それは時代を問わず その他・・・・・・
ーそれは時代を問わずー
避難している村人に誰も負傷者がいないことで、マイクロバスを回してきた警察の指示に従う九人の老人たちは、中身などさらさら教えるつもりのない旧札の大金をそれぞれに抱え乗り込みました。
マイクロバスのドアの前に立ったリトは列になる老人一人一人と別れの挨拶を交わします。今日みたく物語のような一日がなかったとしても、村に滞在した日々はどれほどかけがえのない時間だったことだろう、と思わずにはいられません。
家系図上の離れた枝先にいることすら知らなかった叔母さんの番が来ると、さすがに言葉はつかえ自分も相手も笑ってしまいました。
「堂々と胸を張って、無理しないでゆっくり暮らせばいいさ」
叔母さんはリトが握りしめていた村の「木槌」を取り上げ、笑いながら泣く離れた枝先にいた若者の頭を軽く叩きました。
それが切っ掛けとなり、乗車の番を待っていた以降の老人はみんな木槌でリトの頭を叩きました。もちろん彼らは、愛着こそないものの粗末になど決して扱うことのなかった木槌の最後の感触を確かめもしたのです。明日からあの鐘の音を耳にする朝も夕も、もう自分にはないのか、と思うととても不思議な感じでしたし、今更少し残念な気もするのでした。
小さな子供の頃、親に連れられて丘を上り、いつも聞いていただけの鐘を初めて自分で叩いた日の朝、それは時代を問わず誰も彼もがうれしく、叩きすぎてしまうものでした・・・・・・
彼らは一旦、町の病院に連れて行かれることになっています。そして時間をかけずに我が村の全壊は伝わることでしょう。そんなこと初めから承知している彼らの消息を確かめるべく血縁関係にある誰かが行動し、間違いなく目の前に現れることも、九人の老人は確信していました。私たちをうっちゃている連中は、私たちの密かな財力をよく知っているのだから。今さっきの突風であの村が破壊されたらしいと、ニュースで知った途端に連絡を取ろうとする。そしてやがては居場所を突き止めた身元引受人が豪華な見舞いの花束を手に顔を出すのです。
「平気だったかい?」
「金のことがかい?」
老人たちは散り散りになったそれぞれの場所で、思ったよりも温かなそれぞれの居心地を享受しても、なかには屈することなく、つまり彼らは「それぞれ」の胡坐を組み同じように笑うことでしょう。
しばらくははした金で世話になったとしても、またいつの日か、生きて再び我が村で会おうぞ。総合病院の待合室で誓いあいました。
ー臨時代表者ー
リトは壊滅した集村の臨時代表者として「町」の警察署で事情説明なり目撃報告なりをする為、規制線を張りにぞくぞくとやってきた複数台のパトカーの一台に乗せられ、やはり町中まで来ていました。どこかでマスコミの取材も自分が受けることになるのだろうな、と思うと憂鬱でした。
それにしても、これは比喩としてだが「親知らず」すら生えてこない人生でパトカーに乗る機会があるとは想像したことはありませんでした。しかも張り切る若い警官は赤色灯を派手に廻し、スモークの高級車に車高の高い4WD、車高の低いスポーツカーやらにも道を開けさせる、国家権力の魔笛的なサイレンをワンワン鳴らしています。
若い警官は後ろを振り向き、記録的なダウン・バーストだったみたいですね、とか旧道の方も全員が軽傷だったみたいですよ、とかさすがは羽が降った村ですねっ、等と二言三言話しかけてきましたが、羽が降った云々の話題にだけ侮る気持ちが読み取れてしまい、それが理由でもありませんでしたが、リトは愛想のいい返事はしませんでした。
どうして軽トラックの荷台に丘の上の鐘の「木槌」が残っていたのか、その不思議を考えていたのです。
偶然それを見つけたリトはあれやこれや時間を待っているとき、こっそり叔母さんにだけ見せました。
「不思議だけどお前が持っていてくれ。あの日の朝、鐘を叩き忘れた男も確かリトっていう名前だったんだよ」ハハハ
たぶん冗談だと思いましたが、あえて問いませんでした。
「しかも、とっくに出て行っちまっていた女房の名前はリロっていったけな」ハハハ
叔母さんは木槌で自分の掌を叩きながら、あっちで背を向けているリロに顎をしゃくりました。
「あのさ、さっき教えてもらったんだけど、あの子が生まれた日、誕生日だけど羽が降った日と同じみたいだよ。二十年前の5月19日だったでしょ?」
「本当かい? 空が落っこちてきた今日はお前さんの二十歳の誕生日だよな?」
「そうだね」
「村はリトとリロって名前に呪われているんだよきっと。今じゃ誰も知らんが、礼拝堂の天井を描いた昔の画家もひょっとしたら、リトかリロだったのかもな」ハハハ
「ねぇ、トラックがさ横を向いて完全に止まった時、何か強い衝撃があったでしょ? それで真っ直ぐ後ろ向きになったじゃん。あれってただの風じゃなかったよね? この木槌だったんじゃないかな」
「だとしたらお前の名前がリトだったからだな」ハハハ
呪われている等と言われた冗談を気にしたリトは、思えば完全にスルーされている感のぬぐえなかったこともあり、しかも最後まで大金の受け取りを拒んだリロの連絡先は敢えて聞きませんでした・・・・・・リトは動き出したレッカー車の運転席を叩くと日に焼けてカッコイイ作業員へ(申し訳ない気持ちを持ちながら)全開のウインドー越しに紙袋を放り込みました。助手席のリロはすぐさま反応して身を乗り出し放り返そうとしたので、突然渡された(作業員の彼は、どうせ何か下らない手土産だろう、漬物とかだったら最悪だな・・・・・・)紙袋にも、若い女が倒れるように身を寄せてきたことにも作業員は困惑しました。でも彼は、助手席からこちらに身を乗り出す若い女の子の右手が触れている、作業着の下の分厚い大胸筋をわざとぴくぴくさせてみました。
リトは運転席のドアを叩き、投げ返される前に行ってくれ、と男に告げました。
「あっ、ごめんなさい」リロは自分の体勢にハッとして、無口な作業員に謝りました。
「7:3」でイケるぞ!! 作業員は自分の顔をバックミラーで確認し、我ながら惚れ惚れしたのでした。
「いつかどこかでまた会おう、リロさんっ」リトはレッカー車から少し離れると、その場でぴょんぴょん飛び跳ね、向こう側の席に座るリロの顔を見て手を振りました。
「・・・・・・」こいつと俺を比べてみなよ、リロさんっ!! ぴょんぴょん飛び始めたこのひょろっちぃマヌケ野郎とさっ!! 作業員は大笑いしてしまう前に車を走らせました。
「・・・・・・」連絡先だけでも聞いとけば送り返せたのにな。
ダッシュボードにメンソール煙草の箱を見つけていたリロは、将来の夫となる同じ歳の若者に対し、今はそのことだけを後悔するのでした・・・・・・
ーシスターー
同じ日の夕方、空から裸の老人が降ってきた、と警察に通報したのは村から遠く離れた丘の上で暮らす老いたシスターです。
きれいな砂浜のある「町」から隔絶するほど深い林に囲まれた修道院の調理場で、今夜のスープに入れるジャガイモの皮を剥く手を止めました。
ここからは、決して聞こえるわけのない波の音が繰り返し聞こえるような気がしたので、調理場の勝手口から外に出てみました。もともと神様と向き合う静かな環境なので、風もない今日は、もし何かの物音がするのであれば、それは陽が沈むときの音しかしないはずです。なので、耳鳴りでなければ幻聴なのだろうか・・・・・・
シスターは丸くて短い指の掌で両耳を塞いでは離してを繰り返しました。塞いでいるときは何も聞こえず、離した時にだけ耳鳴りのような、と思いたい「海」の音は聞こえました。
「なるほどそろそろお迎えが来るのかね?」周囲を囲む背の高い糸杉によって丸く浮かぶ、今は夕焼けた丸い空を見上げました。
宙で片肘をついて横になる、見るからに痩せこけた裸の人間がゆっくり降ってくるのが見えました。
シスターは、本当にお迎えが来たのだ!! とむしろ喜んだのでした。誰にも迷惑をかけず、どこも患うことなく御許に召されるなんて、全く恐れ多いいくらいの光栄ですよ、ファザーっ!!
「下の町の浜に難破船が打ち上るまで世話になるぞ」
ゆっくり着地する前に立ち姿へ姿勢を変えた、背中に青い痣が二つある痩せこけた裸の男の老人は、なにやら首が痛いらしく枝のような右手で摩りながら一応後ろを向いて言いました。
「ここは女だけだろうが、心配するな。人間の女になど手を出す気はないんだ」
「・・・・・・」
「そうそう、俺に関しちゃ戒律など守らなくてもいいぞ」ハハハ
勇敢な老シスターは手に持ったままのジャガイモを投げつけると、退けサタンっ!! と叫び、目いっぱいの唾も吐いてやりました。
首が痛い、痩せこけた裸の老人は俺に対する無礼を懲らしめてやろうと魔法の唾で反撃すべくクチュクチュ音を立て、ありったけの唾を貯めているとき、自分の足元に影があるのを発見しました。
「・・・・・・魔法のない奴は誰かに唾なんか吐いちゃだめだろっ!!」
テレビを消してから平和を願うとバカや武器から笑われてしまった心ある人たちの言葉のように、希望しかない夕暮れの空から降ってきた裸の老人は、肥える老シスターと己に言い聞かせましたとさ。