太陽の妖精を通訳に
ー太陽の妖精を通訳にー
「なぁ、どこかから白いペンキを持ってきてくれ。そいつで右の翼を繋げてくれや。塗ってくれってことさ。よろしく頼むぞ坊主!!」
「白いペンキをここに塗ればいいのね?」太陽の妖精は、北西に向け裸の尻を丸出しに描かれた天井画のくせにオラオラ威張る天使の右翼を触りました。
「あぁ、そうだ。他の奴の顔や尻になんか塗るなよっ!」ハハハ!!
「描いた人が塗り忘れちゃったんだね」
「話せば長いんだが、まぁとにかく塗ってくれや。そうすれば、ようやくここから飛び出せるってわけさ!!」裸の巻き髪は、曇り空の雲みたいな無表情のままうれしさを爆発させました。
「えっ! 画の中から出てこれるの?」
「そうYes、坊主」
「ペンキを持っているかあの子に聞いてみるよ」
太陽の妖精はベンチに座ってこっちを見上げているリロへ声を掛けました。
「ねぇ、ペンキ持っている?」
「ペンキ?」
画に向かって独り言を言っていた(としか思えなかった)プラネッツが振り返ったその明るい表情は、私をからかっている、とは思えませんでした・・・・・・
リトは全ての資材を担ぎ上げ終えると、一番上の段の朽ちた横木から撤去し始めていたのですが、今朝まで全く予期していなかった建設ラッシュの風景のなか、というか妄想のなかの空から現実の彼女の独り言が聞こえたので一瞬手を止めました。そして耳を澄ましました・・・・・・
「うん。白いペンキで翼を塗ってくれって言ってるんだ。画の中から出たいんだって」
「その子って本当に喋ってるの? 私には全然聞こえないんだけど」
「そこの女が持ってるわけねぇだろっ、外にいるあいつに聞いてみろ」
天使の声はリロに届きません。
「君じゃなくて外にいる男の子に聞けってさ」
「ええ~、嫌よ。だって持っていたとしても、なんて言うか塗っちゃうんでしょ? たとえ君が塗ったとしても、絶対に私のせいになるわよ。だから絶対に嫌っ。そもそも中から誰も出てきやしないわよ」
「嫌だって。君がここにいることも信じてないみたいだし」
「あぁ、聞こえてるよ。ったくバカ女め」
「バカ女、だってさ」太陽の妖精は、少しだけ意地悪くうれしそうに笑いました。
「はい? いまなんて?」
リロの声のトーンは急落し、眉間に皺がよりました・・・・・・
なんで怒ってんだ? リトはこっそり入り口の傍まで忍び寄りました。プラネッツの姿が見えない、声も聞こえない、ましてや天使の声も聞こえないリトにしてみれば、ベンチに座って画を見上げているリロの姿と声しか聞こえなかったのです。しかもそのうち徐々に礼拝堂の中に響く独り言はヒートアップしてきているのです。リトはどうしたらいいのか分かりませんでした。でも「バカ天使」と何回も言っていたので、彼女の胸の内か頭の中のケンカ相手は天井の「天使」なのだろう・・・・・・だとしたら言い争っている天使は「あいつ」しかいないはずだ、と推測することが出来ました。
別に誰が一番バカっぽいと常々思っていたわけではありません。ただ一人だけが「特別」だったのでそう考えたのです。彼の翼だけが「折れて」いて、それはたまたま偶然に、そのように描かれてしまったわけではないことくらい察しています。何か「特別」な理由によったはず。だけどどうしてあの見知らぬ女の子から「バカ天使」と非難さるのかはさっぱりわかりませんでした。
リトは初めて画を見たあと村の人たちに一人だけ翼が「折れて」いる理由を聞きました。でも彼らは目を閉じて首を捻るか、口を尖らせ肩をすくめました。そんなわけで礼拝堂に関してリトが知りえたのは、少なくとも200年以上前から丘の上に(古い)礼拝堂は存在していて天井の画もすでにあった。しかし二十年前の「騒動」の後に(当時の政府から秘密裏で得た資金を使い云々ということまでは、リロは知りませんでした)、ある種の厄払いも兼ね土台ごと建て替えたが、仕事を頼んだ世界的な建築家の強い意向もあり天井の画はそのまま残すことにした。また以前から建物と併設していた「鐘」と、朝と夕に二回、決まった時間にだけ打つ習慣は残すこととした。それだけです。
礼拝堂がいつからあったのか? 誰が建てたのか? 天井の画は誰が描いたのか? どうして一人だけ翼が欠けているのか? それらは誰も知りませんでした・・・・・・200年前の「古い方の戦争」があったとき、この村も少なからず災禍に巻き込まれてしまい礼拝堂に関する文献が焼失していたからです・・・・・・
さすがに礼拝堂のなかへ声を掛けられなかったので、とりあえず自分の仕事に戻りました。残りは五段でした。上から撤去して下から新設する予定です。二時間もあれば十分でしょう。
リトは「街」に戻ってから当然社会復帰するつもりだったので、二十歳になっても女の子に直接名前すら聞けないでいるのは不甲斐ない、と思い、だから経験も兼ね彼女の名前を聞きだす場面を何回も練習し始めました。初めは胸の中だけの独り言になるよう留意していたのですが、いつの間にか、前世であればなくはなかったかもしれないような、馴れ馴れしい浮かれ男の駆け引き言葉は口に出ていて、ときにははにかむ相手のセリフも口にしていました。しかもはっきりと喋ってしまっていることに気が付きませんでした。ただ意識全体から浮遊してしまっていた修繕の使命感は、全てから逃げ出した先月までの自分とは違う内面の端っこに辛うじて繋がっていたので作業する手が休むことはありませんでした・・・・・・
太陽の妖精を通訳に、一歩も引かず口けんかしている声の聞こえない「天使」の存在をいくらか信じてもいいような気に(なぜならサンソン君があんなに酷い悪口を私に言うはずはないだろう、と思えたからです)なっていたリロはふと妥協案を思いつきました。そこで渾身の攻撃や二倍基準の反撃やらを微妙に抑え始め、交渉へのしたたかな道筋をつけました。心には、弄んでやろう、という大きな余裕すら湧いてきました。
「・・・・・・ところでその虚ろな目は毒を盛られちゃったからですか? おっと失礼、天使様」ケッケッケッ!!
「とにかくっ、外のあいつに色仕掛けしてでもペンキを塗らせろっ!!なんなら逆にお前があいつに金をくれてやれっ!! この安娼婦がっ!!」
「ぼくにはうまく訳せないよ。そんなひどいこと」さすがに太陽の妖精は呆れました。
「そこのトリカブトのガキなんて言ったの?」リロは冷たく怒った振りをしました。
「君に言いたくないよ」
「とっとと伝えろ、くそったれ太陽!!」
巻き髪で裸の子供は光の柱が立つ空のなかの、そのさらに内側から殆ど酒癖の悪い大人と同じけんまくです。
そこでリロはすかさず、苛立つ相手のピークを見極めました。
「ねぇ、もし私が外の子にペンキのことをお願いしたら、天使らしくお願いの一つや二つ叶えてもらえるのかな?」
さあ、もう一度吠えてみろ、とリロは思いました。
「だってさ、天使さん」
「マジでヤバイくらい呪ってやる!!」
「徹底的に呪ってくれるらしいよ」
水面でコツコツしていた「浮き」が決定的に潜ったと判断したリロは一気に竿を持ち上げます。
「・・・・・・そう。OK。じゃぁ、私はこれで帰るわね。よかったらサンソン君も一緒に帰る?」リロは通訳にウインクしました。天使の「足元」を見て交渉する段にきた旨、自分の意図が通じる気がしたからです。
「うん。バイバイ天使さん。また誰かが通りかかるよ、きっと」プラネッツも口悪く威張り散らして命令する相手に肩入れするつもりはなく、反って一撃入れてやりたいくらいに思っていたのでしょう。
「もっと優しい女の子が違うプラネッツと共に現れますよ天使様。早ければそうね、1200年後とかに」ケッケッケッ
「・・・・・・」
打てば響く打ち合いから、サッと引いて急所を刺す二十歳の女の子の煽りに天使は狼狽えました。
「サンソン君、行こう。途中まで車で送ってあげるわ。呪わないでね天使様っ!!」
「・・・・・・」俺には初めから主導権を握る「神の手」などなかったんだ・・・・・・
「外のあの人にぼくの姿が見えればよかったけれど、ぼくもここまで来て天使さんに会えないのは残念」太陽の妖精はとても残念な顔の真似をして相手をからかいました。
「・・・・・・一つでいいのか? 早く訳せっ、クソ太陽めっ!」天使の声は怒りと焦燥感とで裏返ってしまいました。
「サンソン君お願いします、って言い直してくれませんかね?」ぼくにも鼻や耳の穴があればほじくりながら言えたのに、と太陽の妖精は思いました。
「えっ!! そこの尻丸出し坊や、いまさらなんか言ったの?」立ち上がったリロは大げさに驚くと目を白黒させ勝利を確信します。
「サンソン君お願いします」どこも欠けずに繋がっている方の翼が燃え上がりそうな屈辱に泣き出しそうでした。
「サンソン様、でもいいんだけど?」面白がって追い込むのは小さな彼の悪い癖でしたが・・・・・・
「サンソン様よろしくお願いします」口惜しさに光る天使の涙は誰にも見えませんでした。
「願い事は一つでいいのか、だって」太陽の妖精は二十歳の女の子へウインクしました。
「え~、やっぱりどうしようかな?」クックックッ