二十四.竜を殺さむ
横川は自分に都合がいいように妄想した。金ヶ崎は自分がノエルに嫌われているものだと思い込んだ。そして俺も、自分ができる範囲に見切りをつけて一歩を踏み出せないでいた。まあ、見事に間違えた。俺の面倒臭がりも面食いもこれで終わりかな。
体操服から制服に着替える。更衣室の窓から外を覗くと、空はすっかり群青色に染まっていた。やっと委員会も終わった。打ち上げがあるとかいう噂も聞くけど俺は行かない。疲れたので直帰する。更衣室を出て、水道で顔を洗っていると背中を誰かにつつかれた。顔をタオルで拭いて見ると、そこには美月がいた。後ろで髪を束ねている。暑いのかもしれない。
「シュ・ウ・タさん」
「んだよ、可愛いな」
「紅組は負けてしまいましたが、美月は嬉しいです」
俺はタオルを首に巻く。ほっとしてつい笑ってしまう。美月と一緒だと安心する。
「何が嬉しいの?」
「シュータさんを知れたこと、一緒に走れたこと、何より相園さんと仲良くしていたことが嬉しいです」
三本指を立てた。なんで俺が相園と仲良くなると嬉しいのだ。美月はニコニコしている。俺は特に相園と仲良くしたいなんて言ってないぞ。仲悪くてもいいとは思っていないが。
「シュータさんは、相園さんと話しているときはとても自然体です。それって素敵なことじゃないですか? 私、三年生になってシュータさんの知らない面をたくさん見られました。相園さんのおかげです」
当然俺には相園にしか見せない姿がある。だがもちろん美月にも同じことが言える。なんか最近の美月は変なんだよな。俺は廊下を歩き出して、昇降口に向かう。美月は隣を付いて来る。いつも隣を歩くのが俺たちの習慣だ。
「ねえ、美月は俺との関係が変わったら嫌か?」
「嫌ではないです。シュータさんと仲良くなるのは好ましいことです」
美月の金の前髪が静かに揺れる。俺の真意を確かめようとしているみたいだ。
「俺、女の子として深雪が好きだ。付き合いたい」
笑顔が消えた。美月は口を開いて固まる。まばたきをした目が潤んだ。わかりやすい反応だな。
「って言ったら、美月はどう思う?」
「い、いいと思います! お似合いです。早く打ち明けてくだされば良かったのです。私は初めから、お、応援したかったのです。お付き合いできたら祝賀会します」
美月はぎこちない笑顔を浮かべる。手を組み合わせて俺を見つめた。
「嘘だ。本気で言ってねーよ。すまないな」
「う、嘘なのですか? なんで騙したのですか? 勝手に謝らないでください!」
俺が鼻で笑って歩いてしまうと、美月は追い掛けて背中をぽこっとバッグで殴ってきた。さっき福岡たちから受け取ったものだ。
「嘘吐きのシュータさんには、こうです」
痛くないけどね。美月の気持ちはよくわかったよ。佐奈子ほどポーカーフェイスじゃなければ俺だってわかるから。下駄箱の前にはミヨが待っていた。退屈そうにリュックでリフティングをしている。俺の買ってあげたリュック!
「あら美月。呼びに行っただけにしては遅いじゃない?」
「そんなことありません。シュータさんと私はのんびりなのです」
「私がせっかちって言いたいの?」
そうだろ。
「あーあ。わかったわよ。帰りましょ」
ミヨがリュックを背負って出て行くので、俺も上履きをしまう。するとスニーカーの上に何かが乗っているのを見つけた。普通サイズの紙飛行機だ。文字が書いてある。
広げると、「お疲れ様! みよりん」という文面。ミヨからの贈り物か。隣では同じく美月が紙飛行機を持っている。ミヨは世話になった皆にこれを送っていたのか。可愛らしいやつ。スニーカーを履いてつま先をとんとんする。ミヨがきまり悪そうに靴を履いている。
「ミヨ」
「何ヨ」
「みよりんさん!」
「何ヨ」
俺と美月は顔を見合わせて笑う。ミヨは「本当に何なのよ!」と怒りんぼ。いいから、いつも通り三人で帰ろうぜ。やんややんやと騒がしく話しながら校舎を出て、正門へ向かう。
「卒業旅行ではさ、三人で会いましょうね。私の行きたいコースに行くの。もちろん美月の買いたい物も買ってあげるわ。それと、シュータと二人で回る時間も欲しいけど、」
「いいぞ、別に」
「いいですよ、みよりんさん」
「いいんだ! じゃあ代わり番こで、美月も二人でいいのよ。えー、そうと決まったら色々悩んじゃうわね。シュータにも楽しんでもらわなくっちゃ」
日が沈んで夜空へと移り変わっていく。正門をくぐると、俺はびっくりした。壁に背を預けている人物。その陰が見えたのだ。ショートヘアの女子生徒。相園深雪だ。スマホを眺めていた。妙に沈んだ表情をしている。
「深雪か。びっくりしたぞ」
「一緒に帰ろう」
相園は俺の手を握った。目を合わせてくれない。いや、一旦踏みとどまれ。ここに美月もミヨもいるのが見えるだろう。先ほどもミヨをガチギレさせたばかりじゃないか。
相園は顔を上げて、ミヨを真っ直ぐ見つめる。ミヨはビビッて頬を強張らせた。
「にゃにヨ」
「みよりん。私、アイくんに話があるの。とても大事な話。今したいって思った」
ミヨはコクンと頷いた。一歩後ずさりしている。美月は不安そうに事の成り行きを見守っていた。俺は手を握られたままだ。
「これから二人で話をしに行く。だから、今日は借りるね。アイくん」
待て、いきなり大事な話って何だよ。心当たり無いぞ。でもミヨは「わ、わかった」と言う。そんな、もう夜なのにこれから行く所なんか無いだろう。
「別に私に許可を取る必要なんか無いじゃない。借りるって言われても、私にシュータを貸す筋合いは無いわけだし、好きにしたらいいじゃない」
「後悔しないでね」
相園はあくまで真剣な声音を崩さなかった。じりじりと見つめ合っても、視線が揺らがなかった。何か決意を決めて来たのだろうか。
「後悔? 何のこと言ってんのかしら。みよりん馬鹿だからわかんないわ」
それから相園は美月にも目線を送った。心なしか冷たい視線だった。
「美月さん。アイくんに何か言っておくことはある?」
美月も俺と同じで戸惑っていた。バッグを持つ手に力を入れて、
「シュータさんとは、これからもこれまで通りです。言うべきことは思い付きませんが」
「私に話があるんじゃなかったかな? 今で良ければ聞くけど」
美月は本日の朝に、相園を手紙で呼び出したんだったな。結局その内容は言わずじまいだったけれども。美月は首を振った。
「いいえ、それはもう済んだのです。私はこれでいいと思います」
もう済んだ? 何か懸念事項が解決したのだろうか。
「じゃ、行こ。アイくん」
「いいけど、夕飯おごれって言われても無理だぞ」
俺は相園に手を引かれて、先に学校を出た。振り返ると、ミヨはぎゅっと口を結び、美月はぼんやりしている。あいつらにも挨拶しないと駄目じゃん。
「おーい。美月、ミヨ。おうち帰って早く寝るんだぞ。また来週な」
二人は苦笑いするだけで、特に返事らしい返事も無かった。街灯が明るい坂道を下り、俺と相園は駅の方面へ歩みを進めて行く。相園は凛々しい表情で迷いが無い。




