三.白山にあへば光の失する(6)
だだっ広いフードコートには人が溢れかえっていて、空席を確保するのに苦労した。昼としては遅めの時間だが、何とか座れた。席の場所を伝えると、ノエルは難なくたどり着いた。瞬間移動できるかどうか以前に方向感覚はいいらしい。ノエルは三人の先輩方の雰囲気を何となく察したようで、ただニコニコして座った。やっぱ優男ってこういうとき役に立たねえな。席次は俺の隣が美月で正面ミヨ、斜向かいがノエル。
「注文しに行こう。荷物置いて行くわけにいかないから、誰かが残って」と俺。
「じゃ、二、二でいいじゃない。シュータは美月と一緒に仲良く選んで来なさいよ」
ミヨの軽口に何と反撃しやろうかと思ったがやめた。正面に座る二人の目線が美月の方に集約するのを見たからだった。見ると、美月は俯いていた。
「みよりんさん。からかうのはいい加減にしてください。シュータさんだって困ってるじゃないですか」
俺たちは唖然とした。美月の強い拒絶の言葉を聞いたのは初めてのことだった。美月は俺たちの困惑に気付き、一瞬悲しむような顔を浮かべて謝る。
「すみません、そんなつもりじゃ……。忘れてください」
そう言ったきり口を閉ざしてしまう。誰も口を利こうとしないから、仕方なく俺は立ち上がって美月にも来るよう誘う。美月は首を振った。
「いえ、水を差すようなことしてしまってごめんなさい。すぐどこかに行きますから。後は皆で楽しくご飯を食べていてください」
美月はショルダーバッグを持って立ち上がり、席から遠ざかる。俺は手を伸ばして美月の細い腕を強く握った。
「美月がいなくなって、俺たちが楽しめるわけが無いだろう。とりあえず一緒に飯選ぼう」
俺は美月の手を引いて歩き出した。美月は苦しそうな表情で付いて来た。
「ミヨと喧嘩でもした? だから別行動してたのか」
フードコートのテラスで美月に尋ねる。ここは音が屋外の風でかき消されるから静かで良かった。多少眩しいがな。俺はフェンスに寄り掛かり、美月は俺と向き合っている。
「いえ。そうではありません。手分けしていいモノを見つけ出さないと一日終わっちゃうとみよりんさんが提案したから、二手に別れたのです。それにさっきの発言は私の個人的な問題であって、シュータさんたちとは何ら関係ありません。話す必要は無いのです」
俺は笑った。そんな突き放すような言い方しなくてもいいのにと思ったからだ。案外、辛辣なんだな。
「必要あるよ。困ってたら話を聞くくらいする」
美月は困ったように眉を下げる。風で金の髪が波打って流れた。
「友達なんだからさ。駄目かな?」
美月は寂しそうに微笑んだ。
「『友達』って福岡さんの事故のときにも言っていました。羨ましい」
「?」
「少し、私の個人的な話を聞いてくださいますか?」
俺はもちろん静かに聞いた。気の利いた相槌はできなかったけど。
「昔から人を傷つけるのが怖かったんです。向こうの時代でも友人に対して丁寧すぎる口調で話してしまいます。そうじゃないと不安な気持ちが勝って上手く喋れないのです。だから周囲とは馴染めないタイプと言いますか、引っ込み思案な子でした。そんな私の救いは、馴染めない私を多少強引にも連れ出してくれる友人の存在です。つまり伊部くんやみよりんさんみたいな方です。そういう方は少なくとも平等に接してくださいます。二人のような方がいなかったらきっと独りぼっちでしょうね。この時代でも」
俺も正直なところ協調的に動くのが苦手なタイプなので何とも言えない。ただ、美月は大人数でガヤガヤ話している所に入っていくのが苦手そうだと最近気付いていた。
「でもシュータさんと話して希望が持てたのです」
美月は隣の手すりに手を掛けた。青のスカートがはたはたと揺れる。
「シュータさんは私の話を聞いて受け止めてくれます。話下手な自分にとってはほとんど初めての反応でした。話を聞いて、笑って怒って溜息を吐いてくれる。多少ふざけても許してくれます。自分のお話をするのが楽しいって思わせてくれました。私は私の言いたいこと言ってもいいんだって思って。こんなに対等に話せる友人の存在はシュータさんしかいない。私も普通の子のように理解し合える友人が持てると知って希望を持てたのです」
気の利くウィットを挟めたらよかった。まだまだ修行が要るな。
「あら、今日のことから話が逸れてしまいましたね。シュータさんと話しているとすぐ脱線してしまいます。シュータさんのせいですね」
なんでやねん。そないなことあるかい。違うか。
「今日のことです。みよりんさんとシュータさんが一緒にエスカレーターから下りて、その後しばらく口論しているのが見えました。そのとき気付いたのです。シュータさんにとっては、私よりもみよりんさんの方が気が合うのだなと。恐らく波長が合うのでしょうね。それを見ていたら自分の心が急に寂しくなるのを感じました。あ、恥ずかしいですね。でも言います。憧れていたのでしょう。そういう関係に。そして嫉妬もしていたんじゃないでしょうか。対等だと思っていたシュータさんが私よりも人付き合いが上手だったこと。みよりんさんもシュータさんと一緒の方が楽しそうだということ。だから八つ当たりとわかっていても不機嫌な態度を取ってしまいました。子供みたい」
さっきのミヨの発言に美月が怒ったのも納得がいった。美月は、俺とミヨこそが一番気が合うと思った。なのにミヨは、美月と俺があたかも仲が良いようにからかった。美月としては情けをかけられたようで惨めな気分になったのだろう。そしてミヨが意図的にした発言じゃないとわかるから、余計に自己嫌悪する。本当に素直ないい子だ。
「私は今後、どうやって周りと関わるべきなのでしょう」
美月は物憂げに空を見上げる。俺は迷った。慰めに適当な冗談を言ってやるか。それとも真剣に考えてみるか。後者は勇気が要った。そもそも言えるほどの立場じゃないんだ。だが後者を選んだ。美月は打ち明けてくれたんだから、俺も恥を忍んで一歩踏み込まなくちゃ友人じゃない。どこまで踏み込む勇気があるかは人との距離を測るのに大事だ。
「色んなことは気にせず自然でいればいい。だけど慣れていかないといけないのかもな。俺の場合は、暇人だとか寝てばっかりとか怠け者って言われる。実際そういう部分はあって、個性と言うと生意気だけど、俺が周りと違う部分だと思う。だから甘んじてそういう評価を受け入れてるんだ。でもいつも怠けた気持ちではないし、たまに大袈裟すぎる言われようだと感じたりもする。だがそれも受け入れてる。受け入れてしまって、怠け者を装って自分のキャラに沿った発言をしてる。ほぼ無意識だけどね。思うに、最初は自然な振る舞いをする。途中から自分の役割やキャラがわかってきて、それを受け入れる。役割に合った言動に慣れていく。美月がミヨのような行動力や冨田のようなバカを手に入れられると俺は思わない。美月は美月のままでいい。真面目ちゃんなところとか、可愛いって言われるところ、そんなのを受け入れていったらどう? 知らんけど」
美月は真っすぐ俺の目を見ていた。そのまま「好きです」と言われたら窒息するくらい綺麗な瞳で。やがてふっと柔い笑みを作った。
「ありがとうございます。シュータさんって、普段ぼうっとして物事を考えていないようで、深く細かく見ていらっしゃるんですね」
失礼な箇所があったよ、美月さん。
「私、自分の時代では『可愛い』と言われ慣れてないのです。ですから急にたくさん言われるようになって戸惑ってしまっていて。生真面目な自覚はたいへんあるのですが」
まあ真面目は無理に矯正しない方がいい気がする。ですます調は美月の立派な個性だ。それによそよそしいと感じるヤツは美月の周りにいないだろう。
「あとは、ミヨにゴメンナサイした方がいいな。あいつも気遣いしいだし」
「ええ。悪いことをしましたから必ず」
「んじゃ、早いうちに注文して戻ろう。あいつらお腹空かせて待ってるよ」
快晴の空と周囲の街並みをバックに美月は微笑を浮かべる。今までにないような均整の取れた美しさではなく、華々しい華美な綺麗さを発見した気分だった。いや全然上手く修辞できてないんだが、とにかく違ったように見えたのだ。
「美月、なんで笑ってるの?」
訊いてみると、意外な答えが返って来た。
「この時代の人たちはたくさん考えていて、悩んでいて、とても優しいですね」
美月はやっぱり笑っていた。そんなに魅力を力説されると照れ臭いなと思った。俺はテラスから室内に戻ろうと歩き出す。美月も付いて来る。俺は何と返したものだろうと考えた。何も出て来ない。カッコわりーな。




