二十八.尾を捧げて七度(2) 3
うーむ、抜け出したい。羽があれば今すぐにでも窓の外に飛び立つのに。
「窓の外は暑いですよ」
七月に入り、梅雨が徐々に明けてきた。晴れの日になるとクーラーなしでは生活できないほどの暑さがやって来た。温暖化どうこうは置いておいて、夏は嫌いだ。クーラーが無いと何もやる気が起きないし、裸になっても暑いものは暑いし、日焼けするし汗かくし虫が多いし食欲が減退するし……。
いいことと言えば、美月の薄着が見られるくらいだ。今日の美月は体育の後からずっとポロシャツで過ごしている。真っ白でフニフニな二の腕が可愛らしい。
「み、見ないでくださいよ。そんな堂々と」
隣の席の美月が恥じらう。いい言葉だ……。もう一度、「隣の席の美月」が恥じらう。卒業旅行が終わり、受験モードの落ち着いた教室で席替えが行われた七月某日、俺はついに念願の隣の席をゲットしたのである。教室では去年からずっと美月とは離れた席だったので、三年のこの時期にやっと隣になれたのは光栄至極である。
「でも私もシュータさんの隣は嬉しいです。先生に隠れてこっそり話すのは、悪いことをしているようで楽しいです。シュータさんをからかうのも面白いですし」
罪の味をようやく覚えたようだな。好きな子と隣で過ごすって最高だ。美月と隣で過ごす学園生活ほど楽しいものは無い。俺のクジ運の勝利。
「相田が美月ちゃんに悪い知恵を仕込まないように私が監視するってことかー」
片瀬が美月の真後ろの席から睨みを利かせている。くそ、なんでいつもこいつ席が近いんだよ。くれぐれも直々にお前が睡眠中の俺を叩き起こすなんて真似はするなよ。
「はいはい。お前がまず寝るなって話だけどね」
片瀬が背もたれに寄り掛かり、何となく後ろを振り返って、「ひゃあ!」と驚いた。片瀬に似つかわしくない可愛い悲鳴だ。
「深雪? なんでここにいるの」
片瀬に驚かれるのも無理はない。深雪は片瀬の椅子のすぐ後ろで俺と美月の仲睦まじき会話を終始傍聴していたのだ。俺はうすうす気付いていた。
「お前の席は廊下の方だろ。ずっと何やってんだよ」
深雪は立ち上がると、俺と美月の間にやって来た。眉間にしわを寄せている。
「席替えは悪い文明。粉砕する」
俺と席が離れたのが悔しかったのだろうか。ランダムだから諦めるしかないと思うぞ。いや、それよりも俺と美月が隣になったのが嫌だったのかな。
「どっちも! これじゃ双眼鏡が無いとアイくんの生態を観察できない。おやつのグミの種類とか、参考書の進捗具合とか、ペンケースの中身とか定点監視できないと禁断症状で、住所まで特定済みの私がついにアイくんの家の宅配の荷物や郵便物まで漁り出したくなって、ついでに私服のアイテムとか、幼少期のアルバムとか、本棚の下三段目に背を向けて置いてあるエッチな本とかまで盗み出したくなりそう!」
ストーカー規制法違反行為をするな。絶句する美月を横目に、片瀬が半ばドン引きしながら口を挟む。
「でもさ、最近こいつ結構寝てない? そんなアクション起こさないから大丈夫だよ」
何も大丈夫ではないのだが、やはり最近授業中は寝すぎだろうか。美月が頷いた。
「確かに、シュータさんは居眠りがいつにも増して酷すぎます。お疲れですか?」
美月まで。確かに言われてみればそんな気もする。
「アイくんは、卒業旅行中を抜きにすれば、先週は十七回も居眠りしてたもんね」と深雪が深刻そうに考え込んだ。
「俺自身は疲れている自覚はないな。眠れていないわけでもない。ただ、少し眠りが浅いのかもしれない。眠っても眠った感覚にならないんだ。日中もぼうっとしてしまうことが多い」
睡眠の質というやつが悪いのだろうか。その場合、どうすればいいのやら。ヴェロナールか。
「季節の変わり目だからね。寒暖差もあるし、気圧の変化も激しいから」
片瀬が珍しくまともなことを言う。
「でもシュータさん。お疲れであれば、私にできることは何でもしますので」
「ありがとう。試しに美月にキッスをいただければと思うのだけど。リラックス効果を期待して」
ちゃっかりおねだりすると、片瀬は「美月ちゃんが自分からチューするわけないじゃん」と呆れる。美月は「無理デスよ」とカタコトになった。だよねー。
「アイくん。そんなに女の子と触れ合いたいなら、私が代わりに何でもするよ」
深雪がボタンを外そうとするのを止める。マジでお前変なキャラチェンしてる。方向性が間違ってるって。これ以上馬鹿が増えたらマジで学校に来るのがしんどくなる。俺はツッコミというよりボケが得意なんだ。
「ところでシュータさん。最近変わったことはありませんでしたか? 気付いたこととか」
美月に真正面から尋ねられた。いきなり何だ。俺の愛が試されているのか。そうだな。例えば、……ももも、もしかして、前髪切った?
「切ってません」
「やっぱりな。へえーそうだよな」
美月は少し間を空けて、何事かを考えた。それから、
「今日、みよりんさんが二組でシュータさんのことをお呼びです。昼休み、教室へ行ってやってください。あと、相園さん。あとでご相談が」
深雪は「私?」とビビっている。美月には引け目があるらしい様子。俺は窓の外に目を移してあくびをした。ミヨに呼び出されるなんて不吉だ。




