二十七.燕の持ちたる子安貝(13) 2
「えへへ、美月かわい」
美月は素直で本当に可愛いな。俺は健気で素直な子が好みなのかもしれない。偶然にもひねくれていてワガママな女子に囲まれているが、俺はやっぱり美月みたいな子が好きだ。献身的な男子としては尽くしてあげたい系女子が相性いいよね。
「マッサージ機の上でシュータくんが気味悪い痙攣を起こしている」
目を開けるとアリスがガビーンと俺を見下ろしていた。俺は温泉上がりでマッサージ機に座っていたようだ。いつの間にか青い浴衣を身に付けている。気味の悪い痙攣ではなく、マッサージの動作で肩が動き、美月を思い出してニヤニヤしているだけだ。
「みつ、き?」
アリスが呟く。――そうだよ、美月。なぜ俺の夢で美月を見かけないのだ。
「おいアリス。今日は美月がいないのかな。美月のこと見かけないけど」
アリスは困惑したように表情を曇らせた。美月は地雷ワードか。
「アイくん、とぼけるふりしているのかもしれないけど、その話はしたくないよ」
「俺は本当にここに美月がいない理由がわからないんだよ。なあ、俺は真剣に訊いているんだって。明後日の天気を尋ねているわけじゃない。切実に今知りたいんだよ。美月はどこだ?」
アリスは一向に口を割ろうとしなかった。そこまで避けられるようなことか。喧嘩でもしたのかよ。
「美月ちゃんはいないよ」
「なぜ」
「とにかくいないの。会えない。もうやめて」
埒が明かない。一旦ここは引き下がるか。俺はよっこらしょと心の中で呟いて立ち上がった。伸びをすると温まった体が気持ち良い。さて、今は六時すぎか。自由時間なんだっけ。
「そうだ、アリス。浴衣似合うじゃん。おてんば女学生って感じで」
アリスは一転して目を輝かせた。赤の浴衣に、結い上げた黒髪が良く映える。緑のヘアピンもいつも通りだ。俺の裾をくいくい引く。あんまり跳ねると、色々ほどけてズレるし、上下に揺れるから落ち着こうな。
「でしょ⁉ 私の艶やかな和服姿にトキメキ感じちゃっていいんだよ? シュータくんは本所下町の三年寝太郎みたいな雰囲気で全然似合ってないけど」
「余計なお世話だ」
気の毒そうに俺を眺めるアリスを連れて旅館のロビーに行く。外に出ていいのなら、ここらを見て回りたい。実は財布を懐中に忍ばせてあるのだ。二人で行くか?
「え」
旅館を出たところでそう言うと、アリスは硬直した。冨田は勝手にどこか行ってしまったし、お前らを待ってたのにお前しか出て来ないし……。待つ時間も無駄だろ?
「んー? いいのかなぁ」
煮え切らないな。旅館の駐車場を抜けて道に出る。前の道路を少し歩けば店が立ち並ぶ場所へ抜ける。提灯や行灯風の照明を見やりながら無言で歩く。
石畳を歩くのも風情があって素敵だ。通りには星陽高校の生徒が各々の過ごしたい人と自由な時間を過ごしている。受験勉強のストレス解消に、温泉と夜の街のお出掛けはもってこいだ。ようやく目的の場所まで来ると、両端にお店が並ぶのが壮観に思える。射的やレトロゲームをやる気分でもないかな。アリスはどこ行きたい?
「シュータくんのお気に召すまま」
「ならすぐそこの小物店入ろうぜ」
アリスと木の扉を開けて入店する。内装はリニューアルされて小綺麗な和風の雑貨店だ。
「あ、すごく可愛い店」
アリスの表情がほどける。その背中を追って付いて行く。アリスは扇子を手に取った。
「どうでござんすか、旦那」
「おろ? う、麗しゅうでござるよ」
アリスがイシシシシシシと笑った。花柄デザインのプチプラ扇子だった。浴衣とお似合いだ。「シュータくんにはどれが似合うかなー。龍とか?」と真剣に選んでくれている。
「アイくん」
振り返ると深雪が立っていた。浴衣の深雪は綺麗で艶のある黒の短髪をしている。すぐそこの石段で腰掛けながら団扇でも持たせて日本画にしたら映えるだろうな。
「ここにいたのね。友達と歩いてたら二人でお店入るの見ちゃった」
「へえ。この店いいよな」
「うん。だけど、」
深雪は俺を引っ張る。なんだよ内緒話か?
「もっちーのこと無理に誘ってないよね? グイグイ行くのは得策じゃないでしょ」
アリスの意向はあまり訊いてないかも。一人じゃつまらんから気の合うやつと散歩しようと思っただけなのに。気が付くと、アリスが俺と深雪を眺めていた。
「な、何かいいのあったか、アリス?」
「もっちー、私も付いて来たの。可愛いグッズ教えて」
女子二人は好きに買い物をしていた。アリスは俺の褒めた扇子を購入した。深雪は「くま!」と書かれたクマの柄の巾着を買った。ダサくないか?
お前はアリスの『センス』を見習え、なんつって。
「……」
「……」
――え?
「アイくん、かなしいね」
「うん」
さて俺も扇子買っちゃおうかな。きっと旅行から帰ったら使わないんだろうけど、思い出の品として。店を出て夜風を受ける。少し涼しいけれど俺は扇子を広げて使ってみる。夜空を見上げるアリスのうなじに風を送った。さっきからどうした?
「ううん。いいんだ」
何がいいんだ。俺は同じく空を見上げてみる。空には星々が浮かんでいる。田舎だから小さい星までくっきり輝いて見えるんだな。
「シュータくん、深雪と話すとき嬉しそう」
「アリスと話すときの俺は変か?」
「私と話すとき、ちょっと緊張してる」
……そうだろうか。だって俺はアリスから告白されたことがあるんだ。別のお前から好きだと言われた。あのときは混乱して上手く答えられなかった。深雪からも告られたけど、自分の中で消化できている。
「アリスとはまだドキドキすんのかもな。でも、お前は気の許せる数少ない仲間だぜ」
「またすぐ恥ずかしげもなくそんなこと言う」
ぷくっと頬を膨らませた。俺は逆に力が抜けて溜息を吐く。でも、美月のことがずっと気掛かりだ。俺はもしかしてこの明瞭な夢の中で何か解決しないといけない問題を抱えているのか? 答えは出そうにない。今はせめてアリスとこの限られた時間を楽しもう。




