38.梅雨の降水量が異常すぎる
六月といえば逃れられないものが『梅雨』ですが、やつは私たち読書家の天敵なんですよね。
数日間連続で降り続ける大雨。そのせいで上がる湿度。その湿気によりふやける本のページ。
私は……私は許しまへんで!
そしてずっと晴れ続きだったここ《ラングエイジ》にも、ついに梅雨がやって来たようで、朝からザーザーと雨が落ちる音が響き、バシビシと窓を叩く雨音が耳を打つ。
今まで溜めてきた鬱憤を晴らすかのように、尋常でない量の雨が降っている。
その様子は「バケツをひっくり返したよう」なんて可愛いもので、「ありとあらゆる滝を集結させた」と言っても過言ではないほど。なにこれ、世界の終わり? ドラゲナイ?
「アイリス、今日の雨は異常ですね」
「? そうですか? 年に一回の大雨が降る日なので、これくらいが普通だと思いますけど」
「これが普通? じゃあ私が異常……?」
なんてこった。アイリスは先ほどから涼しい顔をしているとは思いましたけど、《ラングエイジ》の大雨なら普通だそうです。家が流れてもおかしくないんですが。
この量の雨で道が洪水になったり、川が氾濫しないとは、どんな排水技術を使っているのでしょう。
毎年この時期の梅雨の日は、学院を休校とするらしく、そこまでするとはどんなものかと思えばこれですよ。
確かにこれで登校なんてしようものなら、事故が多発するでしょうし。
「それでアイリス、あなたはなにをしているんですか?」
「えっ、漫画読んでますけど……」
「いや、そういう話ではなく、半月後になにがあるかは知っていますよね?」
「テストですよね?」
なーんだ、わかってるなら安心……って、勉強はどうしたんですか。
「そうですよ。漫画を読んでいるということは、テストはさぞいい点数を取るんですね?」
「……でも、今日は学院お休みのじゃないですか。勉強もお休みです」
なんですかその理論は……
そう突っぱねるのは簡単ですが、アイリスとて今日までの半月を無駄にすごしていたわけではありませんしね。
たまのお休みくらいはのんびりしましょうかね。私も勉強疲れが出始めていますし。
「では、私もなにか読むことにします。アイリス、おすすめはありますか?」
「えへへ、セリアさんにおすすめなのは――」
◇
私はあまり漫画を読まず、小説ばかりを読んでいましたが、ひさしぶりに読んでみて改めて漫画もよいものですね。
私の脇に積まれる二〇冊の漫画。気づかないうちにこんなに読んでいたとは……
アイリスに勧められた恋愛漫画ですが、これがなかなかに面白いです。
主人公の女の子が道でぶつかった男の子と恋に落ちる、ありがちな展開から始まり、物語で吐かれる男の子のセリフがまさに胸キュンもので、一晩で法隆寺を建てられちゃうレベル。
男性嫌いな私でも、物語に入り込んで読める作品でしたよ。おっと、長々と語りすぎましたね。
ふと窓を見やると、雨はすっかり止んでおり、雲が晴れていることで日の光が射し込んできている。
見ればかなり日が傾いており、夕日が部屋を茜色に染めている。
こんなにも時間が経っていたとは……。やはり、本は時間を忘れさせるほどに面白い媒体ですね。
先ほどまで、うつ伏せの状態で足をぷらぷらさせながら漫画を読んでいたアイリスは、今では仰向けの状態で涎を垂らしながら、気持ちよさそうに寝ている。
私は、アイリスを起こさないようにそっと立ち上がり、毛布をかけてやる。
「うぅぅん……、しぇりあさぁん、それは砂糖じゃなくて危ないおクスリですよ……」
待ってください、私は夢の中でなにをしているのですか?
いやいやいや! その危ないおクスリが砂糖と間違えるように置いてあるのも問題でしょう!
なに? 舐めたの? 夢の中の私、おクスリ舐めちゃったの?
ま、まあ? 所詮は夢の中の話ですし? 現実の私はそんなことしてませんからね。……いや、してませんからね?
とはいえ、私もだんだん眠たくなってきました……。一眠りしましょうかね。
◇
「セリアさん? なにをしているんですか?」
なにを? はて、私はなにをしているのでしょうか。自分でもわかっていませんが……
アイリスの視線を追ってみると、その先は私の手に注がれている。
その手に持っていたものは――
「出た! 危ないおクスリ!」
先ほどのアイリスの寝言のせいで、私までこんな夢を見るとは……
こんなものを舐めてしまった暁には、有頂天になり、やがて効果が切れれば倦怠感に襲われ、量が足りなくなっちゃいますよ。クスリ、ダメ、ゼッタイ。
「いや、違うんです、私は……」
私の言い訳じみた弁明を聞くなり、アイリスの瞳は細められ、絶対零度より冷めた視線を向けてくる。マイナス二七三・一五℃より低いです。
「セリアさんがそんな人だとは思いませんでした……」
「いや、だから……」
ダメだ、このままだと私が、おくしゅりしゅごいのぉぉ! とか言っている人だと思われる……!
「だから違うんです!」
ここで目が覚めた。あっぶなぁぁ! 夢だったぁぁぁ!
現実でアイリスにあんな目を向けられたとなると、私は生きていけません!
かくいうアイリスは、依然として気持ちよさげに眠っている。私の気も知らないで……
私は恨みがましく(というよりも八つ当たり)、ジトッと視線を向ける。
すると、コンコンと叩かれる扉。
「はい」
「失礼するよ」
扉を開け、入ってきたのはお父様。
「おや、寝ているところを起こしてしまったかな」
「いえ、先ほどから起きていましたので」
「アリシアは……、すまないね、世話をかけて」
だらしない様子のアイリスを見て、困り顔で顔を伏せる。
「そんな。お転婆な妹ができたみたいで楽しいですよ」
そうか、とふっと笑みを零す。
「それで、どうかされましたか?」
「ああ、セリア君の部屋ができたみたいでね、見てみないかと思ったんだ」
「ぜひとも」
案内されたのは、アイリスの部屋の隣。
広さは先ほどとは変わらないほどで、レイアウトがまさに私好み。
白を基調とした、飾りすぎず、かといってシンプルすぎない色合いの家具に、壁にかけられているのはアイリスの写真。
誰ですか、このレイアウトをした人は。ふっ、わかってるじゃねぇか……、グッジョブです。
「うちのメイドの一人に、こういったことが得意な者がいてね、ぜひともやらせてくれないかと。それが彼女なのだがね」
お父様の少しうしろに立つ女性。私のほうへ一つお辞儀をする。
そんな彼女に、私は小さく親指を立て、グッドサインを送ると、あちらもグッと親指を立てる。
それからつかつかとこちらへ歩み寄ってくると、一冊の、文庫本より一回りくらい大きい、なにかしらのアルバムらしきものを手渡された。表現が曖昧すぎる。
「(こちら、アリシア様の秘蔵写真でございます。セリア様が気に入るかとご用意させていただきました)」
「(さすがですね。メイドさんも悪よの~)」
「(ふふっ、セリア様こそ)」
小声で繰り広げられる時代劇風の会話。
そういった文化も伝えられているのかはわかりませんが、なんともノリのいい方です。
「ん? どうかしたかね?」
「なんでもありませんよ、あはは……」
「しかし、アリシアの写真があるのが謎でね。セリア君が異論ないのなら別に構わないのだが」
「ええ、ありませんとも! というかむしろごちそうさまです」
「ごちそうさま……?」
私の食い気味な言葉に、少し困惑を見せる。
やっちまったー! 推しのことを語ってしまった!
お父様の乾いた笑いと、ガラスの少女時代の破片が私の心へ突き刺さる今日の夕暮れ。




