十一.心確かなるを選びて(4)
更衣室を出ると、そこは真夏であった。殺傷能力の高い直射日光に、焼き焦がすような照り返し。俺は思わず顔をしかめる。ここまで暑いならもう少し躊躇うべきだった。俺は最低限の日除けとして上半身にはラッシュガードを着ている。もちろん海パンの下に出る素足には日焼け止めを塗る。こうでもしないと、近年の日本の暑さに体が耐えられないのだ。
俺の隣には友人の冨田がいる。冨田は、煌びやかなのにどこか物悲しい神戸の夜景のような色の海パンを着ている。彼の目線はゲンジボタルのようにプールのあちこちを漂った。
「ひゅー。可愛くてボンキュッボンの女の子はいないかなー?」
彼は相も変わらず自らの性的欲望を短絡的に満たす異性の視覚対象物を捜索しているようである。俺は表情を変えずにやれやれと肩をすくめた。長年彼の友人をしているが、彼はいつもこうだ。まったく、しょうがないな。
「女子の皆さんはまだっすかね」
そう心配そうに呟くのは、飼い始めて五年も経った忠実な小型番犬のような後輩のノエルだった。彼もまた、ホンジュラスのブルーグリーンの海をそのまま写し取った繊細な色の水着を着用している。彼の発言は俺を憂鬱にさせる。俺は青ざめた気分で返事をした。
「女子は何でも時間を掛ける生き物なのさ」
おっといけない。これは冨田のお株を奪うような科白だったかな。
「楽しみにしているのはあちらでしょうから、待たないわけにはいきませんしね」
後輩の言う通りだ。夏休みは八月に入り、やっと学習に研鑽を積む期間が終わった。これからはかけがえのない友人と貴重な青春のイベントを楽しむも良し、家族と親睦を深めるも良し、自らの知的好奇心に則って趣味を極めるも良しの余暇が待っている。学生のうちにやりたいことは全部やらねば損である。
ということで、俺の素晴らしき友人であるミヨの提案で、今日はプールに来ている。俺自身も美月が水泳用着物を身にまとった美しき肢体を拝見して称賛の言葉を添えることによって、彼女に笑顔の華を咲かせてあげたいと常々思っていたからずいぶん都合が良かった。
ともかく俺はこういう純粋な動機があってこそ、このうだるような暑さにもめげず、北極のように涼しい家から這い出て来たわけだった。
「お待たせ、シュータ」
そう言って背後から声を掛けてきたのは、ミヨだった。彼女は本日の日光に勝るとも劣らない眩しい笑顔を見せる。俺は笑顔で応える。彼女の水着はとてもよく似合っていた。白いカーディガンの下には、黒地のビキニを着ている。そのスタイルは——
「うるさい! 何が、『彼女の水着はとてもよく似合っていた』よ!」
ミヨが俺の発言に目くじらを立てる。まるでエーゲ海に浮かぶ——
「喩えも長いしウザい! 今日あんたテンションおかしいわよ!」
ミヨに頭を浮き輪で叩かれて正気に戻った。しょうがねえだろ! 面子をみたら、俺が浮かれないようにしっかりローギアでブレーキを掛けないといけないんだ。シリアス落ち着き文体の何がわりい。
「何言ってんのよ。夏休みなんだから、高速ギアでフルスロットルよ」
こいつはF1並みにノーブレーキで突っ込むタイプだからな。でもよ——
「はいはい。仲いい仲いい」
割って入って来た片瀬は、俺とミヨを見て笑った。からいやがって。後ろでは福岡が苦笑している。
「そういや、片瀬って水泳部だろ? 競泳水着じゃないの?」
「あんた死ねば?」
なんで俺は純粋な疑問にこんな返しをされないといけないのだ。
「ところで美月は?」と訊くと、
「先輩っていつも美月先輩を捜してますよね」
すっかり存在を忘れていたノエルに言われた。うるせ。
「あっ、ノエルくん可愛い!」と片瀬。
「うん、可愛いね」といつものお団子ヘアの福岡。
ノエルはお姉さん二人に可愛がられていた。冨田は「この坊やモテるのかよー」と口をとがらせていた。まったく。
「あの、シュータさん?」
俺は袖口を引かれて気が付いた。背後に美月がいる。美月の水着がどういうものかは事前に見せてもらっている。着ている姿は知らないが、イメージができていないとあまりの美しさに卒倒するかもしれないからだ。
美月も上下セパレートの水着で、上はオフショルダーのフリル生地。下はスカートのようになっていたはず。俺は意を決して振り返る。美月もやはり上着を羽織っているが、胸元もお腹も素脚も見えて——
「シュータさん⁉」
クラクラする。熱中症か、それとも。俺はその場でふらりと倒れた。




