二十七.燕の持ちたる子安貝(7) 1
「シュータくんは降りないの?」
――ん? 何が起きた? アリスが俺の前髪を掻き分け、手で顔を固定し視線を合わせる。アリスがいるってことは俺はまたどこかで夢を見ているのか。片瀬や深雪に叱られそうだ。俺はどこで寝ているんだろう。
「で、こっちは何をしているんだ。もう到着したのか。温泉旅館とやらに」
「んーん。まだ」
「まだなの」
「スァービスエィリアッ! ですよ。SAGA」
「エス・エー・ジー・エーは佐賀だろ」
アリスはクフフフフと笑ってバスを降りて行ってしまう。窓の外を見ると、確かに長い観光バスが何台も停まり、人々が駐車場を降りて行っている。俺は夢の中だと知りながらも、一応トイレに行くかと思って降りることにした。俺が最後の乗客だ。後ろの座席では深雪のくたくたの単語帳や、片瀬のポテチが放置されている。リアルな夢。
「おいー、遅いぞアイ。コアラくらい眠るじゃん」
「なぜ定番のナマケモノに喩えない?」
バスを降りると冨田が待っていた。連れションなんて気色の悪い真似をするな。深雪、アリスも一緒にいる。こいつら、俺を待っているなんぞ、なんだかんだ優しくて仲間想いなのだ。
「サービスエリアなんて久々だな。軽食食おうぜ」
「アイくん、馬鹿すぎ。ここ道の駅だから」
建物の看板を見ると、確かに「道の駅○○」と書かれている。おのれアリス。謀ったな。おかげで深雪に怒られたじゃないか。
「知りま千円。お小遣いちょうだい。いま手ブラーシカなの」
アリスは愉快そうに笑って先に行ってしまった。あいつテンション高い?
「そうね。もっちーは普段からお茶目だけど、今日は特別……」
深雪がこめかみを押さえる。冨田は、
「でも倉持ちゃんはアイと隣の席になれて嬉しいんだろ。可愛げあるじゃねーか」
そう言って俺にウインクした。きもいって。よくわからんがアリスはテンションが高いと。他の皆はいつも通りかな。
トイレを済ませて集合時間を確認する。あと五分あるというから、お土産を見ようと思ったのだが5分でお土産なんて選んで買えないだろう。適当に外の施設を見て回った。福岡と片瀬がたい焼きを半分こしている。声を掛けようかと思ったら、背中をつつかれた。
「シュータくん。アイスメロンパン買ってぇ」
泣き目のアリス。財布はバスに置き忘れたのか。で、どうして俺に頼るんだ。まさか金づるだと思われていないよな。ミヨにでも借りて来い。
「実代はまだいなくて。お腹が空いて困ってるアリスちゃんを助けられるのはシュータくんしかいないんだよ」
頼られると断れないのが、俺のウィークポイントであり、イケメンポイントでもある。五分あれば間に合うか。こんな晴天だとアイスが溶けないか心配だけど、そこまで言うなら買ってやろう。
プレハブ小屋のようになっている店舗へ俺とアリスが向かう。列には星陽高校の生徒が並んでいる。どうも、理系の生徒などはいない。休憩所を分けているのか到着が遅れているのか。俺とアリスは旅行の日程を話して列で待機した。順番が回ってくると、アリスがオーダーする。
「すみませーん。メロンパンアイス一つください。あとアイスコーヒーS、氷抜きで一杯」
なぜアイスコーヒーまで頼む⁉ 俺は取り消ししてもらうわけにもいかず、お金を払った。どんだけ食いしん坊なんだ。コーヒーはプラカップですぐに提供される。
「はい、シュータくんどうぞ」
「俺にかよ。要らねえってのに」
俺はコーヒーを一杯飲む。完全なブラックだな。氷抜きにしたのはバスに持って帰るためかな。意外と気が利く。
「あ、容量が増えるからと思ったんだけど」
そっちかい。
「でも、甘いのと合うからさ。二口くらいちょうだいね」
回し飲みなんて、馬鹿じゃねーの。二杯頼めよ。
「ところで『アイスメロンパン』じゃないのか? 『メロンパンアイス』って注文してたぞ」
「ええー? もしかしてアイスにメロンパンが挟まった別の食べ物が出て来るかな? どうしよう」
慌てなくても大丈夫だ。そんなものはメニューに無い。ってか時間ヤバくね?
「焦ってきた。まだ出来ないかな。パンを焼くところから始めてないよね?」
「リベイクしてたりして。あと二分で出発だ。置いて行かれれば後発のバスに拾ってもらうしかなくなる。あるいは、クラス全員待たせてしまうぜ」
「わわわ、どうしよう。こうなりゃアイス抜きで……」
俺もじりじりと焦燥を掻き立てられた頃合いでアイスメロンパンが手渡された。アリスは喜んでかぶり付こうとする。待て、食うのはバスに乗ってから。
「とにかく走れ! あと一分しか無いぞ」
「ええっ。ちょっと待ってよ、速いって」
俺はコーヒーを片手にダッシュする。アリスはパンを大事そうに抱え、俺の後ろを付いて来る。並んだキッチンカーの隙間から駐車場へ。くそ、左からトラックが来やがった。横断歩道じゃないし、ここは譲って――
「急げー、シュータくん」
――アリス? アリスは俺の横から駐車場に飛び出そうとする。俺はコーヒーを手放してアリスに手を伸ばす。届け! 俺はアリスを左腕一本で押さえた。なんとか間に合った。
「おい、危ないだろって!」
怒鳴るとアリスはビクっと肩を震わせた。お前は一度こうやって死んだんだ。たとえ夢だとしてもお前を目の前で死なせない。アリスはパンを顔の前にかざした。
「ほ、ほらパンは無事だったよ。だから怖い顔しないで」
「食べ物なんかどうだっていいんだよ! 俺はお前が目の前で死んだら、もう耐えられない。手の届くところで誰かを見殺しにするなんてできないんだよ」
アリスは「わかったよ」と俺を遠ざける。少し言い過ぎたか? 怖がらせてしまったかもしれない。でも本当にアリスには事故に遭って欲しくなかったんだ。俺は空のコップを拾い、「行こう」とアリスを連れて駐車場を歩き出す。気を付けろよ。
「なあ、強く言い過ぎてごめんな。聞いてる?」
バスの乗り口に着いても口を開かないアリスを気に掛ける。あんなに元気だったのに、途端に黙ってしまった。俺がアリスの顔を覗くと、唇を真一文字に結んでいた。
「――っ、こんな顔見ないでよ。恥ずかしい、から」
アリスは逃げるようにバスに乗り込んで行ってしまった。――は?
「お、おいアリス。マズいことでもしたっけ?」
座席まで追い掛けると、アリスは深雪の手を引っ張っていた。
「お願い、深雪。席替わってよ!」
「なんで? ほら潰れちゃうわよ。大人しく座って食べなさい」深雪は訝しむ。
アリスは俺の姿を見ると、顔をひきつらせた。
「お前、いきなりどうしたんだよ、怒ってんのか?」
俺が座ると、アリスも隣に腰掛け、なるべく端の方に座ってちびちび食べている。今回の俺の夢ってこういうラブコメ系統なのか? ちなみにバスは冨田のトイレ(大)のせいで遅延しましたとさ。




