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みらいひめ  作者: 日野
二章/庫持篇 アリス・イン・ワンダーランド
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九.言の葉を飾れる珠の枝(7)

 その後は昼食を皆で食べて、何となくうとうとしてきたためにソファーに背中を預けた俺である。そしてこの先は夢の世界だったのだが、俺自身はこれっぽっちも夢だなんて思わなかった。夢なんて見ているときには夢の中だと気付いたりはしないよな。




「シュータくん、起きて」


 そんな風に起こされたのはいつぶりかな。最近は母の声か、片瀬にぶん殴られて起きるのに。で、目を覚ましたら授業中。なぜか俺は後方の席に座って居眠りをしている最中だった。


「もうすぐシュータくんの番だよ」


 そう声を掛けてきたのはアリスだった。俺は六時限目の現国という最悪のコンディションの授業を受けていたらしいな。で、今は教科書の読み合わせか。くだらん。予習のときにでも読んでおけってんだ。今は隣の席の相園が読み始めた。相園はそもそも俺と同じクラスじゃないんだけどな。このときは不自然に感じなかった。


「『——多少の芝居気で、誇張されたような、はなはだ、複雑な表情である』」


 相園は読み終えると、俺にアイコンタクトを送って来る。一瞬心臓が止まった気がした。


「え、えっと『——いや、ご心痛は、私のような子供の無い者にも、よくわかります』」

 俺が読み終えたのに、アリスは次を読み出さない。どうしたんだ?


「二文ずつ」

 小声でアリスが言う。ああ、そうなんだ。


「『先生は、眩しいものでも見るように、やや、大仰に、頸を反らせながら、低い感情の籠った声でこう言った』」


 そしてアリスが次の一文を読んだ。


「『——ありがとうございます。が、今さら、何と申しましても、かえらないことでございますから……』」


 二文目。


「『婦人は、心もち頭を下げた』」

「最後まで読んじゃってくれる?」とおじさんの国語教師。


「はい。『晴々とした顔には、依然として、ゆたかな微笑が、たたえている』」


 それで章が終わり。教師が解説を始める。俺はほっと一息を吐いて、また眠ろうとした。


 アリスが止める。


「こら。ちゃんとノートを取りなさい」

「取るよ。すまなかったな。助かった」


 そう言うと、アリスは微笑んだ。俺はこのとき、平和を感じた。何となく平和って感じがしないか? ——しない? じゃあしなかったんだろう。如何せん、夢の中だったからよくわからない。


「シュータくん、放課後どうする?」

 アリスは黒板を見ながら言った。俺はペン回しをしながら答える。


「まあ、ミヨとか美月と一緒にだらだら過ごそうぜ」


「……美月? 何言ってるの?」


「ん、どうした。美月は用事があったんだっけか」

 アリスは俺の前の座席を指差した。そこには一輪の桜の花の枝が花瓶に差さっている。


「今の季節は何だ?」

「何言ってるの? 夏だよ」


 夏に桜は咲かない。美月と一緒に見たように、春っていう夏の前の出逢いの季節にしか咲かないものだ。でも、夢って理屈じゃないからな。


「んで、なんで花瓶に枝を差しているんだ? 誰の席だよ」

 そもそもさっき見たときに俺の前の席は誰かが座っていたような。でも、夢ってそういうことあるからな。


「美月ちゃんでしょ。いなくなっちゃったからさ」

 美月がいない? なんで。そんなの嫌だ。手に汗が浮き出てきた。


「大丈夫?」

 大丈夫なはずあるか。俺の、美月はどうなったんだよ。まさか……。


「寝ぼけているんだ。そうだよね。忘れたくなっちゃうよね」

 何を言っているんだよ、アリス。美月を返してくれ。


「無理に記憶から消そうとしているだけだね。現実逃避みたいなことは、寝起きだとよくあるよ」

 アリスは苦笑している。制服のリボンを一回気にしてから俺に話した。


「あんまり大きい声では言えないけど、事故のこと忘れちゃった?」


 事故ってなんだよ。ふざけんなよ。美月は、死んだのか。


「やっぱり混乱しているんだね。ココニナレテイナイカラ」


「?」


「私と美月ちゃんとシュータくんが一緒に歩いて下校しているときに、トラックが突っ込んで来たでしょ? 五月のことだよ。そのとき、シュータくんは私を庇って、美月ちゃんにも手を伸ばそうとしたけど、間に合わなかった。美月ちゃんはそのまま、ね? 思い出した?」


 は? そんなの嘘だ。そんなことは無かった。未来のことはどうなったんだよ。


「未来? 未来って何の話?」


「美月は未来から来た人間で、俺たちが超能力者で……」


「ふふふ。冗談を言う余裕はあるんだ。相変わらずだね」

 冗談じゃない。おい、からかうな。


「美月ちゃんは海外から来たんでしょ。まったく」


 アリスはくすくす笑ってから教師の目を気にして下を向いた。


「じゃあ、俺はアリスを庇って、美月を助けられなかったのか」

「しょうがないよ。エラバレナイトシンジャウンダヨ」


 アリスは小声で、しかし俺の耳にまとわり付くような声で言った。


「私と一緒ならシュータくんは普通の高校生活が送れたのに」

 アリスは拗ねたような微笑を見せる。すると、反対側の席に座る相園が俺の裾を引いた。


「アイくん。静かに」

 何で相園がいるんだ。美月に会いたい。俺は目が回るような気分になった。ぐるぐる。


「シュータくん。ナレタララクニナルヨ」


 いい夢って俺はあんまり見たことが無い。いつも遅刻したり言い間違いしたりする夢を見る。これはまさしく悪夢だ。ぐるぐるしている。


「シュータさん、シュータさん」


 美月だ。美月の声だ。どこだ、今会いに行く。俺は美月に会いたい。


「何も無いよ。そっちは空想。こっちが現実」

 アリスは満面の笑顔を見せる。シャーペンを動かしていた。


「オレハ美月ニアイタイ」


「ウソツキハイケナイヨ」

 アリスは更に笑みを深めた。俺は席を立つ。クラスがざわっとなる。それでも教室の扉を開けに行く。ぐるぐるぐるぐる。


「シュータさん」


 たとえ誰が何と言おうと、俺は死ぬまで美月の味方だ。命を捧げてもいいし、悪者になってもいい。美月に会いたい。扉に向けて目一杯右手を伸ばす。

二重カッコで囲われているのは、芥川龍之介「手巾」からの引用です。

現代仮名遣いの方がわかりやすいと思って、芥川龍之介『羅生門・鼻・芋粥』(角川文庫)平成元年4月初版、から引きました。令和3年5月改版36版の115頁にあります。

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