二十四.竜を殺さむ(11)
「契約成立ね。ルナは貰う。実代さんは返してあげる」
ミヨが俺の胸元に突き出される。ミヨは複雑な表情で俺を見上げた。俺もどんな顔したらいいかわかんねえよ。美月はユリの方へ足を進める。美月が行ってしまう……。
待ってくれ。これまで一年以上一緒にいたんだぞ。こんなことで、いきなりお別れなんて。
「シュータさん、泣かないでくださいよ」
――え、俺泣いてる?
「いつかまた会えるのです。偶然出逢えたように、またどこかで逢えます」
「違うよ、美月。俺は美月とまだ話したい」
「さようならです。ウニ、食べたかったですね」
美月の目から涙がこぼれ落ちた。まだ、待ってくれ。やっぱり俺には力が無いのか。助けたくても、結局こうして中途半端になってしまう。美月は闇に消えてしまう。
「嫌だよ、美月」
そのとき、
「諦めないでください。こっちです!」
声が聞こえた。美月の体が揺れたと思うと、誰かに手を引かれて行く。
「誰かじゃないわよ。誰も、見えないけど」
美月がひとりでに走り出したわけじゃないだろ。声だけ、姿が見えない。まさか、
「……タコちゃん」
ミヨが目を見開く。透明人間の阿部だ。もしかしてずっといたのか? ノエルと一緒に来ていて――。そう言えば、ノエルは阿部と約束していた。何かあるときは巻き込んでくれと。
阿部は公園に瞬間移動したときからずっと付いて来ていて、チャンスを狙っていたのだ。
「形態変化か。馬鹿ね、赤外線で姿は追える」とユリが構える。
美月が透明に変われない時点で場所が把握されるのは仕方ない。そうじゃなくて、阿部が隙を突いて、美月を奪回してくれた。好機だ。
「ノエルくんの敵討ちですよ! シュータセンパイ、反撃のターンです」
阿部が励ましてくれた。俺は左手を見る。美月が何かを握らせた。これは?
「カプセルじゃないの。何よそれ」
ミヨが首を傾げる。美月がくれたんだ。きっとこれって、あれだよな。俺はひと思いに飲み込む。水が欲しいけど文句は言えない。少しクラッとする。しばらくして意味不明な文字列と数字が目の前に並ぶ。体内コンピューターだ。
「美月がくれた。だけど、どう使えばいいかわかんねえ」
そもそも文字が読めない。ところどころダウンしているし。でもまあ、目の前に大きく出ている選択肢。意味わかんないけど、「Ready?」とか「OK?」って意味だろう。信頼するぜ、美月。これを押せば、ユリに対抗できるんだな。
ユリは美月の前に立ち塞がる。透明の阿部もそこにいるだろう。待ってろ。ユリや磯上の真似をして、
「〈脚部・強化〉……!」
足がふわりと軽くなる。疲労も傷も関係ない。ひと蹴りで数メートル前進する。三メートルも離れた美月の元まで一瞬だ。土煙が上がる。
「シュータさん!」
「任せろ。無様でも勝ちは拾う。ありがとな」
「ユリさんのギフトは副作用の調整が――」
「関係ない。ここで勝たなきゃ俺たちの未来は無いんだ」
今は阿部と逃げろ。できるだけ遠くへ、安全な場所へ。背後にいるミヨだって、できれば遠くへ――と言っても、コイツは言うこと聞かないよな。涙目で両手を組み合わせて俺の背中を見つめている。俺を残して行くなんてできないか。
俺は「〈腕部・強化〉」と口にする。声に出すだけで全身に回った無数の装置が連動して機能する感覚が伝わる。自分の体じゃないみたいに、軽く素早く肉体が動く。こんな便利なもの、反動が無くちゃ嘘だ。きっと後悔するはずだ。
「ユリ、真正面からケンカだ」
「無謀な男との喧嘩なんて一番つまんないわね」
俺の拳をユリが受け止める。手を掴まれた。今度こそ投げ飛ばされない。地面に踏ん張って、拳を引き、第二弾を打つ。勝たなくていい。時間を稼げ。
「ユリ、予想外だろ。俺はお前を倒せる」
「んなワケないでしょ。片輪で勝とうなんて」
確かに俺の利き手は折れて封じられている。でもそれがなんだ。気持ちでは負けない。お前は初めから仕事で引き受けている。俺は美月を愛するからここに立っている。美月に思い入れがあるのは一緒だ。
だが、お前はそれが足かせになっている。最初から美月を気絶させてでも運べば良かったんだ。薬で眠らせたって良かった。でも、情が入ったから中途半端にやったんだ。
――俺は違う。美月を愛するからこそ、本気で戦える。お前の負けだよ、ユリ。迷いがあったら勝てない。死に物狂いで向かってくる一人の足軽には、十人の大将で寄ってたかっても勝てない。
「邪魔すんなっ。アタシはやらなきゃいけないの! アタシはルナの母代わりなの! 母親のいなくなったあの子を導けるのはアタシしかいない。ルナの人生を守る責任が、アタシにはある。邪魔しないで」
ユリは俺の腹に拳を叩き込む。容赦ない、強化済みのパンチ。
「うっ」
〈腹部・強化〉。こうすれば防げるんだったよな。いいぜ、お返ししてやる。めっちゃ痛いけどな! 倒れなきゃ儲けもんだ。
「転べ、ユリ」
足をかけるために足を横に引く。ユリは咄嗟に足を引いて態勢を低くした。
「……ふう」
息を吐く。足かけはフェイント。ユリを倒すにはどうするか。まともに肉弾戦を続けても勝てない。身体がもたないからな。狙うは起死回生の一撃必殺。なら、狙うは急所だ。人間の急所は、顎だ。
「〈腕部・最大強化〉」
左腕の腱がバチバチと音を立てる。ぶち切れそうだ。ユリが俺の狙いに気付く。その青ざめた表情だけが視界に残り、次の一瞬間には顎にアッパーが直撃していた。
「……らあっ!」
思い切り腕を振り抜いた。確実に当たった感触。ユリは背後に吹っ飛ぶ。力なく背中から石畳に倒れ込んだ。俺の体から放った攻撃じゃないみたいだ。
ユリはふら、ふらと立ち上がる。
「お前、まだ」
愕然とした。脳震とうは傷やダメージ云々の話じゃない。意識も平衡感覚も無くなる。ややもすれば生理反応すらできなくなる。だから、ユリが再び倒れたときには安心した。ほっと溜息を吐く。
「やりい」
勝ったんだな。あの化け物のユリに。自分の腕を見ると、ボコボコと血管が脈動してビリビリと電流のような痛みが流れた。これじゃもう両手とも使い物にならんな。豆腐も掴めないだろう。
後は瞬きを待つだけだ。美月はきちんと逃げられたかな。




