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我が身可愛くて烏は鳴く  作者: 黒胡麻月介
一章 彼は〇〇
2/21

2怪 虚構と現実、どっちがこわい?

 ぶしつけな冷たさを感じて、慌てて目を開くと楽しげな声が降ってきた。


「わ、マジで気絶って水で起きるんだ!」


 一度やってみたかったんだよね、と室外機に座った露明が、嬉しそうな笑顔でミネラルウォーターを飲んでいる。手で顔を探ると、びっしょりと濡れていた。どうやら、わざわざペットボトルを持ってきて水を掛けられたらしい。起こすにしても、もう少しやり方があるだろう。


「起きなかったらどうしようかと思ってたよ……で、正体の話だけど」


 気を失った間の夢という事にしたかったが、生憎そうではなかったらしい。地べたに座り込んだまま、即座に声を上げた。


「誰にも言いません! 僕は何も見てません!」


 露明の眉が下がり、口が弧を描いて犬歯が見えた。教室で喋っている時には見せたことの無い表情だ。細まった目に物凄く鳥肌が立つ。


「忘れてないようで良かった」


 しまった、正解は忘れたフリだったか。

 露明は勿体ぶるように足を組み替えてから、やたらと親密そうな猫なで声で話し始めた。


「きみ、クラスメイトだよね。名前、聞いたことあったかな?」

「あ、蓮田、蓮田陸(はすだりく)です」

「ふうん、蓮田ね。蓮田くん、きみが聞いた通り、僕はお化けを食べるお化け。いや……怪物かな」

「本当に……本当に言わないので……」

「そうビビらないで、別に今取って食いはしないから」


 こいつ「今」って言ったな。


「あの……それじゃあ帰っても……」

「そう焦らないで、黙って聞きな」

「はい……」


 髪のひと房を指で弄びつつ、どこから話すべきかな、と呟いた。


「とりあえず、僕がお化けを食べているって事は飲み込んだね? 僕がここ、桜下町の桜下第一高校に転校してきた理由はそれに関係してる」


 わからないなりに相槌をうって頷いた。


「お化けだって食べたら無くなる。無限に湧いて出てくる訳じゃない……僕はね、前に住んでた土地のお化けを粗方食い尽くしちゃったんだよ。

 お化けを食べた事がある? 一度口にしたら、もう普通の食べ物じゃ駄目だ。だから飢え死にしない為、僕はここにやって来た」

「はあ……」

「この街は怪談も多いみたいだからね。でも、それでも僕が食事するペースには完全に負けてる」


 桜下町に怪談が多いというのは、僕は初耳だ。そんな街に今まで住んでいたなんて。


「お化けを食い尽くす度に引っ越しなんて、スマートじゃないよね」


 それは確かにその通りだろう。どのくらいの頻度で食事を摂るのかは知らないが、それが本当ならかなり頻繁に引っ越さないといけなくなる。


「そこで、きみに僕から頼みがある」

「た、頼み?」

「きみは僕の食生活のため、お化けのクリエイターになってもらいたい」


 露明が一体何を言っているのか、またわからなくなった。お化けのクリエイター?


「職人、作成者、呼び方は何でもいい。とにかく、蓮田くんにはお化けを作ってもらう」

「作るって……まさか」


 お化けの為に生き物を殺せとか言い出すのだろうか? それくらいしか方法なんて無さそうに思える。僕の顔にちらりと視線を向けてから、相手は続けた。


「何を想像してるのか大方予想はつくけど、別にいわくや呪いを生み出せとか言う気はない。きみ、お化けがどうやって生まれるか知ってる?」

「……え、そもそも生まれるものなんですか」


 人が死んで幽霊になるとはしても、「生まれる」という言い方はしっくり来ない。露明がこちらを振り向いて、視線がかち合った。


「お化けはね、人の噂で生まれるんだ」


 真っ直ぐ僕の目を見据えたまま、そう言い切った。

 こいつの目は、あの羽根と同じ、烏羽色をしている。ふと、その瞳の黒の中に「何か」が居て、それからも見つめられているような錯覚を覚えた。


「人の、噂で」

「そう、噂が何度も何度も人づてに話されていくうち、お化けは実体を持って生まれてくる」


 だから誰かに伝達してもらうんだよ。そう呟いて、露明はしばらく口を閉じた。僕がわかったかどうか確認するように、僅かに小首を傾げる。


「じゃあお化けを作るっていうのは、噂を広めることですか」

「だいぶ飲み込みが良くなってきた。そう、だからきみをその助手に任命したい」


 でも、と僕は声に出した。化け物と知り合って、化け物のためにお化けの噂を作って流す。そんな事って。一声だけ上げて黙っている僕に向かって、怪物はよそ行きのような華やかな笑顔を向ける。

 腿に乗せた自分の両手が、小刻みに震えているのに気がついた。


「お化けの話なんて、僕は何も出来ない」

「それは困る。きみが一番便利で、適任なんだから」

「べんり」

「そう、きみみたいな、休み時間は机に突っ伏して寝る。趣味はインターネット。同級生からの評価は『何考えてるのかわからない、暗いやつ』。そんな陰キャは、怪談制作にぴったりなんだ」


 目の前の相手はとんでもない偏見をポンポン投げつけてくる。言い返そうかと思ったが、自分と彼ではクラスメイトと話している回数は遥かに露明が上だ。少なくとも最後のひとつは当たっているのだろう。


「……噂を広めるなら、もっとクラスメイトと話す人の方が適任なんじゃ」

「話を広めるだけなら、僕一人で充分だよ。ほら、携帯は皆の連絡先でパンパン」


 見せびらかすように人差し指と親指でスマホを摘み、振って見せた。画面に表示されているLINEのトーク欄は、クラスメイト達の名前が並ぶ。本題に入れた嬉しさからか、目の前の相手の雰囲気はガラリと一変していた。こんなに嫌味ったらしく話せる奴だったのか。


「じゃあ何をやらされるんです」

「嫌がってるのが口調に出てる。きみ、お化けの噂が一番広まるのはいつかわかる?」


 想像もつかず、頭に浮かんだのをすぐ口に出した。


「人が集まった時?」

「それだと学校なんて怪談の蠱毒だね。違う。皆が怖いと思った時だよ。恐怖を共有して、楽しむため。怖い話は怖いからこそ広がっていくんだ。それじゃ第二問、さて、人が一番怖いって思うのはどんな話?」


 僕はまた当てずっぽうな答えを口にする。


「生身の人間相手とか」

「ああ、それは近かった。リアリティのある話だよ。身近で、自分にも本当に同じ事が起こるかもしれない。そう思うと人間は一番怯えて、結果的に狭いコミュニティ内では爆発的に噂が広がっていく」


 爆発的に、と言いながら露明は両手を広げてみせる。人を怖がらせる話をしているというのに、顔はどこか楽しげだった。続けて、だから、とわざとらしく人差し指を立てる。


「君はそのリアリティ、身近な例になってもらう。僕の話す怪談内での被害者、話の出処さ。きみは後日、他のクラスメイトに聞かれた事を否定しなければいい」


 話の中でだけとはいえ、お化けに関わるなんて。そもそも怪物と協力してお化けをつくる。なんてこと、馬鹿げている。未だに震えていた手首を自分で掴み、無理矢理震えを止めた。


「やってくれるね?」

「い、いや、ごめんなさい。できないです」

「困るね、きみが協力してくれないと、僕は飢えるばかりになっちゃう。いいの?」


 不気味なことに、そう言った露明は花が咲いたような笑顔のままで、到底困っているような表情には見えなかった。


「で、できないものはできません。他を当たってください」

「僕の正体はあまり知られたくないんだ。どうしても?」

「す、すみません」

「僕が食べるのはお化けばかりじゃないんだ。あんまり飢えると、そっちに手を出す必要も出てくる。不本意だけど、二十九も居るんなら暫くはもつかな」


 その発言が耳に届いて、二十九という数字で閃くものがあった。僕のクラスの先週までの生徒数だ。口内がカラカラに乾く。この化け物は僕を脅迫する気だ!

 烏の姿がフラッシュバックする。噛まれたらひとたまりもなさそうな尖った嘴。あの時飲み込んでいた肉の塊が、脳内で僕の姿に置き換わる。

 眼前が薄暗くなって、吐き気がこみ上げてくる。怖い、怖い怖い怖い。

 想像は止まらない。毎朝学校の扉を開けるたび、見知った顔が一人減っていく。同級生、上級生、下級生、教師、何人居なくなっても、露明は同じような表情で笑っている。

 机に座った露明が、ゆっくりとこちらを振り向く。烏の目と僕の目が合う。


「協力してもらえないなら、それも仕方ないかな」


 冷たい声に打ち付けられ、正気に戻った。地面に釘付けになっていた視線を上げると、声とは裏腹に、怪物は相変わらず微笑みを浮かべている。


「仕方ないよねえ」


 たっぷりと間をとってから、甘ったるい声を出してそう化け物が言った。


「わかった! わかりました! 協力します!」


 考えるより先に口に出ていた。自分のせいで死人が出るなんて、到底耐えられるわけが無い。多少の風評被害がなんだ。


「それは良かった!」


 飲み終わったらしきペットボトルを捻り潰しながら、ことさら嬉しそうに悪魔が言った。


「じゃ、明日からよろしく」


 肩をポンと叩かれる、芸術的にな形になったボトルを僕の足の上に置いて、去ろうとして立ち止まった。振り向き、スマホを掲げる。


「そうだ、連絡先も貰っとこうか」




 学校指定である黒色の学ランは、温暖化が進んだ最近の五月にはあまりにも暑すぎた。額から流れる汗を気休め程度に手で拭う。夕方とはいえ、まだ昼間の熱気が制服の黒に篭っている気がした。


「蓮田、プールから上がった犬みたいになってるよ」


 露明が憎まれ口を隣で叩く。学校終わりに突然声を掛けられ、僕の家への道からは離れたこの住宅街まで連れてこられた。相手も相手で汗が額に見えるが、向こうは「プールから上がった犬」のようには見えない。腹立ち紛れに口を開けた。


「そろそろ教えてください、何の用があるんですか」


 聞こえているのかいないのか、露明はおもむろに持っていたカバンを漁り出した。


「あったあった。これこれ」


 中から真っ黒な固まりを取り出した。得体の知れない物体に、思わず後ろに一歩下がる。

 よく見ると、彼が手にしているのはただの長髪のカツラだった。


「一体何です、それ」

「やって欲しい事だけ説明すると、今からこれを被ってそこの路地で泣き真似をしてて欲しいんだ」


 何を言い出すのか、こいつは。


「なぜ?」

「お化けを作る、その協力の一環として。お化けの実物を見た人が居た方が噂が広まるだろ」


 つまり、お化けのフリをしろという事か。


「もう数十分もすれば、学校帰りの小学生が何人かこの辺を通る可能性が高い。今、ここらへんには幽霊が出るって話題になってるんだ。あと一押しで、噂からお化けは生まれる筈」

「そこまでやるとは言ってませんよ」

「頼むよ、僕の腹具合のためを思って」


 またわざとらしい笑顔になり、腹部を擦りつつ露明は言った。こいつ、最初からこれが目的だったな。


「自分でやるんじゃダメなんですか」

「今ここに出るって噂なのは女の霊なんだ。こんな背の高い女そうそう居ないから」


 自分の身長を手で指し示してみせる。確かに。そのぶん、165しか身長が無い僕なら女の霊でも通るだろう。


「それに、自分と同じ見た目のお化けを食べるなんて、ちょっとね」

「……それ、僕がやったら僕のお化けが生まれるって事じゃ」

「絶対そうって訳じゃないよ。あくまで可能性。人から人に伝達される中で、ある程度共通のイメージが生まれる。それがお化けの姿になるんだ。

 ほら、僕って目立つから、僕だと噂に容姿の事がくっつきやすいんだよね」


 わずかな照れすら見せず、そう言い切ってみせた。自信の塊のような奴だ。


「あ、制服だとバレるから、上着は脱いどいてね」


 片手を差し出される。僕は諦めて学ランを脱いで渡し、カッターシャツ姿になった。渡されたカツラを被り、地毛を中に押し込む。

 露明は顎に手を当てた状態で僕の周りをウロウロと回った。


「微妙だなあ、幽霊とは噂になるけど、女の幽霊とは言われない感じだ」


 そう言われてもどうしようもない。手が伸びてきて、これも特徴になっちゃうからもらうね。と掛けていた眼鏡を奪われた。世界の輪郭がボヤけて、歩くのも怖い。


「まあこれでいいや。じゃあ、座り込んで泣いてるフリしててね。何か聞かれても答えないで」

「はあ、わかりました」

「じゃ、僕は帰るから後はよろしく」

「えっ」


 引き止める間も無く、露明はバッグを引っ掴んで帰って行ってしまった。夕方、住宅街のブロック塀に囲まれた道に、一人きり。

 幽霊が出るって話題になってて。

 先ほど露明が言った言葉が頭の中で回る。気づくと、自分の腕を痣が付きそうなほど握り締めていた。

 そもそも、怖い話や怪談は苦手なのだ。小学校時代に友達がその手の話を始めた時は、耳を塞ぎ、頭の中で好きだったアニメの歌を流す事で終わるまでやり過ごしていた。

 本当にある話じゃない、怪談は嘘の話だと思う事で自分を誤魔化していたが、怪物に会ってしまった。

 あんなのが居るなら、他の何が居ても不思議ではないかもしれない。

 そう考えると、服の下の鳥肌が悪化した。

 人気の無い住宅街というものは、どうしてこうも物悲しいのか。姿は見えないが、遠くで本物のカラスの鳴き声が聞こえる。

 女の幽霊の噂は、何故始まったのだろう。

 見た人が居るのだろうか。それとも、幽霊が出ても仕方が無いと思うほどの、何かがあったのだろうか。

 ふと、道の向こうから人の気配がした。頭を振って怖い考えを塞き止める。どっちみち、指示された内容くらいはやっておくべきだろう。

 化け物の機嫌を損ねるのが、今のところ一番怖い。


「うっ……うぁっ……っく…………ヒック……」


 しゃがんで俯いてから、なるべく高い声を出し、渾身の泣き真似をする。女の幽霊らしく見える事を祈った。僕だったら、路地から泣き声が聞こえるだけで男か女か考えず逃げ帰るんだけどな。

 足音が近づいてくる。


「どうされました?」


 ……声を掛けてきたのは、パトロール中らしき警官だった。

 慌てて立ち上がり、会釈をする。


「い、いえちょっとなんでもないです。あの、あ、友達に置いてかれて」


 気の利いた言葉が出ず、事実を言うので精一杯だった。少し不審そうな顔をしたが、そうですか、とだけ返事して警官は歩いていった。胸を撫で下ろす。怪物も怖いけど、現実の人間も嫌だ。


 結局その後どれだけ待っても、小学生は何故か通りかからなかった。



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