二十四.竜を殺さむ(3)
「ねえ、見上げて御覧。星が綺麗だよ」
「星なんかほぼ見えないが」
町中の空では一等星しか見えない。月は少し痩せた半月といったところかな。雲が無いから綺麗な空だとは思うけどね。どうした急に。空の話なんか。無理やりロマンチックにしようとしてないか?
「あはは。ねえ、前に二人で夜空を見上げたのがいつか覚えてる?」
相園に尋ねられて、自分の記憶を探っていく。相園と夜に会ったことなんかそうそうない。俺は二つ思い浮べた。
「去年の文化祭の後夜祭で会ったよな」
「ああ、そう言えば。あのときは美月さんに邪魔されて手を繋げなかったね」
「美月は邪魔なんかしてないぞ」
後夜祭で屋外のグラウンドの芝に座っていたら、相園が来たのだった。美月が来て相園は帰って行ったんだっけ。
「そのときは空を見てないでしょ。その前」
「一年のときか。花火を見た。お前んちのベランダで」
相園は微笑んだ。確か七月のことだ。実行委員が忙しかったあの頃、生徒会室に置いてあった相園の教科書を間違って持ち帰ってしまった。ちょうど期末考査の前だったから俺は気を利かせて相園のマンションまで届けに行ったのだ。
その日は花火大会で、相園に部屋まで案内された。家族がいたら困ると思っていたら、予想外にも相園一人。電気の消された五階の部屋で、俺たちはベランダに出た。蒸し暑い日だった。
「何の話をしたでしょうか? 覚えてる?」
「覚えてるに決まってるだろ。俺のことなんだから。将来の仕事の話をしてた」
なぜ親がいないのか訊いたのだ。相園は母が病院にいて、父が会いに行っているからだと答えた。相園の母親は、相園が中学生のときに交通事故で下半身麻痺になった。俺が一年生の当時はまだ病院でリハビリを受けていたのだ。父親は母に付き添い、仕事終わりや休日に会いに行くという。夜は一人で過ごすこともあるらしかった。
親が傍にいないミヨは、そういう意味で相園に似ていたな。生真面目な美月も相園に似ている。俺はたぶん、相園みたいな人が好きだったのだ。これは墓場まで誰にも言わないつもりだ。
あの日――
『なんで花火見ようなんて言ったんだよ』
『だって、一人で見るの寂しいじゃない。花火が打ち上がって、下では夏祭りやってるんだよ』
『俺と一緒なら寂しくないか?』
『うん』
『……そ、そうか』
相園の母が事故に遭った際、母が入院したり、保険や民事刑事の法的手続きが立て込んだりして、家庭が慌ただしくなったらしい。受験のストレスもあって相園は塞ぎ込んでいた。
そのときに助けてくれたのが、担当の弁護士だった。相園は親身に向き合ってくれたその女性弁護士に憧れて、将来弁護士になることを決めたのだ。逆算して大学では法学部に進む。そのため星陽高校の文系進学コースを選んだ。
『大学行って卒業してからも試験勉強するんだろ。俺なら嫌だ。馬鹿みてえ』
『いいえ。私は目の前で困っている人を放っておけない性格なの。いざという時に、自分に助ける力が無かったらもどかしいじゃない。中学生の私がまさにそうだった。自分が弁護士かお医者さんだったら、せめてお父さんみたいに収入があれば、お母さんみたいに家事がこなせたら、自分も助けになれたのにって。だからね、私は頑張れる』
『俺も、誰かを助ける力があればいいのに、と思うことはあるな。俺はできる範囲のことしかやらないって決めててさ。昔、藪蛇で女の子を泣かせたから』
『そうね。できることが多いってカッコいいよね』
『ああ。今のところだけ、頼りない深雪のことは俺が守ってやる』
『じゃあ私も、アイくんがピンチのとき救ってあげる』
花火はなんとなく見ていた気がする。集中していなかったから、綺麗だったのかどうかもよくわからない。だけど、30分くらい相園と話した内容は今でも覚えていた。――
「ま、深雪が弁護士になりたいってのは今でも応援してるよ」
「アイくんは、将来の夢は見つかった?」
俺は相園と繋いでいる手に少しだけ力をこめる。自分の夢を語るのは恥ずかしいものだ。
「文学部で、哲学の勉強したいんだっけ?」
「そうだよ。倫理とか、そっち方面で学びたいことが見つかった」
美月たちのおかげでな。ところで大事な話とは……。お前、何がしたいんだ。
「昔のアイくんは、私のことが好きだったんだよね」
「今も嫌いなわけじゃないけどな」
「好きなの?」
目を覗き込まれる。俺は嘘が得意ではないから、ちょっと自信が無い。
「好きってお前、どういう意味で言ってんだよ」
「私に恋をしているかどうかですけど」
そう言うと、相園は横目でちらっと視線を外した。流石に恥ずかしいのかな。
「変なこと言うなよ。らしくない」
「ねえ、アイくん。私なりに真剣に考えたんだよ。アイくんに初恋だって言われて、自分はどう思っていたのかなって」
相園の手が熱い。緊張しているのだろうか。俺は急展開で心臓が追い付かないんだけど。
「好きだったかどうか?」
「ううん。どれくらい好きだったか考えたの」
――え。つまり、それって。
「ねえ、告白したいからちゃんと聞いて」
俺は向き合う。相園の顔が真っ赤に。俺も今どういう顔しているかわからない。
「とりあえず、手を放さないか?」
「私、相田くんが好き。宇宙で一番大好き。誰よりも相田くんが大事なの」
それが、相園の答え。いや、何となくわかっていた、というかこいつが俺以外の男子と親しげに話しているのを見たことが無いだけなんだけど。えっと、俺はどうしたらいい? 手を放してくれないから逃げられないし。やば、手汗が。
「私、アイくんと付き合いたい。そりゃアイくんが人気者で、去年はみよりんや美月さんと一緒に過ごしたことも知ってる。だけど、願わくば私を選んで欲しい。私は真剣だよ」
相園は泣きそうになっているように見える。きっと勇気を振り絞ったのだ。俺はどう応えたらいいのだろう。この気持ちに。俺は深呼吸した。
「深雪、俺はお前のこと認めてるよ。真面目で人付き合いが上手で、怒った顔もなんていうか、可愛い」
相園は目を見開いて驚く。繋いだ手に爪が突き刺さっている。力入れすぎ。
「俺、深雪がいたから怠け者の自分を変えたいと思ったんだ。そう考えると、美月やミヨと知り合えたのも全部深雪のおかげ。本当に深雪と会えて良かった」
「ってことは……」
「俺は深雪のこと――」
「待って‼」




