二.深き心ざしを知らでは(18)らいと
「私は認めない。現実は醜いもの。親の自慢なんかされても」
いくらか人間らしい口調が戻っている。こいつの中で抑圧された感情が動き出しているのか。普段の坂元というよりは潜在意識のようなものなのだと気付いた。
「家では、私はいつも劣等生。家族は私のこと、嫌いだから」
「なんでそんなこと言うの!」
ミヨの言葉には耳を貸さない。
「両親は優秀な妹が好きなの。妹は可愛くて、勉強できてピアノが上手で、学校では人望があって自慢の娘。私は学業は普通、家ではパソコンばっかいじってる。私はすぐ妹と比べられて、ちゃんとしなさい、情けない、どうして姉妹でこんなに違っちゃったのって言われる。私は邪魔者扱い」
「いいえ、坂元ちゃんはいい子よ。ご家族だってそう思ってる。信じてあげなさいよ」
坂元は笑った。もちろん俺の目には冷笑に映った。
「あなたが言う? あなただって家族のコト本当は、信じていないでしょ。幼少期から親と離れて暮らして、今だって一人暮らししている。親と上手くいってないんでしょ。上辺だけで家族と偽って、実際は両親とも仕事が大事なんじゃない。あなただって、親が不必要、自活できる。お互い疎んでる。私と何も変わらない」
俺はミヨが言い返すと勝手に思っていた。だって、自分の家族をそしられて黙っていられるやつなんてただの唐変木か、意気地なしだけだ。それに今の坂元は、普段なら言わないような本音を吐いているだけだ。何を言い返したって問題ないだろう。
でも、ミヨは何も言えなくなっちまった。ぎゅっとしがみつくミヨの顔は、背中に埋もれて窺えないので何ともコメントできないが、たぶん傷付いているのだろう。それくらいの感情の推理は俺だってできる。
この部屋はまるで真空状態化のように一切の音を失った。こういうとき、気を利かせて誰か上手く慰めろよな、と思う。まあ、俺か綾部しかいないワケだが、綾部は沈痛な面持ちでこちらを見るだけ。ほんと、優しさだけが取り柄のイケメンってこういうとき頼りにならねえ。ああ、わかってる。俺の番だな。
「坂元、あのな、ミヨは友達なんだろ。言っていいこと、悪いことがあるな」
坂元はじっとこっちを睨むのみ。かなり話しづらい。
「お前の気持ちは正直ちゃんとは理解できん。俺にも兄貴がいるがお互い凡庸な人間なんでね。でも、比較の対象がいると厄介ってのはわかる。親からうるさく言われるのがウザったいってのもわかる。でもだからって、他人の親子関係にお前が口出す道理は無いだろ。俺は親からいくら貶されても、寛容に許せる人間だからいい。まあ、俺自身が立派な人間じゃないって自覚があるから許せるんだろう。
だが、そこには何を言われても、言っても大丈夫っていう信頼関係もきっとある。ミヨの場合もそう。実際会ったこと無いから堂々と断言はできないが、信頼関係はあるだろ。ミヨの方は、両親の仕事が忙しくても自分を愛してくれていると信じてる。両親もミヨに寂しい思いをさせていたとしても愛を与えられているって信じてるはずだ。そりゃ、ミヨも両親も心配するときだってあると思う。それでも、家族としての形を作ろうと努力してるのは事実じゃねえか。
それを部外者のお前が紛い物だって言うのは卑怯だ。もちろんお前の場合は信頼関係が間に合ってないんだろう。だからって世界を作り変えて現実逃避か? 短絡的すぎる。まずはお互い理解し合う努力をしろよ。んで、どうしてもダメなら時間を置いて、お前の頼りになる友人とワイワイやってりゃいい。そうしていれば、家族が恋しくなったり家族に固執しない生き方が見つかるだろ。世界に愛想尽かすのが早すぎる。
とりあえずミヨに謝れ、そして大事にしろよ。俺じゃその悩みは解決できないが、こいつは行動力も元気もあり余ってるぞ。……今はちっとばかし無いみたいだが」
俺が出家後の北条政子と張り合える大演説を終えると、「ありがとね」という囁きを耳付近に感じた。
「そうよ! 坂元ちゃん。聞いた? シュータの冗長なスピーチを。こいつもたまにはいいこと言うのね。大体今言ったようなことが正解よ。とにかくまずパパーッとこのおバカな企みをやめなさい。これじゃ解決に向かわないわ。あとは私と何とかしましょう」
坂元はうろたえていた。頭を押さえて逡巡している。あと一押し。
「今日のところは帰ろう。お泊り会でもしましょうよ。家族と会うの嫌なんでしょ? 私の家に来たらいいわ。ちょうど私も一人で寂しかったし、利害は一致ね。バカ話して一夜明かせば何か妙案が浮かぶかもしれない。遊び疲れるだけかもしれないけど」
ミヨは顔を上げ、笑顔を向けていた。
「ところで、もし情報化に成功したら、どんな記憶をリピートしようと計画してたの?」
坂元は涙を浮かべながら答えた。
「家族旅行。あのときは皆で笑ってた。もう一回、行きたいな。ごめん」
坂元がふっと倒れる。それを綾部が瞬時にテレポートして支えた。気を失ったようだ。
「勝ったみたいっすね」
綾部は笑っている。俺も気付いた。部屋が明るい。部屋からは赤々とした夕焼けが見えた。どうやら無事に任務完了したらしい。自分の胸を見ると、ばっちり穴は塞がっていた。
「ちょい、シュータ! もう下ろしていいわ」
ミヨがうるさいのですぐ放した。ミヨもしっかり自分の足で歩いて坂元の所に行き、介抱役を綾部と交代した。微笑みながら坂元の髪を優しく撫でている。
「あ、美月」
すっかりハッピーエンド的雰囲気に呑まれていたが、美月の存在を思い出した。あの方はご無事だろうか。急に焦ってきた。
「じゃあ、綾部くんの力を借りてすぐさま駆け付けてあげなさいよ。私はもうちょっと坂元ちゃんの面倒見たいから。ほーんと、美月のコト好きね、あんた」
うるせー、ばーか。お前よりはよっぽど可愛げのある人なんだよ。
「綾部、本棟の生徒会室前まで頼む。職員室と同じフロアだ」
綾部はニコニコしながら「了解です」と言って俺の肩に触れた。移動する最後の一瞬間、俺は物悲しそうなミヨの横顔を見て、留まってあげりゃ良かったと後悔した。




