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我が身可愛くて烏は鳴く  作者: 黒胡麻月介
一章 彼は〇〇
4/21

4怪 大衆的怪異論

 スーパーのBGMは、動画サイトで人気上位曲のアレンジメドレーが流れ続けていた。

 夕方のスーパーはパート終わりの主婦らしき人が数人いるくらいだったが、それでも人の気配があることに変わりはない。油断できる、安心した時間だ。

 冷蔵ケースの前まで行き、母親から頼まれていた牛乳をカゴに入れる。ついでに無くなっていたケチャップも買っておこう。

 結局、あの露明の誘いには乗る気になれず、はぐらかして逃げたままになってしまった。授業が終わってからも、露明がクラスメイトに囲まれているのを見て、これ幸いと帰宅してきた。

 僕が食べるのは噂のお化けだから、元ネタがどんな残酷な死でも関係ない―–

 露明はああ言っていたが、僕はそうきっぱりと割り切れなかった。しかし僕がそう主張する度、あいつは言うことを聞かず駄々をこねる子供を見るような目で僕を見つめるのだ。

 納得できないまま、目を盗んでさっさと帰ってしまったが、今のところ協力を催促する連絡は来ていない。


(このまま、忘れてくれればいいんだけど……)


 露明がお化けを食べてしまうのは仕方ないとしても、それの手伝いをすることは避けたいと前より強く思った。

 ケチャップの種類を吟味しながら考える。露明は結局お化けを探しに行ったのだろうか。


「すみません、お花ってどこにあるか分かる?」


 声をかけられて振り向くと、ショッピングカートを押したお婆さんが立っていた。


「あ、わかります。こっちです」


 このスーパーの花売り場は、奥まっていてわかりづらい。横に立って歩き、案内する。


「ありがとうねえ、お店の人が居なくて」

「いえ、大丈夫です」

「孫にお花を持って行ってあげようと思ったんだけど、今日はお花屋さんが閉まってて」

「そうですか」


 花のコーナーに着いた。お婆さんはまだ話し足りないのか、ビニールにくるまった花束を選びながら喋り続ける。


「あら、ここのスーパーにもお花は意外と沢山あるのねえ。孫が一番好きなのは赤なんだけど……」


お婆さんの手が止まった。赤ならカーネーションやバラがあるのに、悩むように俯いている。


「ど、どうかしました?」

「娘にね、やっぱり持っていくならこっちの方が良いんじゃないのって言われちゃって」


 そう言って、お婆さんは仏花の束を手にした。


「私はねえ、無理に形式にこだわらなくても、あの子が好きだった花をあげればいいんじゃないかと思うけどねえ」

「お孫さん……亡くなられたんですか」

「ひと月前にねえ、車の事故で」


 息を飲んだ、一月前、交通事故。あまりの偶然に返事すらできなかったが、向こうはそれを気にせず、それじゃ、これにしておくわ。あの子、黄色はあんまり好きじゃないんだけどね。と手に持った花束に呟いて、お婆さんはレジへ歩いて行った。

 あまりの偶然に僕はしばらくの間、花コーナーの前で立ち尽くしていた。




「なあなあ、五両のガードレールに出る幽霊って噂知ってる?」

「五両って、あの住宅地のあたり?大きいスーパーのある」


 朝教室に入ると、学校のクラス公認カップルがそんな会話をしていた。


「そーそー、聞いたんだけどさ、女の幽霊が出るんだって。足とかもめちゃくちゃで、ずたぼろの女。それがゆっくり這って追いかけてくるって」

「え、超怖いじゃん。そんな話しないでよ、誰から聞いたのそんなの」

「ごめんごめん、アレ? 確か小林達とかと話してた時だったんだけど、そのうちの誰かかな」


 机につき、荷物を整理するふりをしつつ会話を盗み聞きした。噂はどうやらますます広まっていっているらしい。きっと、拡散には露明も一枚噛んでいるんだろう。

 ずたぼろの女――

 想像するだけで鳥肌が立った。脳内にある映画や本のスプラッターな映像と掛け合わさって、悪い方へとリアリティは嫌でも高まっていく。恨めしげにこちらを見つめる血塗れの女。そういったイメージが完成した。

 これが噂ってことなんだろうな。口には出さずに、そう呟いた。

 あのお婆さんは、身内の事故の話がこうして広がっていくのをどう思うだろうか。

 怪物の方を見ると、奴は知らん顔をして、教室の隅で男子グループと話していた。


「露明はさあ、なんでこの学校来たの?」

「あれ、言ってなかったっけ。……まあ親の都合みたいなもん」

「いやお前一人暮らしじゃん!」

「あ、バレたー」


 そのままたわいも無い話題へと変わっていく。露明が一人暮らしというのは初耳の話だった。

 まあ、家族がいると聞くよりは納得がいくのだけど。

 怪物の一家。考えるだけでおぞましさを感じる。怪物の家族は、やはり怪物だろうか。

 それにしても、露明の家か。奴が家で寛いでいるようなシーンを想像しようとしてみたが、上手くいかなかった。




 帰宅して家に辿り着く。門柱をくぐると、デンショーが嬉しそうな声を上げて飛びついてきた。


「あ、帰ってきたの? デンちゃんの散歩行ってあげて」


 庭で草むしりをしていたらしく、軍手にサンバイザー姿の母がそう言った。


「あれ、母さん今日昼間に行かなかったの?」

「最近暑くなってきたでしょ? デンショーの為にも夕方にした方がいいかなと思って」


 前回のことがあってから、デンショーの散歩は母に任せきりになっていた。散歩、というだけでどうしても思い出すというのに、その上夕方。行きたくない。


「僕宿題あるから、後でもいい?」

「あら、珍しいね。あんたがそんな事言うなんて。そんなに今日の課題多いの?」

「あ、いや……」


 他意なしの疑問をぶつけられて、思わず口ごもってしまった。怖いから行きたくない、なんて、どうやって親に言える?


「やっぱり、今行く」

「そうなの? 無理しなくていいわよ」

「ううん、宿題は帰ってからやるよ」


 夕方のうちに行ってしまって、暗くなる前に帰ってくれば大丈夫だ。怖いからって犬の散歩程度の事を、いつまでも避けていても仕方が無い。

 僕がデンショーのリードとトートバッグを持つと、デンは嬉しそうに鳴いた。


「ヒョオオン!」

「デンちゃんも、陸とさんぽ行けて嬉しいのねー」

「行ってきます」


 庭から道路へと出る。大通りまで行くと、デンショーがまた通行人を見て遊びたいと騒ぎ出した。

 行く人行く人に飛びかかろうとするのを、リードを引いて制止する。おかげでまったく散歩が進まない。


「こらデンショー! もう行くぞ!」

「ヒャオ! ヒャオン!」


 一向に聞き入れてくれる様子はない。来い、こら。と紐を引っ張っていたが、紐を引きちぎる勢いで飛ぼうとする。ほぼ引きずるようにしてデンを歩かせるが、散歩のペースは落ちるばかりだ。

 唐突に人が一人、目の前の横道から出てきた。デンショーは目ざとく反応し、遊んでくれと立ち上がる。


「ワヒッ!」

「わあっ!」

「あっ!」


 とっさに紐を引き寄せた為、飛びつくことは防げたが、突然犬に吠えられ驚いたのだろう、相手は転んでしまった。


「ご、ごめんなさい!うちの犬が!」

「いえ、大丈夫……あら」

「あっ、この前の」


 目の前で倒れたのは、偶然にも前にスーパーで会ったあのお婆さんだった。心配になって駆け寄る。骨とか折れてないだろうか。


「すみません、大丈夫ですか? 怪我とかしてるんじゃ」

「大丈夫よ。私が勝手に転んだだけだから」

「でも……」


 手をとってもらい、立ち上がらせる。落とした黒のハンドバッグを拾い、平気よ。とお婆さんはにっこり笑う。それでも不安がる僕に向かって続けた。


「それじゃ、ちょっと家まで送ってもらえる?」

「あ、はい、もちろん」


 こっち、近くだから。と先導されるまま付いていった。デンショーも暴れて満足したのか大人しく言う事をきいてくれている。

 着いたのは、瓦屋根の一軒家だった。二階建てで庭にはいくつかの木や花が植わっている。


「ちょっと待っててね」


 そう言って、お婆さんは家の中へと入っていった。確か、玄関先に咲いているこの花はポピーだ。鮮やかな赤色が、木を基調とした民家を綺麗に彩っている。視線を上げると、何かの実を付けた木が目に入った。鮮やかなオレンジ色、あれはきっと枇杷だ。


「立派でしょう?」


 いつの間にか戻ってきていたお婆さんに、そう声をかけられた。手にはカゴと、園芸ハサミを持っている。


「そうですね、立派です」

「収穫を手伝ってもらいたくてねえ、よかったら」

「え、あ、はい」


 小さい枝ごと切って入れちゃってね、と言いながら道具を手渡される。どこからか脚立まで取り出されて、そのまま枇杷の収穫をすることになった。デンショーは門柱に一応繋がせてもらう。

 高い位置は脚立に登り、枝を切って渡されたカゴへと入れていく。木の栄養が良いのだろうか、小ぶりの枇杷がいくつもいくつも付いていた。


「ありがとうねえ、もう歳をとると腕を上げっぱなしなのも辛くて」

「いえ、これくらいで良ければ」

「男の子は背が高くて助かるわ、去年までは孫が手伝ってくれてたんだけどねえ、もう男手が無くなっちゃったから」

「え……うぶっ」


 その言葉に違和感を感じたせいか、手が滑り、枇杷を受けそこねて実のいくつかが顔面に実が落ちてきた。つまみ上げてカゴに入れつつ、お婆さんの方を向く。


「お孫さんって、男の人だったんですか?」

「うん? そうよー」


 不思議そうな表情を浮かべたお婆さんの後ろにある、開け放しの玄関から覗く靴箱。その上に飾られた真新しい写真には、この民家を背景に、成人式らしくピカピカのスーツを着た笑顔の男性が写っていた。


 


 カア、カアと声が聞こえて、身を竦めた。横にあった街路樹から、本物のカラスが何羽か飛び立っていく。怪物を見て以来、どうにもカラスが怖くなってしまった。

 食べきれないから、とお裾分けされた枇杷入りのビニール袋を片手に、散歩を終わらせて家へと急いでいた。

 それにしても、と考える。あのお婆さんはとても悲しそうだった。残された今でも、死んだ孫のことを考えて花を選んだり、庭の枇杷をとっていた姿を思い出したりしているのだろう。

 それほど亡くなってなお想われている死人の、噂から生まれたものを食べる。

 何度考えても、僕の倫理観がブザーを鳴らした。

 露明はもう、あのお化けを食べてしまったのだろうか。


「あれ……」


 そういえば、この並木道を通るとあの住宅街の傍だ。避けて帰るには、ぐるりと遠回りをして歩く必要がある。

 遠回りか、近道か。僕は歩道に立ち止まって考えた。

 怖いかどうかで考えれば、確かにお化けは怖い。しかし。

 いい子だったのよ、優しくて、会社にもまだ入ったばかりで――

 あの後聞かされた話、その時のお婆さんの顔を思い出す、ただの化け物じゃない。ただあそこで死んだだけの人間だ。それでも、

 それでも、出くわした時のあの感覚は頭にこびり付いていた。


『やっぱりきみもわかってるんだろ? お化けとその人は別物だって。だから、食べてもいいんだよ』


 190センチの高さからそう語る露明が見えるようだった。


「……そんなわけないだろ」


 居ない露明に当てつけるように、僕は真っ直ぐ住宅街へ足を進めた。




 薄闇に包まれ始めた住宅街は、この前より遥かに気味が悪かった。五月だというのに、心なしか肌寒いように感じる。

 気のせいだ、気のせい。と声に出さず自分に言い聞かせる。意気込んでこっちの道に決めたものの、結局は歩道のタイル模様ばかり見つめていた。

 ああ、ここを曲がらなければ帰れないが、ここを曲がったらあのガードレールの前だ。腕にかけたリードの輪から、デンショーが行かないのかと引っ張る力が伝わる。

 自分の靴紐を眺めたまま、角を曲がった。視界の端に、ガードレールの支柱が映る。下を向いたまま、歩みを進めた。支柱が、一本目、二本目。

 そして、タイルの薄ピンク、ガードレールの白以外に、視界にカラフルなものが入った。

 数日前に、あのお婆さんが買っていた仏花に違いないだろう。しかし、僕の目はそことは少し違う場所へ釘付けになっていた。


「ワフ! ワフゥッ!」


 デンがいつもと違い、犬らしく吠えている。僕の俯いた顔に付いた目には、土と血塗れで、青白くなった裸足が見えていた。

 背中じゅうから嫌な汗が吹き出した。顔を上げたら、きっと目が合ってしまうという予感。しかし、立ち止まり続けていたらもっと酷い事になるだろうという確信。それらが頭を駆ける。

 じりりりりり、と僕の頭の少し上から音がした。いや、音ではない。こいつが、自転車のベルの音を口真似しているのだ。

 噂で誰かが想像したように。

 気が付くと、視点がやたらと低くなって、ほぼ目の前に血色の悪い素足が見える。ああ、腰が抜けたのか、と遅れて理解した。隣ではデンショーが、泡を飛ばす勢いで吠えついている。こいつはこんな風にもできる犬だったのか。

 気が抜けるように上を向いた。

 何かのメディアで見たような長髪の風貌、漫画みたいに割れた頭。見たくないのに目が吸い寄せられたが、その中身はピンクと赤にぼんやりとしてよく見えない。両目をひん剥いて、目と口からは血を流している。歯を食いしばって、じりりりり、とそいつが言うたびに、唇がブルブル震えていた。服は、これもどこかで見たような血だらけの白ワンピース。

 そいつと目が合った瞬間に、それの額の真ん中から黒い塊が突き出して、顔面を砕いた。

 崩れ落ちるお化けの向こう側から、黒い翼が顔を出す。

 そのままパンでも食べるように、地面に落ちていく大小様々の欠片を露明は口にしていった。ギザギザの嘴が開閉すると、巨大な破片ですら飲み込まれていく。腕の欠片を飲み下すのを横目で見つつ、顔をなんとなしに横へ向けた。

 仏花の花束は、あのお化けに踏み潰されたのか、ぐしゃぐしゃになっていた。


「囮、大成功ってところか」


 いつの間にか学校の顔に戻った露明がそう言う。どうしても聞きたいことがあった。


「なんで」

「ん?」

「なんで、女の人って事にしたんですか」


 そこは露明が加えたアレンジだろうという確信があった。考え込むような素振りをして見せた後、呟く。


「そっちの方が、ウケるから」


 そうですか。とも言えず、僕は黙ったままだった。横を見ると、デンショーは尻尾を足の間に挟み込んで震えている。


「どう? 同じだった?」


 露明のその一言が、耳に響いた。


「……それでも」

「…………あっそ」


 黒髪をたなびかせ、踵を返して彼は去っていった。

 それでも、別物でも。許容したくない。

 疲れきった僕の脳味噌が今言える、唯一の事だった。


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