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我が身可愛くて烏は鳴く  作者: 黒胡麻月介
一章 彼は〇〇
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6怪 雨水のブランチ

 雨の日の目覚めは最悪だ。

 髪は湿気を吸い込んで、首が軋みそうな気すらする程に重量を持つ。

 ベッドのすぐ脇にある窓から、水滴の音が聞こえる。ショパンの調べなんて優雅なものでは無い。雨樋に溜まったのちに、決壊して滝のように落ちる。不愉快な低音だ。

 今日は土曜か。昨日も雨だったのに、よくまあ飽きずに降ってくれるものだ。

 寝返りをうつと、茶のシーツにシワが寄った。どれだけ綺麗に敷いたとしても、一度寝ると何処かしらヨレてしまう。フローリングの床に下りて、ウンザリしながらシーツを敷き直した。

 広くも狭くもないワンルームは、雨雲とカーテンのせいで朝でも薄暗い。ノートパソコンを置きっぱなしにしたガラス製のローテーブルと、壁際に置かれた収納ケース。部屋にある家具らしい家具と言えばそれだけだった。

 長すぎる髪を引き摺って、部屋を抜ける。唯一家にあるコップで水道水を汲む。腹に穴が空きそうな程、空腹だった。前回の食事から一週間経っている。まだ大丈夫だと頭ではわかっているが、それと身体の感覚は別だ。のっぺりとした不快感が胃を包んでいる。流し込まれた水は、何の足しにもならない。


「……なにか無いかな」


 口から呟きが漏れた。流しの脇に置かれた観葉植物が、憎らしいほど青々と茂っている。睨み付けると土が乾いていたので、霧吹きを無視し、コップに残った水を直接注いでやった。

 リビング兼寝室へと戻る。パソコンを開くと、画面内の時計は午前九時を示していた。そのまま適当な怪談サイトを巡る。ついでにケータイも確認しておこうと、充電器ごと近くへ手繰り寄せて点ける。

 メールが一件来ていた。今どきメールで連絡してくるのはアイツしか居ない。直ぐに開いて内容を検める。

『今月分は振り込んでおいた』

 端的な一言。それ以上の内容が無かったことに肩の緊張が抜けた。良かった。

 クラスの女子からメッセージが来ていたことに気付く、送信時刻は昨夜。寝てしまった後に送られてきたのだろう。


『露明、前に近場の怖い話好きって言ってたじゃん?この話みた?』


 文の下にURLが貼られている。押すと投稿型の怪談サイトのページへ飛ばされた。記事に目を通すと、確かに土地名自体はぼかされているが、体験談らしき話の舞台は確実に桜下第一高の近隣だ。この街へ来て以来、怪異探しに練り歩いていたお陰で、この近辺の地理には大分詳しくなっている。それにこの場所は、前々から目を付けていた場所でもある。


『嬉しい ありがとう』


 短い文とスタンプを送って、アプリを閉じた。サイトに載っているという事は既にかなりの回数話されているのだろう、もしかしたらもう怪異が生まれているかもしれない。自然と鼻歌が出る、一昔前のポップスだ。

 買い置きの野菜ジュースを取り出した。さっきのコップを再度使い、口に含む。オレンジ色の液体は、水よりトロリとしているのがわかる、それ以上の事は何も感じない。

 人間の真似だな。ペットボトルの蓋を開ける度、そう思う。

 洗面所へ行って、身支度を整える。歯を磨き、洗顔をし、黒のコンタクトレンズを嵌めて、髪を梳かして一纏めにする。

 今日はきっと忙しくなる。そう予感がした。




「また工事か」


 昼頃になって、怪談の現場へ向かおうとしたものの、道路工事によって最短のルートが塞がれていた。

 それなら、と回り道をしてみたが、運悪くこちらでも道路工事を行っている。

 桜下町は夏祭りが有名だ。行政としては夏が来る前に町の外へ繋がる道路を整備しておきたいのだろう。だからって梅雨時に慌てて始めるのが賢いやり方とは思えないが。

 進路を止められ、さあどうしようか。と悩む。雨は巨大な雨粒から霧雨程度に変化しており、上を向くと傘のビニール越しに真っ白の空が見えた。

 散歩がてらと思って、駅を使わなかったのが裏目に出たな。動いた後の方が食事は美味いだろうと考えたのが良くなかった。

 仕方がない、渋々足を大通りへ向けた。大丈夫、雨だからきっと人は少ない筈だ。

 国道沿いに出て、ビルと川に挟まれた道を歩く。手摺り越しに濁った川を見ても、雨のせいか生き物の気配は無かった。

 突然、身体に刺すような冷たい風が吹き付ける。ビル風だ。ひときわ強い風が吹いて、反射的に足を踏み締める。が、突風は僕の手からビニール傘をもぎ取っていった。


「あっ」


 掴む暇も無く、ビニ傘は落下傘の如く川へ下りていく。防ぐ物を失って、身体に細かい雨がすぐさま浸透していく。最悪だ。

 コンビニに傘が売っている筈だ。そこで買えばいい。僕は足を早め、大通りの方へ向かう。

 何の因果か、コンビニ店内のビニール傘売り場には、一本の傘も残っていなかった。

 こうなったら盗んでやろうか。店脇の傘立てに視線を移動させても、そこにも傘は無い。こういうツイてない日というものは、とことんツイていないものだ。

 やる気のない店員の挨拶を背後に、店を出る。

 雨が染みてくる。真っ白な雲で空も見えない。濡れた靴下が不快だ。Tシャツが肌に張り付く。

 ……髪が重い。


「なあ、そこのあんた、何かあったのか?」


 振り向くと、和菓子屋の軒先に置かれたベンチから、青年が声を掛けてきていた。興味本位の顔ではなく、声を掛けるか散々迷ってやっと掛けた。と言いたげな表情をしていた。眉間には警戒の皺が寄っている。縁なしの眼鏡越しの目が、探るように此方を睨みつけていた。僕は疑心を無くすような笑顔を浮かべる。


「風に傘を取られてしまって」


 そう告げると、相手は考えるように顔を少し動かして、左上の虚空を見詰めた。


「……店の傘を貸そう」


 ややあって、彼が席を立ちつつそう呟く。


「大丈夫、と言いたいんですが……正直有り難いです」

「声を掛けたのはこっちだからな。何もしないのも」


 彼は背後にあった和菓子屋に入った。この店の人間なのか、看板を見上げると、『酒古和菓子店』と書かれていた。


「ほら」


 戻ってきた彼は、古そうな黒の傘を持っていた。パッと見ただけでも、布や持ち手がしっかりとしており、高級そうに見える。


「こんな高そうな傘、いいんですか?」

「いいんだ、別に」

「すみません、お言葉に甘えます」


 受け取って開いてみる。ワンタッチ式ではない大きな傘は、僕の身長もしっかりと雨から防いだ。


「ありがとうございます、雨が止んだら返しに来ます」

「気にするな」


 一礼から顔を上げると、目の前の彼は見覚えのある制服を着ていたことに今更気づいた。首元に付いた学年章は、三年を意味している。


「先輩だったんですか」

「ん?」

「制服、桜下第一高ですよね? 僕もそこの生徒なんです」

「……え、高校生か!?」


 見えないな、と呟く。お互い様だろう、と込み上げて来たものを笑顔で誤魔化す。目の前の相手は制服さえ着ていなければ、二十でも、三十と言っても通用しそうだった。見た目どうこうではなく、彼の纏う雰囲気の問題だろう。


「一年か?」

「あ、二年です」

「二年、ああ。あの噂の転校生か? もしかすると」


 少しだけ驚いた。僕の噂は、他学年まで広まっているのか。悪目立ちしすぎたかな、とも思ったが、まあもう遅い。


「はい、その噂の」

「どこに行く気だったんだ、こんな日に」

「今日じゃないとダメなんですよ」


 雨が降っている日でないと、あのお化けはきっと現れない。長年の経験がそう告げていた。


「……ちょっとお化け工場まで」


 凡庸なあだ名だな、と口に出しながら思った。クラスメイトとの集まりで怖い体験談が無いか尋ねると、必ずと言っていい程ここの名前が挙がった。しかも、各々が違った体験をしているのだ。

 謂れはよくわからなかった。元の持ち主が首を吊ったとか、従業員が機械に巻き込まれたとか、通り魔が業務時間内に工場に入ってきたとか、その全部だとか言う奴まで居た。ともかく、禍々しい場所だ。

 先ほど見た新作の噂曰く、雨の日には工場の倉庫前に“それ”が出るらしい。今後、安定した栄養補給源となるであろう場所へ、下見も兼ねて行ってみてもいいだろうと思ったのだ。

 彼がわかりやすく眉を顰める。この人はかなり顔に出やすいな。と内心笑うが、感じのいい微笑みとしてそれは出力される。


「何をしにだ」

「あんな所、目的は一つですよ」

「ああ、だから……今日か」


 そう言って軒の外へ視線を動かした。こういった話が嫌いそうに見えるが、あの新しい怪談自体は知っているらしい。


「うちの後輩が話していたな、探検したいとか何とか」

「そうですか」

「まあ、気をつけろよ、廃材なんかが転がっているからなあそこは」


 はい、と返事をして、ふと思いついた。こういった相手は、怪談を広めさせるのにちょうどいい。


「傘、学校で返しますよ。クラス教えてください。僕は二年二組の露明寧人です」

「ああ……三組の、酒古(さこ)黎和(あきかず)だ」


 さこあきかず、名前を脳内で反復しておく。お辞儀をし、そのまま和菓子屋を後にした。




 お化け工場は、お誂え向きに空気が悪く、暗いオーラを放っていた。

 やたらと伸びた煙突は、じっと眺めると縮尺が狂うような錯覚にとらわれる。敷地を覆うフェンスは劣化し、あちこちが侵入してくださいとでも言わんばかりに破れている。いや、実際侵入者に破られたのかもしれない。先人に感謝しつつその一つを潜る。

 工場の外壁には、よくあるようなスプレーの落書きがあった。花火の跡や、チューハイの空き缶も転がっている。この花火は一年物だ。

 ヤンキーのデートスポット兼溜まり場、ってところか。区画内に敷き詰められた砂利を踏みつつぶらぶら歩く。いいじゃないか。ヤンキーは繋がりが広く、だいたいは口が軽い。ちょっと変な出来事を起こしてやれば、あっという間に怪談の三つや四つ出来上がるだろう。

 工場の扉に手を掛けると、案の定鍵がかかっている。周囲を見渡すと、これもヤンキーの仕業だろう。窓ガラスが割られている場所が見つかった。

 やっぱり、噂になっている場所は良いな。窓の鍵を開けて、無事工場内に侵入する。

 大型機械がいくつも取り残され、その間の床に空の酒瓶やお菓子のゴミが放置されている。その取り合わせがアンバランスで、思わず笑いが零れた。

 件の倉庫はどこだろう。備品やパイプに足を引っかけないよう、注意して進む。

 浴槽にしか見えない機械の脇を抜け、電圧注意などの物騒な看板に彩られた通路を歩く。

 倉庫らしき場所は、屋根の三分の一が老朽化で抜けていた。外壁も何か所も崩れ落ちており、いい感じに雰囲気がある。備品のほとんどが運び出されたらしいだだっ広い空間は、酒盛りに来る人間にはたまらないのか、他の場所よりもここのゴミは酷かった。

 ふと、崩れ落ちた壁の方から足音と声が聞こえた。見つかると色々と面倒だ。近くの壁に身を隠す。


「やばいやばいやばい」

「どうしよう! どうするの!?」


 少しだけ顔を出し確認する。壁の穴から学生服の二人組が焦った様子で入ってくる。その片方に見覚えがあった。


「……蓮田?」


 茶の混じった肩までの猫ッ毛、野暮ったい印象を与える眼鏡。間違いない、蓮田だ。もう片方の人間に見覚えは無かったが、どうやら友人らしい。栗色のベリーショートは彼を快活そうな雰囲気に見せている、あんな友人が居たのか。二人はしきりに走って来た方向を見返している。距離もあるせいか、こっちに気付く様子は無い。


「やばい来てる来てる!」

「うああああ! 嫌だやだやだ!」


 倉庫の反対側の壁まで、怯え切った二人は逃げる。外と繋がってしまった外壁から、そいつは顔を出した。


「あ゛」


 見た瞬間に喉から息が絞り出される。僕よりも大きい背丈、二本ある首は長さがバラバラで、首吊り死体を思わせるように奇妙によじれ、引き伸ばされている。二個の顔のうち、片方はとろけたような潰れた皮膚の中、目が縦にふたつ並んで付いている。もう片方は焼け焦げたような黒で、中心に鎮座した口からは黄色の歯が何本か覗いていた。

 身体は腐乱した肉の色だ。痣に似たまだら模様に覆われた肢体は、見ようによっては作業着に見えなくもない布を縫い付けられている。

 まごうことなき怪異だ。理性が痺れて、目を離すことができなくなる。

 美味しそう、美味しそう、美味しそう!

 顔を翼が突き破る。飢えに任せて足が勝手に駆け出しそうになる。駄目だ。蓮田はいいとして、あのもう一人の男子に見つかりたくない。


「来んな来んな来んな!」

「あっち! あっち逃げよう!」


 蓮田が腕を引いて促す。怪異はゆっくりと床を踏みしめて歩いているが、二人とは歩幅の差が大きすぎる。あっと言う間に距離を縮められ、彼らは半泣きで工場の方へと走り出した。このままでは見つかる!


「うあっ! ってえ!」

「田切!」


 危惧した瞬間、足が恐怖で縺れたのかもう一人の方がこけた。腰が抜けたのだろうか、蓮田が駆け寄っても立ち上がる素振りを見せない。彼もお人好しだ、友人なんて置いて逃げてしまえばいいのに。

 怪異はゆっくりと二人に近寄り、そして、抱き着くように手を緩慢な仕草で伸ばす。

 怪異が口を開ける。その口の中が真っ黒で、堪らなく恐ろしくて、

 堪らなく美味そうだった。

 気付くと僕は、視界の端に黒の羽毛を撒き散らしながら、力の限り駆け出していた。


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