芸人魂 4
せやかて、俺のスタイルが祐樹に通用しそうな気配は全くなかった。
たぶん、彼をわらかすなら、俺のもっってるネタじゃむりだ。
って事は、ぶっつけ本番で勝負に出ないといけない?
俺は唸った。
何にも考えなしに舞台に立つのは俺の最も嫌いとする所だからだ。
練習嫌いのいい加減な敦を思い出す。
あんなのでいいはずがない。適当で、客を喜ばせられるはずがない。
「祐樹君なんかええやんか〜。なんかやってや〜」
ガキの声が大きく揺さぶった。
拳を固く握る。
もう一度、あの親子を見た。
この場からはじき出されたその二つの影は、なんだか俺の胃の底をぐらぐらさせて……。
ええわけないやん!
俺は心の中で声をあげた。
俺はプロや。お笑い芸人や。ファンを笑顔にせんとプロの名が廃る!
「くそ! なる様になれや!」
俺は一呼吸つくと、おもいっきりポケットに手を突っ込んだ。
手に何か当たる。煙草だ。
ふと閃く。思いつきの芸。迷う。でも、いま大事なのは……。
煙草を握りしめた。
そう、今大事なのは客の笑いの一つもとれない俺のポリシーなんかやない。大事なんは純粋に、目の前の客をわらかすことや。
こんなの、俺の芸風じゃないけど……。
俺はポケットから黙って煙草を二本取り出した。
絶対にわらかしたる。まっとれよ祐樹。
俺は心の中で宣戦布告すると
その煙草を
ゆっくり
両鼻に
つっこんだ
顔をあげる。とたんに子ども達の嬌声がわきあがった。蔭口の薄暗い心地よさに酔い始めていた母親たちの口元も緩む。
「なに?」
俺は両方の鼻の穴に煙草をつっこんだまま澄まして見せた。
子ども達が「鼻! 鼻!」「タバコ! タバコが〜」と声を口ぐちにあげる。俺は首を傾げて見せ。
「は? なに? イケメンの俺の鼻に何か?」
そっと手を鼻にやり
「あ!」
初めて気がついたふりをする。
「なんやこれ! タバコが鼻に刺さってるやんけ。うわっ、めっちゃ恥ずかし〜。はよ抜かなって、あれ?」
引き抜こうとする。でも煙草は抜けない。
こんどはもっと必死に引き抜かんと足を踏ん張る。それでも抜けない。
子ども達はそんな俺の不格好さに大笑いして、指を差しながら声を上げる。よし、ええ感じや。
笑いの下地ができたのを確認すると、俺はそのまま大真面目な顔で彼らをみて続けた。
「あかん。これは助けを呼ばな!」
ぐっと周囲の注目が集まる。
「助けて〜。仮面ライダー祐樹〜〜」
両手を口にあてて大きな声を張り上げた。
視線は一瞬にして、あの親子に注がれる。
祐樹は母親に掴まったまま、いきなり自分の名を呼んだ大声に目を丸めてこちらを見ていた。
もういっちょ!
「祐樹〜た〜す〜け〜て〜」
大声を出すほどに俺の鼻の穴の煙草がゆらゆら揺れる。
それにまた笑いが起こり、祐樹の登場を期待する空気が盛り上がる。
「タバコが鼻から抜けないよ〜。祐樹〜。鼻の穴を助けて〜〜」
「祐樹〜こいや〜」
「祐樹く〜ん」
他の子ども達も声を上げ始める。
祐樹は心底戸惑ったような顔で母親を見上げた。
母親と目が合う。俺は頷いて見せる。彼女が顎を引き祐樹の背をそっと押した。祐樹は空気に引っ張り出される形で俺の前に出てくる。
「祐樹」
俺はしゃがんで彼の前に思いっきり鼻の下を伸ばして煙草を突き出した。
「頼む。ぬいてくれ」
「いやや」
「そこを何とか」
「……」
祐樹はチラリどこかをみた。たぶん母親の方なのだろう。もう、引けない状態だと悟った様に溜息をつくと、再び俺の方を向いた。
「抜くだけやぞ」
「頼む」
そっと祐樹の手が触れる。
「いやん」
俺はわざとしなを作って身を引いて見せた。
どっと笑いが起こる。
「優しくしてぇん」
なんでここでオカマキャラなんかは自分でもわからなかったが、受けたようだ。祐樹は呆れ顔で「うっさいねん」と呟く。
俺は
「お・ね・が・い」
と気持ちの悪い声を出して再び間抜け面を祐樹に突き出した。
祐樹が眉をよせ「これで最後やぞ」ともう一度手を伸ばす。
今や!
俺はこの瞬間を待っていたのだ。
祐樹が煙草を引き抜くこの瞬間。俺は思いっきりくしゃみをした。
勢いよく鼻の穴から二本の煙草が発射される。それは勢いよく祐樹の顔面を直撃し、なんと一本は跳ねて彼の頭の上に……。
ポトリ
落ちた
次の瞬間、空気が弾けた。渦巻く大爆笑。広がる笑顔の海。
やった!
久々の喝采に俺は鳥肌を感じた。
満面の笑みを浮かべて祐樹に微笑んでみせる。祐樹は怖い顔をしていたが、「あ、鼻水」と俺が鼻をすする真似をすると口元を緩め
「汚いねん!」
と思いっきり俺の鼻を拳で殴った。
俺はその拍子に後ろにすっ転ぶ。
そこで再び沸く笑い声。
「いったいなぁ」
起き上がる俺。マジで痛い。ジンジンする鼻を押さえながら立ち上がる。
すると、なにか生暖かな感触が。
「あ〜はなぢ〜」
誰かが叫んだ。
「へ?」
そっと鼻の下に触れてみる。そこには確かに感じる二筋の鼻水ならぬ鼻血の感触が。
「きったね〜」
爆笑する公園。
お、おいしすぎる! 今日に限って来て降りてきた笑いの神に俺は少々感動すら覚えながら祐樹の方を見た。
祐樹はこっちを見ていた。腹を抱え、身をよじり、目に涙を浮かべ、俺を指さして。
そう、笑ったていたのだ。あの祐樹が!
何とも言えない胸の震えがこみ上げ、俺は思わず祐樹を抱きあげた。
「な、なにすんねん!」
そう言いつつも祐樹が俺の手を払う事はもうしない。
「なんか走りたい気分やねん〜」
俺は奴を強引に肩車すると、公園を走った。走って走って走りまわった。
俺の後ろから他の子ども達もついてくる。砂まみれで鼻血を両鼻から流し、クソガキを両肩に背負った俺は、意味もなく走り続ける。
笑い声が追いかけてくる。あんなに追い求めていたものが、今や俺を追ってくる。
見上げると祐樹も笑っていた。
久しぶりだった。人の前でネタをやって、こんなにウケて、こんなに自分がいても経ってもいられなくなるくらい嬉しくなるのは。
「祐樹ぃ、おもろいか?」
思わず尋ねた。祐樹は笑いながら
「ぜんっぜん。まだまだや」
と答える。これや、この感触や。
俺は忘れていた何かを取り戻したような気分に目を細めた。
その時だった。
いきなり襟首を掴まれるような声が、後頭部にぶつけられたのは。
「何してんねん。お前」
俺は思わず振り返る。鼻血垂れ流しの顔で。そして軽く目を見開いた。そこに立っていたのは他でもない相方の……
「アツシ」
「え?」
俺は思わず声を漏らした。
顔を上げる。やや強張った紅潮した顔。
奴の名前を呼んだのは、俺の方じゃなく、祐樹だった。