二十三.神の助けあらば(39)
「おい、横川。海老名には双子の兄がいるんだよな。頭がいい男子高校に通う、どっちかと言うと性格良さげな兄が。あいつと入れ替わって入試を受けてたってことか?」
横川は「そう、です」と頷く。
「いや、俺はしてないけど!」
海老名が大慌てで割って入る。まあちょっと待て。まず相園に訊く。どうなんだ? 相園は俺の目をはっきり見て答える。
「まず生徒会は入試の結果を知りません。入学後の実力テストの結果も、貼り出すように言われたものしか見ることはできません。私が新入生のことは全員把握してますって言うのも冗談です。それに海老名くんを特別叱った記憶もありません。相田くんと冨田くんには厳しく当たることもあるけど、それ以外には相応の態度で接しているつもりです。加えて、替え玉があったなんて噂も聞いたことがありません」
だろうな。全ては横川のお門違いな妄想に過ぎない。まず、この時点で相園の潔白は証明された。
いいか、横川。泥を投げたんだぞ。相園は汚れただけじゃなく、心まで傷付いた。ちなみに泥をぶつけて汚せば、暴行罪だし器物損壊罪にあたる。怪我をさせたら傷害罪。意味不明な根拠の無いことが原因で、それを言いふらせば名誉棄損、酷いケースは侮辱罪。いじめ認定されれば、本来なら停学だってあり得るんだぞ。謝罪できるか。
「いいってアイくん」
「替え玉疑惑の前に、まずは謝らせるべきだろ。お人好し過ぎるんだよ」
引き留めようとする相園を振りほどき、俺は立ち上がった。
「深雪を傷付けたことを謝れ。こいつは三年間も生徒会で活動してるんだ。プレッシャーや責任感とそれだけ闘ってるんだよ。しかも見返りなしで。俺なら真似できない。そんな中でも努力できる人間を俺は尊敬する。だけどお前はただの勘違いで傷付けたよな。しかもその立場をなじった。だから謝れ。誇りを持って仕事をしてる深雪に謝れ」
相園も立ち上がった。振り返ると、困ったような顔をしている。
「いいのに。アイくん、そんなこと思ってたの」
「ああ、深雪を守るのは俺の役目だろ」
「……ばか」
これくらいしかできないからな。横川はきょどる。海老名が頭を小突いた。
「謝れよ」
「うう、す、すみませんでしたぁ。私、妄想だけで勝手にこんな、大変なことしてしまって。だって、だって」
「いいってば。色んな人がいるから、私は一人一人気にしないし」
相園が目を逸らした。横川はかなり気が動転している。追い打ちをかけるようで悪いが、ここで全部をはっきりさせておこう。相園の件は一段落着いただろう。犯人も見つけたし、疑いも晴れた。俺と美月の推理は的中だ。
「それでだ。替え玉のことだが、これも勘違いだろ。海老名?」
「でしょうね。俺は正式に入試を受けて、星陽高校に受かった」
横川は顔面蒼白になる。ま、そんなことだろうと思った。ミヨが、
「え、ってことは全部この子の妄想ってこと?」
だろうな。俺はそう思う。だが、横川はまだ一応反論する力が残っているようだ。辛うじて。
「そ、それはないです。海老名くんは入試に来なかったでしょ。私は見たんです。兄の西也が試験会場に来たのを」
まあ、それは兄貴も来ただろうなとは思う。相園が俺を見る。
「知らないでしょ、アイくんは」
「金ヶ崎っていう女子から聞いたんだよ。金ヶ崎は海老名兄と会ったことがある。そのとき何を話したか聞いたら、『共通の話題』として『星陽高校入試』の話をしたって言ってた。前のことだけどな。だから兄も星陽高校の入試に来ていることは間違いないだろうって」
「ほら、相田先輩だって言ってるじゃないですか!」
横川が食い付いてきた。その通りだ。でもだからって替え玉だとは限らない。
「なあ、海老名。お前らは兄弟で受けたんだな。星陽高校を」
「そうっす。俺は普通科コース。兄貴は特進コースを受験しました」
「あ、あれ? でででも、兄の方は男子校に行ったじゃない」と横川。
「西也は滑り止めだ。俺は本命でギリギリだったけど」
それなら兄弟揃って星陽高校の入試に来ていたとしても何ら矛盾は無い。
「でも、私見たんです。同じ教室の前方の席に兄が座っていました」
「なぜそれが兄だと判別できた?」
横川は自信を持って答える。兄弟の識別には自信があるみたいだ。
「眼鏡をしていなかったからです。海老名くんは勉強するときはギャップ萌え眼鏡をかけます」
海老名兄弟の見分け方は、視力と猫舌だ。そこで海老名が口を開く。
「そりゃ西也は特進クラスなんだ。横川と一緒の教室だろ。俺や酒木は普通科。別の教室だった」
ということらしい。どうなんだ横川。認める気になったか。
「じゃ、じゃあ、別の教室にいた海老名くんに気が付かなかったってことなの。何より、海老名くん、自分の実力で星陽高校に受かったってこと?」
「失礼だな。俺だって勉強したんだ。ギリギリだったけどな」
横川はついにその場に座り込んだ。とんだ大迷惑ガールだ。海老名にも謝れ。
「嫌だっ!」
横川がお下げ髪を振って絶叫した。涙を浮かべて悔しがっている。とんでもない地雷女と関わりを持ってしまった。横川は海老名を見上げる。
「海老名くんは、ダメ男じゃなきゃ駄目なの」
俺たちは呆気に取られる。
「替え玉して、いつも赤点で、口が悪くて、性格も悪くて、バレー以外で兄に負けてばかりで、でもそんなバレーも辞めて楽器に耽って、好きだった酒木ちゃんは兄が好きで、やっと付き合えたと思ったら馬鹿ギャルに浮気して、委員会の仕事もサボるようなダメ男じゃなきゃ駄目なんです~」
そう言って泣き始めた。
「それなのに! 入試をパスして、ギター頑張って、中間考査でも赤点は取らなかったし、浮気もしない、委員会も真面目にやる。こんなの私が知る海老名くんじゃない!」
いよいよ手が付けられん。ミヨが勇気を振り絞って声を掛ける。
「あんた、ダメンズ好きってことかしら? 私わかんないわ。ダメなところがあっても良いところがあるから許せるわけで……。とにかく海老名って人が何もできずに自分に頼ってくれるのが嬉しいのね? 好きってこと?」
横川はお下げ髪を振って否定した。
「私は海老名くんに頼られたいわけじゃないです。私は、ぐす、酒木ちゃんと陽キャどうしで付き合っているのを見たいんです。それが最も尊いですから。でも浮気して嫌われそうになって、そこで私が登場して二人の仲を何とか取り持ちたいんですよ。赤点を取って本当に留年しそうになったときに、私が陰で助けてあげたい。今回も悪くどい副会長に退学に追い込まれたとき、私が泥を投げて救い出す手筈だったんです。私は海老名くんと酒木ちゃんの尊い理想郷を守護るのが使命なんです。うう」
もう何言ってるのかわからん。俺は溜息が出た。相園も同時だ。
「はあ、よくわかんない領域だけど、逆にどうでも良くなっちゃった」
ここまでのやつだとは思わなかったよな。酒木の言った通り、横川は海老名オタクなのかもしれない。
ただ金ヶ崎が浮気を疑われた件を思い出すと、ちょっと引っ掛かっていた点があったのは事実だ。横川は弟を「海老名くん」のように「君付け」する。兄は「兄」だの「西也」だのと呼び捨てだ。
横川が浮気を指摘したとき、「海老名と金ヶ崎が浮気した」というような言い方をした。つまりあのときも区別はできていたのではないか。兄と金ヶ崎がデートしていたと知っていたにもかかわらず、弟に浮気をなすりつけようとしたのではないだろうか。想像だけど。




