赤点だけは困ります
「ただいま帰りました」
「ただいま~」
海から帰ってきた私たち。海という遊びの代表となる場所で、いろいろとありすぎですよ……
結局、あまり楽しめないまま帰ってくるハメになってしまいました。アイリスなんて、泣いていたせいで少し目元が赤くなっていますし。ナンパ野郎許すまじ。
「おかえりなさいませ、セリア様、アリシア様。海のほうはいかがでしたでしょう」
「まあお察しかと思いますが、またなんだかんだ巻き込まれましたよ」
「それはそれは災難なことで……。そうだ、リビングのほうにスペルビアが来ています、お話でもしていかれては」
「なんの用でしょうか。アイリス、夏休み前に学院でなにかやらかしましたか?」
「なんでわたし前提なんですか! なにもしてませんよ!」
重大な話だったら困りますし、早めに行くとしましょうか。
扉に張られている磨りガラスの奥には、金の髪があちらこちらに揺れている様子が窺える。角度的には横顔になるため、彼女の向かいには、もう一人いるのが見える。
「先生、なにかありま……した……」
先ほど見えたもう一人の影というのも──
「おや、おかえりなさい二人とも。今、お父様と成績のお話をしていました。一学期の成績を伝える家庭訪問です」
「あっ、わたし部屋に戻ってますね」
「それは構わないが、あとで話があるからね」
「うっ、お父さん……。はい……」
悪かったんですね。しっかり成績を聞いてから伝えて欲しいものですけどね。
ちなみに、あのお父様がお怒りとは、どれほどなのでしょう? テストはそこまで悪くないと思うのですが……
「セリア・リーフ、あなたの成績は目を見張るものがあります。国語科の成績は学年一ですね」
「おや、それはそれは。しかし先生、一人で一〇〇人の家を回るなんて大変ではないですか?」
「大変ではありますが、副担任と分かれて五〇人ずつ回るので問題ありませんよ」
ほう、それならば……副担任? そんな人いたんですか。三ヶ月ほど通っていたにもかかわらず、まったく知りませんでした。
「それで、副担任というのはどなたで?」
「あなたも知っているでしょう。アヴァリティアですよ」
「いやいや、彼女は近頃入ってきたばかりではないですか。副担任など就けないでしょう」
ゲイル・マーシェルが辞めたことで先生が担任に就くのは、時期的にもわかりますが、アヴァリティアに関しては副担任が決まっていてもおかしくない。
いろいろと考えを巡らせていると、先生は指をパキポキ鳴らす。もしかして。
「まあ、使えるものは使いますよね」
「教師が暴力に訴えるとは……」
「なんて冗談です。前の副担任が、アヴァリティアの入る時期に寿退社しただけですので」
なるほど、それなら問題ありませんね。
おっと、話がかなり脱線してしまっていますね。
「話を戻しますが、アイリスの成績はいかがなもので?」
「ええとですね……。伸び代がたくさんあります」
「それは俗に成績が悪いという」
「安心してください。赤点はありませんので。ギリギリなものばかりです」
「だから、あとで話があると言ったんだよ」
「セリアさん、《言霊》でなんとかなりません?」
腕を組んでくるとは卑怯なり! この子、私のツボを押さえてきている……
テスト範囲は押さえないのに、こんなところは押さえているの素晴らしいです。さすがは私の正妻です。
「仕方ありませんね~。それなら過去でも書き換えましょうか」
「本当ですか!?」
「待ちなさい。そんな軽い気持ちで過去改変をしないでください」
「そうだ。せめてアリアを助けるくらいで──いや、すまない忘れてくれ」
アリアさん……アイリスのお母様に当たる人物。かつての《七色の大罪》の襲撃により命を落とした。
先生はうつむき、苦虫を噛み潰したような表情をする。この理由は私にもわかる。──彼女が、あるいは彼女の身内が引き起こした出来事。
実際の一件の内情はわからないものの、それが理由でしょう。
しかしお父様からこの名前が出るとは、相当心に傷を負っていると見える。
普段はなんでもないように振る舞っているものの、どこかでは想ってしまうのでしょう。……愛とは時に人間に牙を剥く。
愛は美しいとは言いますが、反対に『美しいものにはトゲがある』とも言う。この状況こそまさにこの言葉が似合う。
「もし……もし、お母様が助かると言ったらどうしますか?」
「それは生き返らせるということかね?」
「いえ、いくら《言霊》と言えど、そんなことはできません。先ほど言った過去改変です」
「過去は変えられるんですか?」
「おそらくは。ですが、そうしてしまうと、私との出会いはなかったことになると思います」
本来の出来事なら、私の転生後にアイリスと出会う。それから今日までの学院生活やらを過ごす。
しかし、過去改変をおこなうと、私が《ラングエイジ》に存在した状態でアイリスと出会う日を迎える。その後はわかりませんが。
危惧せねばならないのは、バタフライ・エフェクト。
これは、「蝶が羽ばたく程度のことでも、気象に影響は出るのか」という問いかけを元に、それが正しければ長期的な観測は困難となるもの。
本来はいなかった私の存在。未来には存在しないお母様の生存。普通に考えれば蝶の羽ばたきより大きい。
これがどれほどの影響を出すのか。それは誰にも測り得ない。それこそ長期的な観測は困難どころか不可能。
「それならどうしたら……!」
「もう一つ、賭けになりますが、なかったことにならない可能性があります」
これは完全に科学的には証明できませんが、どんなことがあろうと未来は一つの結果に収束するというもの。
そうなると、お母様の存在がない未来に収束する可能性もあるわけですが。
「もしお二人が首を縦に振れば、あなたは実行するのですか?」
「もちろんです。お二人の幸せが私の幸せ」
「やるとしても、セリアさんとも出会うような方法を考えてからです」
「……わかっています」
「少し暗い雰囲気になってしまったな。すまない。先生、お話を再開しましょうか」
お話の途中でしたか。それは邪魔をしてしまいましたね。ある程度の成績は聞けたので、私は特にありませんから、部屋にでも行っていましょうか。
「アイリス、部屋にでも行きましょう」
「そう、ですね……。先生、あとはお願いします」
「……はい。それでは続きを」
私たちはお父様と先生を背に、部屋へと向かった。
「はぁ……、過去を書き換える、か……」
私はどうするのが正解なのでしょうか。二人にはお母様がいたほうが楽しいのでしょうか。
それよりも、私といたほうがいいと思うのは、自意識過剰でしょうか。思うくらいは……いいですよね?
生前はなにもできなかった私。そんな私にいろいろな経験をさせてくれたみんなとの別れが来るのは悲しい。
そんな私の気持ちに合わせたかのように、空が暗くなり始める。
あれだけ晴れていたのに、こんな急にくもりになるものですかね……。やはり異世界の天気はわかりませんね。
天気の変化とともに、床が大きく揺れる。それと同時に私の胸も揺れ──ない! ちくしょう!
なんであれ、この揺れはただ事ではない。
慌てて部屋を飛び出すと、アイリスも異変に気づいたようで、あちらも部屋を飛び出してきたために、危うくぶつかりかける。
「セリアさん、これ、なんですか!?」
「わかりません。ですが、普通の地震ではないことは確かです!」
階段を駆け降りると、先生に声をかけられる。
「窓の外を見てください! あれってもしかして──」
指差されたほうを見てみれば、地面から天空まで伸びる大きな植物が。
その先に窺えるものは、大きな島に見える。
「《教典》の力でしょうか。セリア・リーフ、どう思います?」
「私の見立てでは、『ジャックと豆の木』だと思います」
「また《童の伽噺》ですか……」
「大丈夫です。先生がいれば、私たちに不可能はないでしょう?」
また厄介事に巻き込まれそうですが、ひとまずはこの日常をできるだけ謳歌しようと思います。
今回で第二章、完結となります!
次回より第三章に入っていきます。物語の核心に近づいていく章でもあるので、今後ともよろしくお願いします!




