9怪 試験、試練、実験
「彼って拡散力がありそうだよね」
ファミレスからの帰り道、別の道だからと田切が別れた後、唐突に露明がそう言った。僕はもたれる腹をさすりながら、話しかける。
「田切が? 確かに友達は多いですけど」
「蓮田くん、きみの方から、たまに噂を流してあげてくれないかな?」
「噂?」
露明が大股で数歩、わざわざ歩いてから、くるりと振り向く。
「彼にさ、お化けの噂をね。内容は僕が考えるから、きみはそれをそのまま教えるだけでいい」
まあそんなところだろうな。とコンクリの地面にへばりついた汚れをぼんやり眺める。ふとなぜ僕を経由する必要があるんだと気付いて、返事を返す。
「でも自分でやるのが一番じゃないですか」
「きみ、友達なんでしょ? その立場を最大限利用しようよ」
僕にあんまり変なイメージが付きすぎるのも困るしね。と右手で黒髪をかきあげる。芝居がかった仕草だ。
「でも、僕いままでそんな話してこなかったし、いきなり話したら変に思われるんじゃ」
「きみがさっき言ってたじゃない。怖がりが怖い話をする理由」
そんな事言っていただろうか。爪をいじって考えていると、彼は呟く。
「わからない方が怖いこともあるってさ。怖い目に遭って、話を収集したくなったって事で」
そんな適当な。と言おうとして顔を上げるが、露明の言葉に遮られる。
「もちろん僕だって噂は流すよ。兎に角くれぐれも、僕の正体がバレないようにしたいんだ」
いつもの学校で振りまいている笑顔も、学校の外で見せる薄ら笑いも、その顔からは消え失せていた。真っすぐな目に見つめられる。駅前の街灯に照らされて、彼の前髪がその顔に影を作っていた。その影のせいだろうか、なぜ露明が今更になってそんな事を言うのか、僕にはわからない。
だって、今まで散々脅してくれたじゃないか。
「……僕、電車だから」
ここでバイバイ、と彼が腕を振った。気が付くと、いつものようにニヤニヤとした嫌みったらしい笑顔が浮かんでいる。
僕の正体がバレないように、と語った彼の口調が、普段と少し違っていたことに気付いたのは少し後の事だった。
「試験中ってさあ、部活できねえのが嫌なんだよなあ」
別にやっても良くね? 自由参加型にしてさあ。と田切がぼやく。
「今けっこう仕上げ作業も大詰めなのにさあ」
試験前日の図書室には利用者がそれなりに詰めかけており、にぎにぎしい空気が流れていた。多少私語をしたって、咎める人は誰も居ない。
田切の前には何冊かの参考書が開かれていたが、開かれているだけだ。先ほどから読んでいる様子は全くない。
「まあ、任意参加にしても色々あるんじゃない」
ノートをまとめ直しながら、僕は返事をする。
試験の勉強をしようと図書室に来たところで、田切と偶然鉢合わせ、なんとなく同じテーブルに座っている。広げている参考書を見る限り、向こうも試験勉強が目的のはずだが、と机に寝た田切の顔を見る。
目があった途端、ところでさ、と田切が顔を上げた。
「最近妹の学校で、変な噂が流行ってんだって」
「妹って、絃奈ちゃんのこと?」
前に何度か話を聞いたことがある。確かまだ小学生だったはずだ。小学校で流行る怪談といったら、たわいも無いような物が多い印象だけど、田切が心惹かれる程の話があるのか。
「あいつにはなんか怖い話聞いたら俺に教えてって言ってんだけどさ、昨日新作聞いたんだ」
「新作」
田切は水を得た魚のようにキラキラとした目で、机の上へ身を乗り出す。
「夕方になるとさ、絃奈たちの遊び場の近くの道路に路駐してる車があんだよ」
「うん」
「その同級生の一人が、オモチャを落っことしてさ、止まってる車の下に入り込んだわけ。
で、取ろうとしたら……車の下からガリガリの細っこい手が出てきて、そいつの腕を掴んだらしい」
「え、こわっ」
背筋が寒くなる。想像がたやすいぶんだけ怖かった。
「だから、今小学生たちはそこで遊ばないんだと」
「それってどこなの?」
「神社の辺り、ほら、定食屋の向かい側んとこの」
「ああ、あそこ」
これは露明に言っておいた方がいいかもな、と自然と浮かんで、その事に自分で少し驚いた。
今度見に行っちゃう? と誘う田切に丁重にお断りして、僕はノート内容の整理に戻った。
「単純過ぎて、センスが無いね」
翌日のテスト後、人もまばらな屋上で僕が噂を教えた時の露明の第一声は、それだった。
「もっといくらでも不気味に出来るはずだよ。そんなどこかで聞いたような話じゃ、すぐ元ネタがバレて風化する」
「そうですか……」
まあ、小学校の噂なんてそんなものでは無いだろうか。むしろ小学生が作ったにしてはよく出来ている方だと思う。
「よし、アレンジしよう」
露明は指をパチンと鳴らす。何が「よし」なのだろうか。
「別バージョンの噂、って事で田切くんに教えておいてね。軌道修正だよ」
「はあ……」
スマートフォンを取り出して、物凄い速度でメモを打ち込む。三十秒も経つと、メッセージに変形させた話のメモが送られてきた。
「……なんですかこの『出てきた手にはその子が作って捨てた筈のリリアンがぐるぐるに巻かれていた』って」
「いいでしょ、理屈の無いところから出てくる捨てた私物って怖いだろ?」
「リリアンって何です」
「は? そこから?」
小学生は皆やたらやってるでしょ、専用の、透明なオモチャで編むやつ、と雑な説明を受ける。そういえば、友達がそんなもので一瞬遊んでた時期があった気がする。
「まあそこは適当に捨てた物に変えて…………もしかして、他にもわからない箇所があったりする?」
「この他は……大丈夫、変なとこ無いです」
これを教えればいいんですね、と言うと、そう、と頷かれる。
「一、二週間もすれば、怪異は生まれてると思うなあ。実際、もうかなり話されてるみたいだからね」
そんな事を言いながらフェンスにもたれかかった。こいつはどうやって学校外の噂の広まり方まで調べているのだろう。
「じゃあ……僕、帰るんで」
明日もテストがある。流石に少しくらい予習をしておきたい。
「うん、じゃあね。僕もこの後カラオケ誘われてるから」
露明は片手を上げて見送った。勉強なんてしなくっても、怪物にとってはテストなんて何も問題無いのかもしれない。羨ましいな。
僕は一人で帰路についた。
テスト返却まで終わりきって、明日から夏休みに突入するという金曜日、『そろそろ探しに行こう』と露明から連絡が入った。
『正門前で待ってる』と約束してあったと言わんばかりに送られ、慌てて向かう。
花壇の石垣に座り、奴は携帯を眺めていた。視線が合ってニコ、と笑われる。
「テストお疲れ様」
「ああ……ハイ……お疲れ様……」
真っ当な挨拶をされて、一瞬戸惑った。すぐにここだと他の学生の目があるからか、と気付く。
ふと好奇心が湧いてしまい、気になっていた事を訊いた。
「そっちは、点数どれくらいでした?」
うーん、と露明は考えるように顎に手を当てる。
「……君は?」
「僕は……まあ化学がちょっと悪かった程度で、後は普通です」
質問を質問で返された事に少し苛立ちながらも、正直な返答をした。勉強しておいたお陰で、無事に夏休みの補習は免れられた。
「ふーん、普通ってどれくらい?」
「え、七十点とか」
「そっか」
そのまま露明は黙る。視線は既に興味を無くしたのか、僕でなく空中のどこかへ向いている。
「で、どうだったんです、そっちも教えてくださいよ」
数秒、間があいてから、彼がバッとこちらを振り向いた。
「……秘密だよ」
それよりほら、そろそろ行かないと日が暮れるよ、と組んでいた足をほどいて、花壇から立ち上がる。
……もしかして、と思った。こいつ、かなり点数悪かったんじゃないのか?
怪物に人間のテストは難しすぎたか。僕は少し笑いそうになるのを堪えて、彼の後ろを歩いた。
件の神社に着いたが、生憎付近に路駐の車は見当たらなかった。
「噂が噂だから、まず車が無いとね。ま、来てくれるまで待とうか」
裏側にある定食屋の自販機でミネラルウォーターを買って、露明は神社内のベンチに腰掛ける。
小さな神社は、境内に滑り台やブランコ、ロープのジャングルジムなんかの遊具が並んでいた。さあ子供たち遊んでくださいと言わんばかりだが、噂のせいか子供どころか生き物の影すら見当たらない。
「ここ、ほんとに住宅街?」
露明がそう声を上げる。僕も彼の隣に座ることにした。
「近所に子供が居ないにしても、人の気配無さすぎだよね」
「まあ、そのぶん噂が広まってるって事じゃないですか」
「ま、確かにその方が有難いけど」
そう言ったっきり、露明は携帯をいじり始める。待つ、と言っても毎日毎日路駐する車が現れる訳では無いだろう。来るかどうかも分からないものを待ち続けるのは、精神的にきつい物がある。手持ち無沙汰だ。
そもそも、露明が一人で待ってればいいんじゃないのか?
「これ、僕必要ありますかね」
「要るよ」
「なんで?」
「僕を見ると、向こうも捕食者だってわかるみたいでね。必死で逃げようとするんだよ。だから、油断させて捕まえる為に……ね」
要するに、囮と言う事だ。そんな事だろうとは思っていたが、必要無い、と言って貰えれば開放されたのに。僕は溜め息をついた。
SNSの流れが遅く感じる。好きなレシピサイトの更新分も見尽くした。二時間以上固いベンチで待ち続けて、携帯を使う気力も無くなってぼうっとしていると、唐突に着信音が鳴った。
画面を見ると、田切からだ。メッセージでなく、電話してくるのは珍しい。
「あ、蓮田? この前お前に言ってた車の下の手の話なんだけどさ」
なんてタイムリーな話題を、うん、と相槌を打って続きを話させる。
「絃奈が泣いて帰ってきてさあ、何があったんだって訊いたら、掴まれたんだって」
え! と声が出た。神社付近には車はまだ来ていない。見落としたのか、と焦りつつ返事をする。
「それって、神社のとこで?」
「ううん、あそこにはもう行かなくなってるからさあ。公園で遊んでて、帰る時公園前の道路に止まってた車の脇通ったら、足掴まれて、サンダル持ってかれたって……絃奈はもう寝たからそれ以上聞けねえんけどさ、本当なのかな」
どういう事だ、お化けが移動したのだろうか?
確かに変だね、後でまたかけるよ。と言って通話を切り、露明に今聞いた内容を話す。僕の話を聞き終わったあと、露明はゆっくり口を開いた。
「そうか、場所が大事なんじゃないんだ」
「え……?」
「考えてみてよ、この話が広まったのは小学生達の間。なら、この神社の傍にお化けが出るって言うのは『普段よく行く遊び場の近くにお化けが出る』って意味になる」
大事なのはそっちなんだ、と言って立ち上がり、思いっきり伸びをした。気付くと周りはすっかり暗くなっている。
「身体中凝ってまで張り込んで、損した!」
嘆くように露明が声を上げる。僕の方を見ないまま、明日は小学生が沢山遊んでる場所を片っ端から巡ろう、と命令する。どうせ僕に拒否権は無いのだろう、それに。
僕の耳には、彼が立ち去りながら、お腹が空いた。と呟くのがしっかりと聞こえていた。