二十七.燕の持ちたる子安貝(27) 4
おえええええええ。悪夢を見ていた気がする。全てを掌握されて骨抜きにされた夢。ゆっくり全てを思い出す。そうか、俺はミヨに将来のことを全て託してしまった。美月というものがありながら。結構やらかしてね?
どう転んでも、大人になった俺は美月と結ばれるか、結ばれなかったらミヨの玉の輿になるか二択だ。人生二択。選択肢があるという幸福を全て投げうってしまったらしい。ま、まあいいか。美人妻ゲット。ピース。
「……」
「相田くん、どうした? やっぱ食べ過ぎじゃないか」
翁川に頬をペチペチ打たれた。旅館の温かく素朴な朝食を食べ終えた俺は、畳に寝転がっていた。吐くかも。
「夢でも見てたの?」
「翁川はさ、佐奈子と結婚するの? それとも遊ぶ?」
少しだけ表情が曇った。そんな質問に大して興味ないくせに……みたいな顔だ。別れて女遊びしたいなんて言ったら佐奈子に呪い殺されるだろうな。呪いとか無いんだっけ。じゃあ刺されるな。
「悪いことではないと思う。好きな人と五年後、十年後も一緒にいられるなんて現実にはなかなか無い。実現したら普通は喜ぶべきことなんじゃないか」
「一理ある。俺は好きな子と一年後も一緒にいられるかわからないんだ」
むしろ、俺みたいな男を選んでくれる女の子がいるなんてそれだけで幸せだ。そう切り換えたら元気が出て来たかもしれない。元気が出る翁川。
「さ、なら早く起き上がれよ。勉強道具持って、移動だぞ」
「た、体調悪いなあ。おえー、ゲロゲロ」
クラスごとに集合し、旅館の外に出る。清々しい山の乾いた空気だ。朝は涼しいな。山頂付近には靄がかかっている。地上にまでその寒々しい空気が垂れ込めているようだ。俺たち一行は集合して近くの集会場のような所に行くらしい。そこで進路別に講義を受ける。
「授業、講義、テスト、赤本、模試、偏差値、暗記、受験~♪」
「シュータくんが壊れちゃった」
アリスに気の毒な目で見守られる。皆もエネルギッシュに踊ろうぜ。楽しい受験、僕らの受験。英語、古文、通史、現代文、文化史、漢文~♪
「アイくん、勉強熱心になったんだね。嬉しい。私も一緒に踊る。応援するわ」
深雪もトートバッグを提げて元気に踊る。ダンシンパーリー、深雪。
「踊れない星人たちが踊ってら」
冨田から冷ややかな視線を浴びた。勉強なんかしたくないのだ。俺は休んで眠って羽を伸ばして、そうやって生きていきたい。
「大学生になってそうやって生きていくにはね、アイくん。勉強だよ。いい大学行けばサークル楽しいし、就活ラクだし、人脈広がるし、将来カレンダー通り休みながら生活できるよ」
「なにそれ夢か。勉強最高か」
深雪に勉強の尊さを洗脳されて会場まで歩いた。ぼく、べんきょうだいすき。
たどり着いたのは市民ホールのような場所だ。講習会などで使われるような会議室の一室に入る。市立の施設にしかない独特の匂い。壁のくすんだ白色がげんなりだ。会議机に三人横並び。隣は当然のようにアリス。その向こうには福岡。俺の後ろは片瀬。なんで。
「相田、おら」
意味も無く殴られる。こんな席じゃ勉強できないよ。部屋には英語教師が入って来て、共通テストのリーディング予想問題を配布する。見ただけで胸焼けするような分厚さ。これを時間いっぱい解き続けるんだから、くたびれるよな。高校生を何だと思っているのだ。
シャーペンをカチカチ鳴らして抗議。アリスはこっちにシャー芯を投げた。
「(なんだよ)」
「(ご褒美あると思って乗り切ろ!)」
ご褒美くれんの? やりぃ。とにかく時間を掛けられる問題設定ではないのでペラペラ読み下して、問題に答えていく。余計なこと考えない。集中だ。アリスも真面目に問題に取り組んでいる。線を引いたりマークをする音が聞こえる。俺も見習わないと。将来、立派な大人になって頼られる人間になるんだ。
時間終了となって、マークシートを前に送る。あとは答えを渡されて自己採点。各自で採点して二十分休憩だ。教師にご褒美のハイチュウを貰ったが一ミリも満足できない。パイナップル半切れくらいご馳走になってもいいと思うのだが。
「シュータくん、ご褒美あげなきゃね」
アリスがメジャーリーガーみたいに噛み噛みしている。ご褒美っていうと、お前のキスかな。ジョーダンジョーダン。エアジョーダン。
「えっ、そう?」
アリスがキス顔で待っていた。俺は人でなしクズではないのでそういう対価は求めないよ。肩を揉んでくれるくらいでいいんだけどな。肩が凝っちゃって。
「代わりに私が揉んであげるよ」
面白半分で片瀬に肩を破壊された。八十馬力の怪力め。俺は肩を回して脱臼していないことを確かめた。 ごめんな片瀬、肩硬かっただろ、かたじけない、なんつって。
「……」
「いででででで! アリスにご褒美貰いたいんだってば!」
片瀬を引き剥がしてアリスに揉んでもらう。アリスは美容院で学んだのか、変な手付きも交えながら親指で指圧を加えてくれる。うおおおおお、眼孔が開く。痛気持ちいい。アリスはニコニコで俺のマッサージをしている。アリス上手だぜ。
「ありがとー。昔お父さんによくやってたんだ。お父さん、作家だから肩と腰が腐ってるんだよ。ボキボキバキバキってマッサージしてたなぁ」
駄目だろ、なんか色んな意味で。最後アリスに肩甲骨の内側を剝がされて昇天した。こんな片田舎でカタルシスを迎えるとは。肩の可動域が二倍になった気がする。俺はもう寝――
「私へのご褒美がまだだよ! 私にもマッサージしてよぉ。いかがわしいやつ」
アリスよ、俺の睡眠キャンセルするな……。そろそろ寝たいのに。
「よし、そこに直れ。俺が直々に躾けてやる」
アリスを椅子に座らせ、肩を揉む。やわらかい。比較できないけど、凝ってないのでは?
「あっ、ふっ、ふ、んん……。うっふ、あぁ、えっ、ちょぉ、ん~」
チーン。なんて声を漏らしているんだ。や、やめておきますお客さん?
「なんでやめちゃうの? シュータくん意外と器用で手慣れてるよ。気持ちいい!」
あ、そうです? もしかして声が漏れていることに気が付いていないのか。俺が恥ずかしいんだけど。
「お、シュータくん気持ちいい。お、おお、そこツボ。もっと突いて……」
ふーん、えっちじゃん。深雪がそこに来て俺とアリスを見た。こんにちは、シュータ医院です。
「二人とも公共の場でサイテー」
立ち去って行った。一部のクラスメイトも好奇の目で俺たちを見ている。アリスは「声出ちゃってた?」と口を塞ぐ。いや、いいんです。施術なので! 受験生は肩凝りなので!
「まあ笑い話ってことで。ははは。ところでアリス、美月のことなんだけど」
「話さないよ。あ、ちょ、そこ……うぅんっ」




