二.深き心ざしを知らでは(16)らいと
ドタンと物音がする。歪んで建て付けが悪くなったドアを綾部が蹴り倒した音だった。俺は教室内から薄気味悪い妖気がまろび出てくることを思い描いていたが、実際は室内のしんと静まり返る冷ややかな空気が緩やかに流れ出て来ただけだった。
俺は無警戒にも歩いて潜入する。相手は捜すまでもなく見つかった。たぶん実習のときに教師が座るのであろう最奥の席でこちら向きに座る女子生徒。細身で眼鏡。知ってるやつだな。
「やっぱ、アンタだったのね。坂元ちゃん」
応答しない。やがて生気が抜けたようにガタガタガタとキーボードを叩き出す。どう見てもまともな理性を保ってそうにない。ヒトってよりロボットみたいな動きだ。
「坂元が今回の原因か。あいつ、大丈夫かよ」
俺が言うと、ミヨは落ち着き払った声音で答える。あいつはお前の友達だったな。
「シュータ、坂元ちゃん知ってるの? まあいいわ。見ての通り、大丈夫なわけないでしょ。彼女がこの惨状を生み出しているのは確実。そしてそんなことは生身の人間には到底不可能。つまり、あの子も私たちと同じく超能力者、美月がもたらした異変なのよ」
そういうことか。綾部が何かに気付いたようにこちらへ寄って来る。
「あの、坂元先輩は僕らと異なる点がありますよね。超能力を持っていても僕らは人格を保てています。しかしあの方は……」
「たぶん、坂元ちゃんは自身の能力があまりに強大すぎるから制御できてないのね。だから精神の方がキャパに耐えきれず、人格が維持できていない」
それって暴走した結果、学校を破壊してるってことか。まだ坂元の明確な意思じゃないってのは救いかもしれないが、逆に言えば説得はできないってことだろう。
「色々試さない限りは何ともね。でも完全に理性を失っていないことに賭けましょう。今日は欠席してたけど、昨日までは普通の坂元ちゃんだったんだもん。シュータ、坂元ちゃんの所に連れてって。この件は私に預けてくれていいわ!」
俺は頷き、恐る恐る坂元の席へ歩み寄る。綾部は俺のすぐ後ろで死角を守っているつもりらしかった。坂元は二、三メートルの距離に来ても、俺たちに意識を向けることなくキーボードを叩いていた。ミヨの唾を飲む音が聞こえる。お前も緊張するんだ。
「坂元ちゃん。これはあなたの仕業よね? 一つ忠告。今すぐ中止しなさい」
無視。窓の向こうの淡いピンクが不気味な演出をしている。
「ちょっと手荒な手段に出るかもしれないわ。それは友達のよしみとして嫌だな」
無視。だけどこいつを羽交い絞めしたって、無事収束するのかどうか。
「私はこのまま元の高校生活に戻りたい。坂元ちゃんも学校好きだったでしょ?」
それが地雷だったのだろう。坂元はいきなりこちらを見上げると手をかざした。その手からはさっきまで嫌というほど見ていた黒いバグの塊が飛び出した。やべえ、顔面直撃かというところ、綾部が身を挺して庇ってくれた。
「綾部くん!」
「大丈夫っすよ、アララギ先輩。俺には全く効き目が無いようなので。この攻撃のことはどうかお気になさらず、想いをぶつけてください」
イケメンだな、一年坊主。俺とは月とすっぽん並みに違う。綾部は俺たちの斜め前方に立って次の攻撃を迎え撃たんと指をパキパキ鳴らしていた。




