十.年頃見え給はざりけるなりけり(2)
放課後、俺は美月と話していた。最近雨が増えてきたから、部室でお話してから帰ることが増えた。結局もう部員みたいなものだな。
「もう梅雨ですね」
「うん。雨の日が多くなってきた。ジメジメしてて嫌だな」
美月は少し肌寒いからと、クリーム色のセーターを着ている。今日も可愛いことだ。
「でも私、雨の日に室内で集まって皆とお喋りするのが好きです」
「あー。わかるかも。夏の夕立のときなんか俺は好きだよ」
美月は首を傾げる。
「夕方が立つで夕立ですか。見てみたいですね」
日本にいれば一度は体験できるだろう。勢いのいい雨や雷を見ながら午後を過ごすのだ。ひんやりして、どこかワクワクして楽しいぞ。
「もし。良かったら一緒にポーカーしません?」
放っておかれていたノエルが割って入って来た。空気読めよ。かまって欲しかったんだな。
「掛け金ナシなら、受けて立とう」
俺は山札から五枚取った。ええと、ツーペアだ。
「一枚チェンジで」
俺は一枚取る。ジョーカーかよ。
「俺は三枚っす」
ノエルは三枚手札を入れ替える。そう言えば、このトランプもSF研の不正な部費で買われた物だったな。
「俺から出しますね。ワンペアです」
ノエルは3のワンペアだ。対戦ありがとう、俺の勝ちでした。
「ツーペアだ。クラブのAとスペードのA。クラブの8とスペードの8。あとジョーカー」
ノエルはうなだれた。楽しいか? 毎日こんなことしてさ。美月も一緒にババ抜きしよう。
「いいですね。ルールを教えてくださいますか?」
そう言えば、色々知らないんだったな。教えながらやろう。こういった日常を俺は取り戻していた。そして、日常を打ち破るヤツもいる。
「はい、注目!」
ミヨが部室に入って来た。今日も一段と威勢がいいな。
「今から、もっちーの家に行ってお参りします」
コイツはどうしていつも情報共有しないんだ。いきなりすぎるだろう。
「もっちーのお母さんにアポ取ってあるから。仏壇に手を合わせに行きましょ。ちょうど今日なら都合がいいって言われたのよね。どうせならアンタたちもお別れしたいでしょ?」
あのなあ。心の準備ってものが要るだろう。手土産みたいなのも無いし。
「そういうのは平気よ。私は頻繁にお参りしてるから。要らないよって言ってくれるの。早く出発よ」
そういうわけで、アリスにお別れを言うことにした。まあ、一度くらいは言っておきたい。美月はポカンとした様子で付いて来た。
アリスの家は駅の反対側だったらしい。皆が傘を差しながら歩いて行く。雨足は強くないが、やみそうもなかった。
「あの、お参りというのは遺体に手を合わせるということですか?」
美月はそんなことを訊いてきた。ミヨもノエルも驚く。
「遺体なんかあるわけないじゃない。仏壇よ。その人やご先祖様のために作った祭壇に手を合わせるのよ」
ミヨが教えると、美月は「へえ」と言った。
「もしかして、未来には墓が無いのか?」
「ええ。お墓や葬式? みたいなものは一切無いです」
それは驚く。何だか死生観も違いすぎるようだな。
「皆、最期は幸せですから」
アリスの家はそんなに遠くなかった。駅から五分でたどり着く。普通の一軒家だった。ミヨが代表してインターホンを押す。やがて母親らしき人が玄関のドアから出て来た。
「いらっしゃい、実代ちゃん」
「こんにちは。急に連絡取ったりしてすみません。お友達も連れて来たくて」
「いいのよ。皆が来てくれた方が、アリスは喜ぶから」
その後、母親に案内されて家に上がった。仏壇がある和室に招いてもらい、アリスの母が飲み物を用意する間に拝もうということになった。飲み物を出してもらうほど長居する気は無かったんだけど、という雰囲気でミヨは仏壇に向き合う。線香にライターで火を点けた。
「どうするんですか?」
美月は慣れない風習に戸惑っているようだった。ミヨは美月に線香を持たせる。それに火を灯した。
「振って」とミヨ。
美月はパタパタ振って火を消した。ミヨを真似てそれを立てる。俺やノエルも同じように線香を立てる。ミヨが代表して、りんを鳴らした。ちーんという音に美月は驚いて、黙祷をしながら手を合わせると、皆と同じように手を合わせた。やがてミヨが顔を上げる。
「さ、お別れ完了。美月もお別れできた?」
美月はまだ実感できていないようだ。
「どうでしょう。まだ何とも」
「そっか。もう会えないんだからね。切り換えできなくても仕方ないけど」
会えない。そうだな。またひょっこり現れて話せそうな気もするけど。
「そうだ。アリスの髪留めって返した方がいいかな?」
俺が訊くと、ミヨは、
「それはアンタが持ってなさいよ。もっちーが渡したんだから」
そっか。今も実はポケットにあるんだが。
「皆、リビング来る? お菓子もあるわよ」
アリスの母に呼ばれて、リビングに行った。そこで俺たちは母親と共にアリスの思い出話をした。ほとんどミヨと母親が話していたけど、楽しかった。アリスは幼少期からおしゃまな女の子だったようだ。作家であるお父さんの影響でSF小説が好きになったこと、お母さんに買って貰った青と緑の髪留めをずっと身に付けていたことを知った。
あとは笑い話だ。去年ミヨとアリスはずいぶんやらかしていたようだった。どっちかと言うと、笑い話ばかりだった。もうそろそろ帰ろうかというとき、ふと美月が口を開いた。
「あの。やはり寂しいですよね。突然いなくなってしまうのって」
少し空気が冷たくなった。もちろん、そんなことを訊くからだ。でも美月は知りたかっただろうし、この母の明るさは全部が本物じゃないだろう。気持ちはわかる。
「そうね。寂しいよ、美月ちゃん」
母親は素直に答えた。
「アリスはいい子だった。優しくて思いやりがあって、いい子だったの。いい子すぎて遠慮しちゃうこともあったけどね。でも、それも含めて私は好きだった。きっとアリスはカッコいい大人になれたと思うんだ。大人のアリスも見てみたかった。そういう意味では寂しいかしらね」
美月は「ありがとうございます」とお辞儀をした。少しは何かがわかったのだろうか。
「少し、お手洗い借りてもいいですか?」
母に場所を教えてもらって美月は出て行った。それからしばらく経っても帰って来ない。俺たちはすっかり話題も尽きてしまった。
「ねえ、シュータ。見て来てよ」
俺かよ。人遣いが荒いな。リビングを出て廊下に出ると、美月はすぐ見えた。廊下の隅にいた。俺は歩いて行って、「どうした?」と訊いた。美月は背中を向けて振り向かなかった。
「す、すみません。すぐ戻りますから」
美月の横は窓だった。曇り空から落ちて来た雨がしとしと打ち付けている。
「美月、大丈夫か?」
俺は美月の肩を持って、体をこちらに向けさせる。
「…………美月?」
「シュータさん。アリスさんは、とてもいい仲間でした。私が知らないことは積極的に教えてくださいましたし、どんな時にも笑わせてくれました。私が迷っていると言ったとき、『美月ちゃんは美月ちゃんらしくいればいいよ』と教えてもくださいました。周りがよく見渡せて気遣いができる方です。多くの人を和やかな気分にさせてくれました」
いいんだよ、美月。もう大丈夫。
「アリスさんが生きていれば、もっとたくさんの人を笑顔にできたんです。それにアリスさんのことを大事に思っている人が、まだアリスさんに生きていて欲しかった人が確実にいたんです。ですが、力不足のせいでアリスさんは死んでしまった。いくら努力しても、願っても、アリスさんを取り戻すことはできない。アリスさんは永遠に目覚めることは無いし、話し掛けることもできないんです」
それが死というものだろう。少なくともこの時代で、死とは不可逆的なものだ。
「それが、そのことが、どうしてこんなにも悲しいのでしょうか……」
美月は大粒の涙を流していた。
第二章完結です。




