「B♭の直線」その他・・・・・・
ーお土産屋ー
夜明けの時刻に降り出した雨は、実に砂粒ほどの小さな小さな水滴でした。樹々の呼吸よりも密かな降り始めだったので気が付いたものは誰もいませんでした。硬いベッドにもある村人の幸せな夢のなかへ割り込む喉の具合を確かめた雄鶏にさえ、どうして羽やとさかが濡れているのか分からないほどでした。
ところで、南に下ったある地方には東の「町」と西の「街」を繋ぐバイパスが走っていて、その南側に今では「旧道」と呼ばれるようになった片側一車線の県道がありました。旧道には、防護壁の続くバイパスからは見えない(南側に)ライ麦畑の広がる区間があり、毎年季節が来ると見ているだけで人に力を与える、毛羽立った良質な穂の水面が出現します。いかなる角度からでも一帯に吹く風を目視できるようになると、旧道を行く日中の車の多くは激しい雨でない限り窓を開け音楽のヴォリュームを上げるのでした。車内に飛び込む田舎の風と、空と並行する、土の見えない大きな景色に誰もが高揚するかそれと同じ理由で黙します。
普段は意識しない雲の高さがハートに突き刺さる彼らは「町(あるいは街)」で自分の身に起きた、細やかな幸せはより幸福感を増し、息の長いつまらない悩みは心の中で本当の正体を晒します。するとそれは本当につまらない奴だった、と知れるのです。でも目的地へ向かう多くの車は、やがて窓を閉め音楽のヴォリュームは下がります。気が付かずに落としていたスピードは回復され、逆にモヤモヤごとアクセルを踏み込んでしまっていた場合は減速するのでした。
一帯を過ぎてしばらくすると、あるいはしばらくして一帯へ入る手前の地点にはシャッターを閉めて久しい「お土産屋」があります。かつてバイパスが繋がるまでは長い県道で唯一の「ドライブ・イン」としてそれなりに採算がとれていたのですが、どこにでも出店する類の大手コンビニが半ば意地のようにポツリポツリ現れたことも追い打ちとなり、グッと交通量の減った車の奪い合いになった末、完全に衰退するとそのまま放置されていました・・・・・・しかし全く予期せぬ突然の「特需」に見舞われたおかげで「お土産屋」として復活するのですが、それでも残念、というか当然という言い方ができるかもしれません。国が、あるいは世界が泡喰った「特需」は全く長続きしませんでした・・・・・・
ペンキの剥げた木造平屋建ての三角屋根は陽に焼かれ、恵みの雨に濡れ、季節ごとの風に吹かれ続けている間に元の色が水色か黄緑色か分からないほど白くなっていて、側面の窓に打たれた板は朽ち果てています。板のないところの窓ガラスは大きく割れています。黄色いテープをグルグル巻きにしたコンクリートの建物は使用禁止のトイレ舎で、すぐ脇には通電さていない自動販売機が三台並んでいます。黄ばんだクリア板の中にディスプレイされたドリンクはどれもこれも市販されているものではなく、少なくともラベルのデザインは古いものでした。未舗装の広い駐車場に茂る雑草の種類にはそれほどの変化はなかったのでしょうが、一角に立てられている看板はやはり経年劣化によりやさぐれていました。白い羽の絵も背景の青い空も黒い文字もどれもが色を失いかけていて、通りすがりの車から目にする者たちに見捨てられていました。
「ようこそ、羽のふる村へ ここから2km」
朽ちた看板は、二十年前に大量の「羽毛」が空から降ってきたことがある集落への案内です。つまり(その事象に便乗した)「お土産屋」の角から南へ曲がる一本道の先に、その村は今でも存在するのでした・・・・・・
ーまるで陸地に座礁したままー
この土日に東の「町」で催されるあるイベント用の白いポニーを一頭だけ運んでいた中年男のドライバーは記憶していた距離感よりもずっと先に進んでからようやく現れた古いブリキ看板に微笑みましました。後続車と対向車の姿がなかったのでウインカーを点滅させず軽く減速しながら反対側へ横切りました。まるで陸地に座礁したままの「お土産屋」の駐車場にトラックを停めるためです。外の空気は、朝の雨に濡れた土と学者も思い出せないような名もない草の匂いに満ちていました。
初めてここにきた日も雨が降っていたことを彼はよく覚えています。旧道も遥か手前から激しく(上り下りともに)渋滞していて雨合羽を着る「右折入り禁止」の看板を持った係員は声を枯らしていました。「お土産屋」のトイレも(特に女子トイレでは)傘をさして待つ人の大行列ができていて駐車場の出入り口まで伸びていました。デートしていた彼女はラジヲの交通情報でもアナウンスされていた大渋滞にイライラが募っていたので「右折入り禁止」に吠えてからトイレの行列にも絶叫しました。
「羽なんか降らせないでトイレを運んできてくださいよ、天使様!!」
そのまま雨の旧道を進んだ彼らは反対車線上の渋滞が途切れるあたりにあったライ麦畑までくると、人生に於ける一つの限界点を更新した彼女は雨の降る旧道を横断し、刈り取られる前の穂の海の中へ飛び込みました。
羽毛が空から降ってきた丘の上にあるらしい、古い礼拝堂の前で渡そうとしていた指輪は、結局次のデートに持ち越されました・・・・・・
中年男のドライバーは運転席から降りると外で煙草を一本吸いました。
自分がもっと孤独でこの雨粒がもう少し大きかったら、記憶は懐かしいモノではなく忘れるべきか否かに悩む、たぶん悲しい雨音として再び聞くことになっていたのかもしれない・・・・・・煙を吐きながら頭に手をやり、髪を濡らした雫で顔を拭きました・・・・・・ならば感謝を忘れてはいけないな。男は改めて思いました。
ーB♭の直線ー
小さな村の丘の上では今朝も六時の鐘が鳴りました。チャペル守りの手伝いをする若者が、細い手首に巻いたGショックの時間に合わせて打ったのです。礼拝堂の壁面からチタン合金のアームに吊るされた、30㎝の口径部が柔らかく広がる柄や模様のないとても古い青銅の鐘です。今朝のような細かい雨が降っていても先の尖った透明の翼は硬く響いて丘から飛び立ち、やがて静かに消え入るまで大気の中にB♭の直線を引くのでした。
クルミ材の木槌が手に馴染み始めてきた若者は、およそ「二十年前」コンクリートに建て替えられた「新しい礼拝堂」の正面へ回ると入り口の鍵を開け一晩籠った空気を入れ替えました。
カンカンカン、カンカンカン。
百年、二百年ものあいだ変わらずに続く同じ鐘の音です。しかし正直に言えば毎朝、毎夕に響く鐘の音は、聞き耳を立てる意味において全く違った響きだったのかもしれません。
もともと代が続いていく過程において過疎化が進むと同時に、形式や型のない彼らの自由過ぎる、無神論に少し毛が生えた程度の信仰心はごく自然に薄れて行き、ついにはそれすら形骸化していました。
今も居留している者は、とっくに枯れてしまった、村の外れに湧いていた泉の水で生まれた直後の身体を洗われた最後の世代の僅かな数の老人ばかりです。彼らは「二十年前」の当時、実は大変な迷惑を被ってもいたので、むしろ突然に羽毛を降らせた「神様」に対し、口には出来ない恨みを抱えることとなりました。でもだからと言って、まさか丘の上の礼拝堂を破壊することなど出来るはずもなく、そこで彼らや生前の親たちは知恵を絞りました。「特需」によって得た(莫大な)資金を活用し礼拝堂を新しく建て替えることにしたのです。重機の力を借り丘の上が一旦更地になったひと時の間、密かな清々しさを共有した彼らはもちろん誰も口にはしませんでした。
九枚の薄い大理石の石板(中心になる八角形の一枚と、一辺ごとにあてがうための、円を分割した丸い底辺の台形が八枚)に漆喰を重ねる、天井の丸いフラスコ画だけは残したとはいえ、建物のデザインから資材からこれまでの礼拝堂の面影は微塵もなくなり、完成した直後のそのときだけはどこか後ろめたさを感じたものです。また彼らは建て替え期間だったときも、面倒この上ないこと承知で丘の上から鐘を下ろし朝と夕に鳴らし続けました。なぜなら彼らは、あの日の朝に鐘を打ち忘れてしまっていたので、よくよく考えればその罰だったのかもしれない、と解釈しましたし、なかには再び打ち忘れでもしたらもっと大きなもっと破滅的な事態が起こるぞと警告されたのかもしれない、等と考えていたからです。「騒動」の全てに対する怒りや悲しみで、いつもよりずいぶんと気持ちの弱っていた無神論に毛を生やした彼らは結局「神の恐怖」には「保証なきゲン」を担ぐことで対処しようとしたわけです。
もともと本堂もなく、神父だろうが牧師だろうが新旧どちらの聖書を開く人物もいなかった丘の上だったのですが、遥か昔から建っていたかつての礼拝堂は、村の有志により代々守られてきました。彼らは親や祖父母と同じく持ち回りをして朝と夕に鐘を打ち、昨夜の空気を入れ替え新たな夜の気配を閉じ込めました。休息日になるとちらほら数少ない村人が丘を上りそれぞれの祈りをすべく、思い思いの神様に、遥かなご先祖さんや自分自身に、なかにはそこら辺の畑や石や泉だったり、星や月や太陽だったかもしれません。いずれにしろ胸の前で掌を組んで頭を垂れました。誰がどんな神様を思い描いていたのか、それは自由であったからこそ誰もが秘密でしたが・・・・・・
でもある雨の朝に何の予兆もなく鐘は鳴りませんでした。そして昼が近くなるとすっかり晴れていた空から突然大量の羽毛が降ってきたのです。村はその騒ぎに右往左往し、珍しく鳴らなかった朝の鐘などすっかり忘れてしまいます。
丘の北側周辺と北側斜面の一部に降り積もった羽毛を、どこか除雪するように村を挙げての作業がひと段落した昼過ぎ、こんな奇跡的な現象が起きた日の当番は誰だったのか、という話題が出ると一人の村人の名前が上がりました。でも考えてみると今朝鐘を打ち忘れた当人の姿を見かけた者は誰もいなことが発覚しました。
・・・・・・それはひと月ほど前のこと。雨が降り続いた休日の昼過ぎに年代物の雨合羽を着て、四肢のどれか一つに青い狼爪を持つ珍しい犬を三頭連れたよそ者の男が、村の外れにある森の鹿を仕留めにやってきたことがありました。
犬とライフルに関してとても饒舌だったそのディアハンターか、あるいは青い狼爪を持つ、尾の太い灰色の大型犬を追いかけていなくなった妻の情報をどこかから得ていた今朝の当番である夫は、昨夜初めて繋がった直後に焦って切られた電話の硬直した余韻が終わらぬまま自家製白ワインのボトルを二つも開けてしまうと、正気も村の伝統である鐘の当番も、また長く勤めていた「町」での仕事もすっかり忘れた午前三時、彼は物騒なモノを四駆のトランクに隠し、初めて使った市外局番の地へ向かったのでした・・・・・・
夫も妻もどこかで生きていれば、翌日トップ・トピックとなった村のニュースを必ずや耳にしたはずでしたが、二人は二度と戻ることはありませんでした・・・・・・しかし二十年後に「珍しい犬」と同じか似ている犬がふらり村へとやってきました。奇しくも、今朝鐘を叩いた若者が村に来るひと月ほど前のことです。