一.黄金ある竹を見つくる(4)らいと
「ありがとうございます、相田さん。とってもとっても親切ですね」
竹本が隣に並んで歩いていた。少し汗をかいて、俺を見上げている。カレーは手元にしっかりとあった。なぜ? さっき確実に床に落ちたはずで――
「竹本さん、さっきカレーこぼさなかった?」
「ど、どうしてですか?」
「こぼしたよね。床に」
「そ、それはどうして、そう思うのですか?」
美月が詰め寄る。こらこら、またこぼれる。
「いや、さっきガッシャーンって引っくり返すのを見たから」
不思議そうにじっと見つめられた。俺の記憶違いかな。いや、んなわけなかろうと思うが……。でも周りも竹本も驚いたり慌てたりしている様子はない。いつも通りの食堂の風景だ。
カレーをこぼしたってのは、俺の勘違いか。そうなのだろう。昨日から俺の頭は幻覚を見ているだけなのだ。新学期で疲れているからな。そうそう、そういうことだ。忘れよう。
「気にしないでくれ。勘違いかもしれない」
「そ、そうですね。席を探しましょう! 混み合っていますし」
俺は自分の頭を疑いながら、冨田と座っていた席に案内した。冨田は竹本の姿を見つけると、米を吹き出しそうになった。別にナンパに成功したわけじゃないからな。
「嫌じゃなければ隣にどう? 本当に嫌じゃなければ」
「席を確保できれば充分です。相田さん、ありがとう」
いえいえ全然。やばい、感謝されるとつい頬が緩む。冨田は口の中の物を飲み込んで、難しい顔で俺と向き合った。
「どう口説いた」
「口説いてない。親切にしただけだ」
俺は冷めた味噌ラーメンをすすった。隣の美月は「じゃあいただきます」とふーふーしてから一口。
「美味しいですね」
ほんと?
「はい。相田さん、グルメですね」
食堂に来たやつらはみんな知ってると思うよ。美月は子供のように目を輝かせてカレーを食している。そんな姿を見ていると、こっちまで嬉しくなるな。冨田は竹本に見惚れるというより、俺のナンパ成功(俺的にはナンパじゃないが)に呆れたまま、
「竹本ちゃん、カレーを知らないの?」と訊く。
「はい。今日初めて食べました」
――ん? カツカレーじゃなくて、カレーそのものが初めてってことか。帰国子女だとは知っていたけど、どこから来たんだ。
「アメリカの、えっと、どこがいいのでしょう? ハワイ州出身なので」
竹本は笑顔でそう教えてくれた。ハワイ? 本土じゃないのか。
「本土じゃないんですか?」竹本がびっくり。
いや、自分が住んでたんでしょ。竹本は慌てて、こほこほとむせた。大丈夫か? 涙目になっちゃったけど。すると再び瞬きのような断絶が――。
竹本が目の端をこすり、胸を叩いてから話し出す。
「……ん、んん。アメリカの、カリフォルニア出身ですので」
カリフォルニア? さっきはハワイって……。けれど冨田は「へー、かっけえ」と納得している。待て待て。さっきから何が起きているんだ。カレーをこぼしたのも、「ハワイ」って言ったのも無かったことになっている。どう考えても変だけど、じゃあ原因が何かと言われると何だろう。幻聴なのだろうか。
「最初、ハワイって言わなかった?」
「あ、相田さん……」
「はあ? 竹本ちゃんがハワイ生まれなわけないだろ。この純白タマゴ肌が」
別にハワイにも日焼けしていない人はいるだろうがな。なら、
「時間が巻き戻っているのか」
「……!」
俺がぽつりと呟くと、竹本はパッと俺の方を見た。驚いたのだろうか。俺を見て硬直している。何で反応したのかよくわからないけど、
「ってかさ、竹本さん。カリフォルニアにもカレーあるよね」
「あ、ありませんよ。全く見たことも聞いたこともありませんっ。カリフォルニア人は肉以外の物を一切食べませんので!」
んな馬鹿なことあるかい、とツッコミそうになったが、これは帰国子女ジョークなのかもしれないと思うと強く出られない。俺のツッコミ魂が消化不良を訴えている……。
「あ、み、美月ちゃん見っけ」
背後で声がしたと思って振り返ると、そこにはお団子頭の福岡がいた。ということは後ろに片瀬もいる。なぜお前ら二人組がここに……?
「何よ、相田。いちゃ悪い?」
いいえ。片瀬に睨まれたら何も言えない。
「相田くんたちこそ、なななんでここにいるの?」と福岡。
「私たちが先に美月ちゃんと食べる約束してたんですけど」
片瀬がそう言うのを聞いて、「え、そうなのか」と驚く。美月は一人で食券機に並んでいたからつい誘ってしまったんだけど。
「私は水泳部のミーティング。岡ちゃん(福岡のこと)も放課後の体験入部の準備があって、吹奏楽部の皆と話してた」
だから竹本だけ先に来て、お前らは遅れて来たのか。
「そ。席を確保してもらおうと思ってね? 美月ちゃん一人で大丈夫そうだった?」
……ぜんぜん。ちなみに俺と片瀬が話す脇では、
「チャラ田くん、また女の子をナンパしてるの。最低の屑野郎だよ。もうっ」
福岡がぷりぷり怒って冨田を殴っていた。グーで。力加減してやれ。普通に痛そう。
「俺じゃねーって。連れて来たのはアイだよ。自分からな」
女子二人から一気に冷たい視線を浴びる。まあまあ。まずは俺たちの隣に腰を落ち着けてもらった。五人で座る。
「すみません、先にいただいちゃって」竹本は謝った。
「いや、先食べてって言ったの私たちだし、いいんだよ」
片瀬が竹本に優しく微笑みかける。どうしてその平和的な笑顔を俺たち男子に向けられないんだ。
「ねえ美月ちゃん。何もされてない? あ、相田くんは、面食いだから気を付けてね」
福岡に指を差される。ほぼ初対面にその話はしないでくれ。たとえ冗談だとしても本気にされたらデメリットしかないからね。
「め、メークインですか? イモ」竹本は眉をひそめる。
何を言っているんだろう。日本語に疎い竹本には意味が通じていないらしいので、俺は咄嗟に誤魔化す。
「俺は、なんてゆーか、麺類が好きなんだ。ほら味噌ラーメン食ってるだろ? だから『めんくい』って言われてるの」
「確かに。その麺も美味しそうで気になっていたのです」
竹本が俺のラーメンを覗き込んだ。セーフ。上手く話題を逸らせた。代わりに俺以外の三人はくすくす笑っているけどな。人を馬鹿にしやがって。