九.言の葉を飾れる珠の枝(4)
歩いて(徒歩圏内の時点で驚き)数十分でルリの宿泊していたというホテルに着いた。そしてここは紛れもなく——
「私たちが昨日泊まったホテルじゃない!」
ミヨの驚きもごもっとも。昨日俺がルリに襲われたホテルである。と言うことは、ルリは俺を襲った後、別の階に逃げただけだったのか?
「そうなの。だって、対象と近い方が、何かと機敏に対応できるでしょ? デキるスパイは仕事が細やか、しかして大胆に行動するものなの」
ん、仕事と行動は並置して論ぜるものなのか? 仕事だって行動の内側に内包されるから、今の話は単にスパイとしての性質である細やかさと大胆さを——
「文系はくどいわね。いいのよ。ここにもっちーがいるんでしょ?」
ミヨが俺を押しのけて尋ねる。ルリは首を横に振った。
「何度も言うように、いないですー。みよりんのばーか」
最後のは余計だろ。ひとまず部屋を確認しようぜ。
ノエルと一見仲良く手を繋いだルリは部屋に俺たちを案内した。なんと俺たちが泊まっていたノーマルの部屋ではなく、一ランク上の部屋だった。金は持っているらしい。
「広いわねー。テレビの部屋とベッドルームは別れているんだ」
「そう。ノエルくんとゆったり寝るためにね」
ルリは拘束の意味でノエルに手を握られているのだが、満更でもない様子だった。ノエルが好きなのかな。いや、嫉妬はしていないぞ。美女には間に合っているんだ。
「あの、シュータさんも捜してください」
ぼうっと外を眺めていたら、美月からお叱り。しかし、あくまでも予想だがこの部屋の中にアリスはいないと思う。クローゼットや風呂など、隠れる所は限られているからさ。
「ね、言ったじゃん。しゅーごー」
ルリがベッドルームで声を上げる。美月と俺は風呂やトイレを開けていたのだが、ルリの元に向かう。ルリは、奥のベッドに座るノエルとは離れたベッドに寝転がっていて、ミヨが入り口に立っている。俺と美月が入室するとルリが枕を抱きながら話した。
「ルリがやったことを教えてあげるからこれ以上は勘弁して。ルリは昨日アリスちゃんと会ったことは確かです」
アリスが姿を消した後に会ったってわけだ。
「その前に接触はしていたんです。職員の人に変装してルリと一緒に来ない? ってね。けど、アリスちゃんは断った。それでフラれちゃったなーと思っていたら、やっぱり裏切ったね」
裏切った? 誰が何を裏切ったと言うんだ?
「夜に、園内でアリスちゃんとすれ違ったら『逃げる手配をして』って頼まれちゃった。だから、ここの部屋の鍵をあげて、逃亡ルートを確保してあげた。今朝までこの部屋に泊まってもうどこかに出発しちゃったよ。本当にそれだけ。どこに向かったのかは知らない」
え、どういうことだ? アリスが逃げたいという意思表示をしたのか?
「待ってください! アリスさんが何も伝えず自主的に逃げるわけが無い。嘘でしょう」
美月が詰め寄るが、ルリは動じない。
「本当だよ。もし捕まっていたとしても、その犯人はルリじゃない。知らないもん」
「自白剤を用いますよ。正直に話しなさい!」
美月が食い下がるのを見て、ルリは不機嫌に変わっていた。
「しつこい! 知らないものは知らない。ルリはアリスちゃんが園内から逃げて、その日にこの部屋に泊まったことしか知らない。それ以上言うなら、ルリだって対抗策があるんだから」
美月がまた何か言い出そうとするのを、ミヨが手で制した。
「私はルリの言葉を信じるわ。もっちーは私たちから逃げたのね」
ルリは頷く。美月はわからないという顔をする。
「どうしてアリスさんが逃げるのですか。私たちは友達でしょう?」
友達だって言っても、な。
「美月。私たちはもっちーを世界のために犠牲にしようって考えているの。もっちーが自衛のために逃亡するのは当たり前じゃない。逃走資金だって持っていたわよね。確か、失踪直前に美月からお金を受け取っていたから、電車賃くらい持っているはず」
「で、でも……」
美月がうろたえる。俺はミヨの意見と同じだ。アリスは死にたくないために逃げたのだろう。考えるべきは逃亡理由じゃない。次に俺たちがどう行動を取るか、だ。
「アリス先輩の居場所は、突き止められないですか?」
「アイドンノーセンキューベリーマッチングアプリケーション」とルリ。
「ルリさんには聞いてないっす。美月先輩はわかりませんか?」
「え、あ、スマホの位置情報ですか? 実は、その……」
美月が言い淀む。見つかっていないらしいな。
「このホテルにあるようですが」
ここに? GPSは高度まで推定できないだろうから、何階にあるかはわからない。でも、置いて行ったとみるのが順当かな。
「ルリの鞄に入ってるよ」
ルリがベッドの脚元にある大きめの黒バッグの中からスマホを放り出す。
「確かにもっちーのスマホみたいね」
じゃあ居場所もわからないし、連絡も取れないわけか。
「でも、問題ナシでしょ。アリスちゃんは二人いる。こっちの時代のアリスちゃんが事故に遭うように、ルリたちが見守ればいいんだもん」
それはそうだが。ルリ以外は押し黙ってしまった。
「ねえ、もしかしてこの期に及んでまだアリスちゃんを殺す覚悟ができていないの?」
できているヤツなんかいないだろう。アリスはクラスメイトだったし、数日だけだが話をして一緒に遊んだんだ。それに高校生の身に命なんて重すぎる。
「アリスちゃんを一人殺す。それがルリの役割なのね。もし同じならルリは協力できます。手が滑って二人殺しちゃった、てへ、みたいなこともあり得るけど、確実に一人を殺す分には手伝ってあげられる。美月とは敵対する立場だけど、ルリ個人はあなたたちに恨みはない。生きて帰るためにお互い手を取り合わない?」
ルリから同盟の提案だ。アリスは裏切って敵に回ったと考えるなら、ルリと俺たちで手を結んで倒すってのもアリなのかな? どうなんだ、親友さん。
「きっと、もっちーは寂しいだけよ。私たちがもっちーが死ぬ前提で話を進めたりしたから。もう一度話せばわかってもらえるわ」
ミヨは拳を強く結んでいる。ルリは溜息を吐いた。
「あのね、よく聞いて」
ルリは立ち上がって部屋をうろつく。偉そうにする権利はお前にねえだろ。
「アリスちゃんが明日に死ぬことが定められている以上、死者も同然なの。あなたたちの世界ではとっくの昔に死んでいる人でしょ? 生者は死者の想いを聞き届けることはできない。引きずり込まれちゃ駄目。決まったことなら罪悪感だって要らない。元いた場所に帰してあげるだけじゃない。引導を渡すつもりでルリに協力してよ。話し合ったって無駄。死者だろうが生存本能は持っているの。それを打ち砕くくらいの覚悟が無いと、死ぬよ。あなたたちまで」
もし明日、アリスが死に損なったら死ぬのは俺たちの方だ。元の世界に帰れなくなってしまう。やられる前にやれ。アリスを自分の手で殺せ、か。
「シュータは、どうしたい?」
「ミヨに従うよ」
ミヨは頷いた。ミヨだけは、数カ月前に一度この事実を受け入れていた。
「わかった。ルリに協力する。倉持有栖を発見して、任務に協力してもらう」
ルリは満足そうにミヨに抱き付いた。そして耳に何かを囁いた。ミヨは頷くだけ。




