「羽」「新しい夏を始める三連休の初日」
ー「羽」ー
昔は二十戸あたりで横ばいしていた集落に、延べで言えば人口の百倍以上の群衆が短期間に押し寄せ、村では映らないテレビ局の取材班まで来ただけではなく、村人の誰も話せない違う国の言葉が飛び交う取材班たちもがやってきました。
そうこうしているうち、ついには、ひっそり平和に暮らしていた村人の誰もが理解できない事態へ発展していて、そのピークを迎え一気に収束したのは各地から終結したデモ隊同士の衝突後のことでした。全ては空から「羽」が降ってきた出来事を地方新聞が報道したのが切っ掛けでした。
村の西側にある小高い丘の北斜面の下に集めた、リヤカーにして三台分の羽毛の山を囲む田舎者たちの馴れない作り笑顔が地方新聞の紙面を飾ったときの見出しは「祝福の奇跡か!? 人類への警告か!?」でした。記事を書いた記者に当時の村の代表者72歳の男はその日を振り返りました。
朝から小雨が降っていた日、丘の上にある礼拝堂で珍しく朝の鐘が鳴らなかったんだよね。俺は夜中に何度もトイレで起きてしまうんだけども、朝になってから最後にもよおす最後の、と言うか朝一番のトイレに立ったときにだな、すっかり鐘の鳴った直ぐ後、つまり六時を少し過ぎたころだと思ってたんだ。なんせ、この十年以上のあいだ、いつもその時間帯に起きるからな。でも実際は七時に近くて驚いたんだよね。何に驚いたかと言えば、ほとんど体内時計と呼べる最後の尿意というか最初の尿意に目が覚めるんだと思ってたのに、実際は鐘が鳴らなければ固くなっちまった俺の膀胱も寝坊できるんだ、ということだな。とにかく驚きを禁じ得なかった朝だった。ハハハ。
俺は家内に鐘の音を聞いたか? と聞きいたんだ。家内は、そういえば確かに鳴らなかったかもしれないって答えたよ。
畑仕事も引退してるから、今では裏庭の土をいじるだけで日中を過ごしているんだけども、朝からの雨が上がった十一時過ぎだったかな、突然村中が騒ぎ始めたもんで、何事かと表に回ってみたら、丘の上の空の一部分と北側の斜面が一本の柱というか筒状というか、まるっきり繋がっていやがったんだ・・・・・・いや流れ落ちるスピードが異様に遅くて異常に落差のある滝のような感じだったかもしれねぇな? とにかくバイクで駆け付けたんだ。そんでよ、人が集まってたところの真下に来ると白くて軽い「羽」だった。小刻みに揺れながら天と地を繋いでたんだよね。限られた範囲だったからたとえば雪が降ってくる感じとはまるで違うんだ。「羽」はどんどんどんどん、ゆらゆらゆらゆら降り続けて、みんなに倣い手を出してみると重さを感じないまま手のひらの中で山盛りになったんだよね。なかには少し汚れているものもあったけど、基本的には純白といっていいほどの白さだったな。人には贖罪があろうがなかろうが、生まれたばかりの赤ん坊の心の色みたいだな、って思ったもったもんだよ。そんなモン見たことねぇけどな、ハハハ。どうだろうかな? ニ、三十分は続いたような気がしたけど、実際は五分十分だったのかな。俺たちは何を喜ぶこともない年寄連中だけだが落ち着いたり冷静になれたりは出来なかったよ。そんなわけで村に残っていた奴らは、寝たきりの老人まで付き添われてみんな集まったもんだ。
足腰が立たないのは足腰に「羽」を擦りつけてみたり、髪の剥げているのは頭に、血圧の高い奴は胸に、あと長年抱いていた言いにくい場所に劣等感のある連中は今さらだけど男も女も擦りつけたりしてな。冗談でする者もいれば真剣にする者もいたよ。みんなで本当に大笑いしたな。
俺たちは記念写真を撮ったんだ。ビデオを回せる者がいなかったのは残念なことだったけど、空から降り止まない「羽」を下から取った写真は何枚も撮影出来たんだ。でも俺たちには写真などなくても十分だったはず。だって本当に空から降ってきたんだからな。ご先祖さんから顔なじみの連中が揃いも揃って現場に居合わせたんだからな・・・・・・「羽」は突然降り出したように、突然降り止んじまったわけさ。頭の上の空が、どこを見回してみてもただの雨上がりの空に戻ったことを確認した俺たちはとりあえず「羽」をかき集めたってわけだな。うん。それにしても見上げすぎたから首が痛くなっちまったよ。ハハハ・・・・・・
ー新しい夏を始める三連休の初日ー
地方新聞に載った次の日は平日だったにも拘わらず、かなりの野次馬が押し寄せ体感的には軽く千人を超える混乱を村人は経験しました。他所から車で乗り付ける彼らは所かまわずに駐車して丘を上り礼拝堂へ向かいました。集めた「羽」は礼拝堂に押し込んでいたのです。よって礼拝堂の入り口には村の人が立ちロープで規制していました。わざわざ来たのだから中に入れろとごねるだけごねた野次馬は、しかし立ち入りを許されない場所は曲がりなりにも宗教施設ということもあり最後は諦めたのでしたが、丘の上にまだ落ちているかもしれない、と誰かが探し始めたのを機に羽毛探しが始まってしまいました。
世間に知れて初めての週末になるともっと混乱しました。都会に出ている村出身の若者や親戚家族などが急遽帰省し、押し寄せるだろう人波から村(実家の家や畑や果樹園)を守ろうとし、当然警察も複数のパトカーで駆け付け混乱に対処しました。「羽」が降ってから半月ほどたったころには、長い間休業中だった県道のドラブインがあっという間に「お土産屋」となり地場野菜や焼き立てパン、自家製の白ワイン、軽食などを揃えて目を覚まし、また帰省していた若者たちの中には都会の会社をそそくさと辞めてしまい、この「羽」でかなりの商売になる、と目論みました。労働せず得たモノや元手の掛かっていないモノを金になど替えれば必ずツケが回ってくるぞ、と反対する年寄りもいくらかはいたのですが、村を捨てようとしていた、いや完全に捨てていた息子、娘が孫まで連れて戻ってきた喜びに勝てない年寄たちは、むしろこれは村が被る迷惑料だと思っていいはずだ、と主張し押し切ってしまいました。そんなわけで滅多なことで丘になど上ったことのない沢山の村人は、ロープと看板で規制している礼拝堂のなかに山となっている「羽」を、秘密裏で既に外注していた「お守り袋」へ一枚ずつ入れて売り出したのです。また「羽」が降った日と同じ「9」日には同じ金額で三枚入れる細やかな心理的戦略を実行しました。一月後のその日はあいにく雨だったこともあり、どこからどこまでも大変な渋滞と混乱を引き起こしてしまったものです・・・・・・風向きが変わったのは二度目の「9」日から一週間も経たない日の事でした。
村から12000㎞も離れている他所の国の羽毛工場が竜巻による被害を出したのは、実に三年も前の事でしたが、村に降ってきた「羽」はその竜巻が巻き上げた工場の羽毛に違いない、と生物学者がテレビで言いだしたのです。気象学者は地球儀を回しながら笑いが止まらず異を唱え、男色の噂の絶えない有名な宗教学者はもっと強く異を唱えました。そのうちラジヲの子供科学相談で「蝶々は蛹の中で一度、お水(液体化)になっちゃうんだよ」と言い、質問した小学一年生の「お友達」を驚かせると、しかし「飲んだことあるの?」と聞き返され「お酒で割ってみたことならあるよ」とスタジオを凍らせた神回から一気にブレイクした昆虫学者も外野から首を突っ込んで加わり、とあるカルト教団が起こしたスタジアム同時多発露出乱入事件の被告の洗脳を解く仕事を請け負う心理学者も参戦して盛り上がりを見せました。
三年前、竜巻に襲われた同じ羽毛工場から出荷されていたらしい、生物学者の息子のダウンジャケットに使われているコールダックの羽毛と村のお守りの中に入っていた「羽」のDNAが一致したのです・・・・・・だとしたら、だっ、だとしたらその一致こそが紛れもない奇跡だ!! と男色の宗教学者は生物学者の息子の年齢をついでにさらっと聞いて頬が赤くなり雄たけびをあげました。深夜の討論番組にようやく呼ばれた若手の統計学者も「本当にそんな確率で一致したとするのならば私は数字そのものを信じられなくなりました」と絶句しました。
しかし最後に発言した国際政治学者の扇動的なコメントこそがもっとも力強い舵取りとなり、文字通り風向きが変わってしまったのです。
「DNAの一致がどうあれ、あの国から飛んできたたかがアヒルの羽が、私たちの国、いや世界中の歴史で議論されている、ときには戦争だって引き起こすことになる、神様の存在証明としていいのでしょうか? だっていいですかアヒルなんでしょう? しかもあの国の!!」
一方で様々な大手企業は広告代理店と手を組み続々と新しいキャチコピーのCMを制作し、朝から晩まで垂れ流したのです。いわゆる「反アヒルの羽キャンペーン」です。
大手かつら会社とライバル関係にある、育毛剤を主軸にした薬品工業は禁断のコラボレーションを実行し「アヒルの羽で禿げになにする?」と謳い、外資系大手製薬会社は「本当にアヒルの羽で尿酸値は下がるのでしょうか?」と勝ち誇る疑問を投げかけると、複数の美容整形外科院も一斉に「我々の施術ではアヒル唇にはできませんよ」とガーガー呻きました。また大手銀行や証券会社、カードローン会社までもが「アヒルの羽が資産なのか?」と世間へ疑問を投げつけ(「しかもあの国の!!」と言い切った)国際政治学者に煽られ始める大衆へ迎合したわけです。
もちろん巷でも面白おかしい噂は広まりました。
・・・・・・云々の効果は全くみられず、むしろ新種の毛じらみが発生した。
・・・・・・目に当てて透かし見ると画面のモザイクが取れる。
・・・・・・「羽」を財布に入れて持ち歩いていたらお金を拾った日に空き巣に入られた。
・・・・・・目じりのカラスが明らかに爪を伸ばした。
・・・・・・家で転んだ祖父が右の鎖骨を押さえていたので「羽」を当てて救急車を待っていたら、ストレッチャーに乗せられる前に「左の鎖骨が折れてしまっているようです」と言われた。
・・・・・・毎朝痴漢して今まで一度も捕まった事がなかったのに「お守り」を買った次の日に捕まっちまった、マジで。
現政権と親密な国際政治学者が(間違いなく)恣意的に打った火打石の種火へ乗っかる「反アヒルの羽キャンペーン」も、僻地の村人にとってはテレビやラジヲ、雑誌、そして匿名者たちの空間的議事堂「書き込み」のなかにだけある火災現場でした。
しかし考えなしでただただ迷惑な野次馬とは何やら毛色の違う輩共が殴り書きする挑戦的なプラカードと国旗を持ち「お土産屋」の駐車場に続々と集まる日がありました。またピースマークを貼った拡声器をハウらしながら叩く太鼓と移動可能な簡易ブースの爆音ハウスミュージックで盛り上がる「カウンターデモ隊」も「お土産屋」を左に折れてすぐに設けられていた第二駐車場へ集結したのでした。
県道に沿った駐車場で国旗を振る連中は、恋心を捨てお金をまるっきりかけない雑な普段着を着ていました(なかには逆に派手で品のないハイ・ブランドやコスプレ同然の上下迷彩柄の晴れ着もいましたが)。彼らは個人的な欲求不満を転嫁した正義感に満ち満ちてケンカ腰の態度を見せつけ、居合わせた一般客を威嚇しながら待機し、後者は少なくとも出掛けに鏡を見てから外出したに違いありません。胸や背中のプリントは大量生産ではないのだが、細やかな流行に乗ったデザインでした。彼らは服装で、子供のころから煮え切らなかった「圧倒的な無関心層」とは違う自己なりイデオロギーを示すような連中でした。そこにもっと先鋭的なファッションをする、もっと孤独だった七色の虹をも守るべく立ち上がった知的な雰囲気の者たちが合流していたので、どちらかと言えば「圧倒的な無関心層」に属する野次馬からはどっちもどっちと捉えられていました。
「羽」が降った日の翌々月にやってきた、新しい夏を始める三連休の初日、それはつまらない冗談のように13日の金曜日でした。
これからの日々・・・・・・それは夏の青く透明な狼煙が上がり続けるあいだ、止むことのない蝉時雨の第一波が降り注いだ午前十一時半、警察機動隊が先導する「お土産屋」のデモ隊はすぐさま恍惚感の涙を滲ませ怒号の行進を始めました。
「あんな国のアヒルの羽で神様を冒涜するな! そもそもあいつらは我らの歴史に謝罪していないっ!! 今こそ謝れアヒル国家野郎!!」
翻る国旗とこじつけのシュプレヒコールにうまくリズムを取れないままピーピー吹かれるホイッスルがこちらへ南下して来たので、第二駐車場のほぼほぼパーティーは臨戦態勢となり一本道を塞ぎました。
「お前らみたいなバカ国民が歴史修正しようとして対立を煽るから、あきれた神様が融和を図るべく羽を降らせたんだ!! お前らこそが国を代表して神にも英霊にもかの地の民にも謝罪しろ!!」
遠くに聞こえ始めた大騒ぎにより、しばらく前からの不吉な噂と前々日に受けた警察からの警戒要請が、受け入れがたい実際の出来事となり始めた村は、その大騒ぎと対峙する張りつめた緊張感が走り、恐れる意味での静寂が広がりました。
どこか暗黙の了解で両デモ隊とそれを警備する機動隊は一本道をズルズルとさらに南下していき、三十分後には喚きたてる500人以上と、少なくとも600人以上はいただろうその他の野次馬ならびに観光客、テレビ局取材班等が入村しました。
空から「羽」が降ってきた村の民としてのプライドというよりも、迷惑でしかない群衆の高揚感に伝染した血潮を感じる、それは年齢に関係なく立ち向かった、村人や血縁者たちは勇敢ではありましたが如何せん数が少なかったので、ことごとく道端へと弾かれてしまいました。隊列を組み命がけで空を渡る鳥から見れば、緩くて雑な楽しいパレードに過ぎなかったかもしれませんが、地上の人々に俯瞰して見られる者はいませんでした。
列から弾かれ続ける、実はどの「隊」よりも切実で大きな声を上げていた村の関係者というか真の当事者で被害者たちのなかに、いつ俺たちは諦めるべきなのか? と密かに迷い始める者も出始め、道端から試みる自らの体当たりの強さで、揺らぎ始めた己の心を知るのでした・・・・・・
そうしたころに村内で唯一の交差点付近に築いた、自転車、リヤカー、ワイン樽などを積み上げた村民お手製の謎のバリケード(・・・・・・なぜここに?)を軽々突破した全員よそ者の集団は、機動隊ごとまだらとなり丘の下に流れ着くと誰もが、つまりリングに上がったというわけです。手の届く距離で三つ巴の衝突が始まったのです。
怒号に罵声は面罵になるまで接近し、ラブ&ピースからの悲鳴だけではなく男の拳も女の拳も行き交いました。国を愛するプラカードが同じ国民の頭や肩を痛めつけ、また機動隊のヘルメットでは砕け散りました。拡声器のハウリングは敵味方関係なく機動隊も関係なく、怯えながらまたは興奮していた放牧場の牛や馬、物陰の犬や屋根の上の猫をも糾弾しかねる勢いで、怒りの説教を突き刺さし、七色のハウスミュージックは同じ小節を永遠に続けました。でも結局は警棒とジュラルミンの盾が一番流血的ではあったのですが、所々ではふとしたタイミングで両陣営が協力しあい袋叩きにあう警察官がいました。「お前たちは互いに手を取り合えるじゃないか!!」土煙の地面に伏す仲間を救出した機動隊の一人は国への忠誠心を持って問いかけたものです。
両陣営に潜りこんでいた取材班やただのギャラリーにより辺りの畑は踏みにじられましたし、衝突を沈める目的で散発的に空へ放たれた催涙弾により、それがたまたま着弾した果樹園の一部の木は終生実をつけなくなってしまいました。
思想なきギャラリーたちも、正義と正義と国家権力の衝突地点とはかけ離れた民家の前に停まっている軽トラックを群れになってひっくり返し、いつの間にかいくつもの家の壁には愛国スローガンだけではなく、侮辱的なアヒルの落書きと誰だか知らない名前の女を生涯愛する旨のスプレーがされていて、果ては休耕地に建っていた歴史の古い空の納屋に、そして近年張り替えたばかりのビニールハウスにも火が点けられてしまいました。
そんなわけで消防車と救急車が県道を左折か右折してくるまでには、放火した人間の性癖を代弁する黒煙を上げたズッキーニのビニールハウスこそ瞬く間に消失してしまいましたが、代々村の子供たちが初恋を語る場所とされている、空の納屋が火の粉を飛ばすと村人以外にもデモ隊の両陣営から加わった必死のバケツリレーで全焼こそ避けられました・・・・・・どのように今日一日が終わったのか、誰一人として分からないまま出来たての戦禍に陽が傾きはじめると、通常の野焼きにはない許しがたい焼け跡の匂いが村の隅々まで漂よっていたので、半焼した納屋は忌々しい怒れる記憶の象徴として午後六時の鐘のあと完全に撤去されてしまいました。
後日、現政権はこれらの(半ば)動乱の禍根が、過疎地にあった初恋の納屋から、多岐に及ぶ諸々の疑惑燻る国会議事堂前に飛び火することを警戒しました。そんな彼らは、実は支持率の挽回を狙い、歴史感のすれ違う某国をアヒル国家と挑発したものの思いのほか現れた周辺国からの非難と制裁をチラつかせる態度にも警戒せざるを得なくなり、そこで沈静化を図る手段として、極秘の取引(税務署は「羽」に関する一切の収入を質すことはないだろう。またリヤカーにして二台半ほどある残りの「羽」は全て政府が買い取る)を村に打診してきました・・・・・・
窓口となった村の代表者は我が集落を襲った、今では天災からの人災を沈める為にも英断しました。午後三時に国営放送局第2スタジオで踏み絵を踏むことにしたのです。
忙し気なスタジオの隅で、着慣れないスーツを着せられ大量の水を飲んでいた出番間近の田舎者のネクタイを最後に締め直したクリスチャンの女ディレクターは涙を隠すことなく「あなたは立派なお人ですよ」と言いました。
自分を歪めるための強い目をした田舎者は直立して正面のカメラを見据えました。
七十二年前、朝一番で汲まれていた泉の水を沸かし身体を拭かれた日から、空の上と土の下へ還る日まで暮らす我が集落の、世界のどこにもない真実の空を見上げた自分と、今ここに俺を追い込んだのは誰なのか? 何によってなのか? という感情が刃物のような時間の中で刺し違えようと渡り合い続けたので、田舎者の老人が突っ立って映るだけの生放送がしばらく全国へ流れてしまいました。失笑と困惑と焦りの広がるスタジオで、女ディレクターは促すべく軽い咳払いをしました。自分を歪めるための老人の強い目は一転して、どの角度から覗こうとも虚ろな光を発し覚悟を宿しました。スタジオには彼の絶望を汲みとる緊張が走り、クリスチャンが咳払いするまでの「空気」を一気に押しやりました。
老人は用意されていた原稿を一切読まず、拳を握り締め一言だけ発すると全国、いや全世界へ頭を垂れたのです。
「嘘をついてごめんなさい」
ことの経緯を承知している、祖父が回教徒だった男の手話通訳者はあらゆる感情を抑え、その一言を全世界の聾唖者と全ての神へ正確に伝える手指の動作をしました。
当日の同時刻、丘の上で鐘が鳴りました。午後三時に鐘を打つのは村で死者が出たとき追悼の意で打つ以外これまで一度もありませんでした・・・・・・