勢を示してください。そもそも教育を受けられることの幸せを甘受してください。まだこの時代には、満足に学校へ通えない人もいるのです。文字の読み書きができない人も、政治に参加できない人も、医療を満足に受けられない人も、生活費を稼げない人も、デジタル機器にアクセスできない人もたくさんいるのです。シュータさんは同世代の人々と比べれば充分に幸せな人生を送っています。充分どころか、かなり恵まれた生活水準で暮らしています。その自覚と覚悟を持って、勉学に励んで社会に貢献してください!」
「へえへえ。てえてえ」
「いつまでもそんなんじゃ美月は呆れてしまいます」
美月はふんと顔を背けてしまった。おかしいな。寝ていたのは確かだけど、いつどれくらい寝ていたのか覚えていない。授業を全編聞いた記憶も無いのだからたぶん寝ていたのだろうけど――。もしかして、
「俺、睡眠の病気かな」
「なんでも病気のせいにしないでください!」
はい、怒られたー。美月が相手の場合、正論しか言わないから「はい、全くその通りでございます。申し訳ありません」と言うしかなくなるので困る。ミヨやノエルが相手なら「うるせえバカヤロー」と心中で舌を出していれば良いのだけどね。
「さ、シュータさん。生物室まで、水に流しに行きますよ」
美月は振り返らず、教室を出て行った。深雪もなぜかくすくす笑いながら後をつける。水に流すって何を? まさか俺の遺体じゃないよな。




