拾弐ノ月; 例外
俺は朱里からいろいろと重要なことを聞いた。
赤い月のこと、それが伝染病だと言うこと、来る途中で出会った尚吾と言う男性が助けてくれたと言うこと。
だが、いくつかわからないことがある。
「その尚吾さんは伝染病の進行順が明らかにおかしい。」
それは、今までの話が本当だったら明らかに矛盾していう点がある。尚吾さんはほぼ同時に鼻血を出し、自分の名前を忘れた。
その事を考えると、昔とは違う感染の仕方。つまり『例外』が出てきたわけだ。
それが吉と出るか? 凶と出るかは分からない。しかし、その事を追求するしか、今、朱里を救う方法は俺は思いつかなかった。 そして、他にも『例外』が起こったのだ。今、現在。朱里の血は止まっているのだ。
とめどなく流れていたはずの血は止まり、朱里自身も随分と落ち着いていた。俺が会った尚吾さん赤い月を発症していた。そして。俺が彼と話している時、彼の顔からは血が止まることはなかった。
「自分の名前と歳、あと、俺の名前を言えるか?」
「倉嶋朱里。21歳、あなたは優一君です」
「良し。大丈夫だな」
俺はこうして10分毎に朱里にこの質問をしている。今の様子だと急に病気が進行することは考えられないし、何より今は朱里に俺の存在を確認させ、安心させるという理由もあった。
「朱里、この病気の特徴は忘れていくと言うことだ。それは何故かはわからない。だが、何故最終的に親しい人の名前が最後まで頭の中に残っているかわかるか?」
「…………その親しい人が最終的な人間の心の支えになっているから?」
「そうだ、人の最終的な支えになれるのは自分じゃない。他人だ。いいか? 良く聞け、俺はお前を助けたい。お前は俺の名前、俺と過ごした日々を大事に覚えていろ。もし、お前が名前を忘れたりしたら、俺が…………俺が何度でも呼びかけてやる」
「優一君……」
「行こう。外へ…………」
俺と、朱里はゆっくりと歩き出した。俺は繋いだ手をぎゅっと握りしめ、誓った。
――もう、離さない…………絶対に……
「自分の名前と歳、あと、俺の名前を言えるか?」
「倉嶋朱里。21歳、あなたは優一君です」
「良し、大丈夫だな」
あれから数十分。朱里に大きな変化は見られない。時折血が垂れることもあるが、それもごく少量で拭き取れば気にならない程度であった。
「っ!?」
「っと、大丈夫か」
急に朱里が俺の方によろめく、たぶん貧血であろう。あれだけ血を流していてはそれは当然の症状だし、仕方ないことだ。
しかし、いつ先ほどみたいに血を流すかわからない。病院で献血を受けるか、それとも何か食べさせないと不安をぬぐい去ることはできない。
「……朱里。少しの間、目を閉じてろ」
「へ? う、うん」
朱里は俺の真意をわかってはいない様だが今それを話す気は俺にもない。俺が朱里に目を閉じさせた訳は目の前に見える影が俺の目に映ったからである。別に嫌な感じはしない。いや、それ以前にどこかで見たような……
『あなたの 最愛の 人は 誰?』
「っ!?」
俺は言葉には出さなかったが驚き僅かに後ずさりする。声は聞こえなかった……はずだ。
距離的には10mほど離れている影は俺から見て、僅かに口元が動いたとしか感じなかった。しかし、俺の頭の中にはその影が言ったはずの言葉が届いていた。
影はクスリと笑うと薄暗い地下通路を走っていく。
「っ!? 待て!」
「きゃっ!?」
俺は瞬間的に朱里を抱上げ、その影を追う。朱里も俺の首にしがみ付いていたお陰で走りやすかったが、影はどんどん俺から離れていく。
影はどう見ても子供ぐらいの大きさしかない。俺もいくら朱里を抱上げているとは言え、それぐらいでは子供に負けるぐらい足が遅くなる事はない。
『あな たの 最愛の人 誰?』
「っ!? またか……」
声はしない。
脳にそのまま言葉をぶち込まれているようであった。
気分が悪い。俺は影を追いかけながら次第に眉間に皺が寄るのがわかった。
「俺の最愛の人は、朱里だ!」
「ゆ、優一君!? 急に如何したの?」
いまいちこの状況について来れない朱里はただ、誰もいない地下通路に向かって俺が叫んでいるとしか思えないらしい。
確かにそれはただの変な人だ。しかし、俺は今、それどころではなかった。影はどんどん離れていく、それは俺をあざ笑うかの様に走っていき、俺もその影に必死に喰らい付きながら、追いかける。
『 自分の 命 最愛の 人の 命
選ぶ なら どっち?』
「俺は、自分の命を投げ出してでも朱里を助ける!」
俺は本能的にその影にそう答える。
間髪いれずに答えたので影も一瞬動きが鈍る。
「あと少し!」
俺は地面を蹴って、その影に急接近する。
『!?』
「捕まえた!」
俺はその影を捕まえた つもりだった。
「えっ?」
しかし、影はすぐになくなる。そして辺りを見ると、そこは既に地下通路を抜けて山の中に出ていた。
「どう言う事だ?」
俺は乱れる息を整えながらとり合えず、朱里を地面に下ろす。
影はもうない。それどころか、地下通路の出口がどれだけ探しても見つからないのだ。
俺たちは確かに薄暗い地下通路を走ってきた。そして、今はその地下通路を抜けてどこかの山中にいるのだ。
それなら出口は何処に行った? 全て幻だったのか? いや、違う。俺の服には朱里を介抱した時に付いた血の後がしっかりと残っている。『赤い月』は幻じゃない。
「優一君? 如何したの。難しい顔してるよ?」
「……ん? ああ、悪い。それじゃあ、少し急ごうか」
時間はわからないが、木々の間から見える空は既に暗くなっていた。麓の方に明かりが見えるのでそちらの方に行けばいいと思うが、どうしても地下通路の出口の事が気になって仕方が無い。
……だが、そんな事を考えている暇も無いのも事実だ。今は朱里を休ませる事が肝心だ。
俺は、朱里から聞いていた、小屋を探す…………が、そんな物は見当たらない。
少し見通しの良い所に出て辺りを見回すが、小屋らしき物はない。
「優一君。私は大丈夫だから、山を下りよう。今日は月が――っ!?」
「如何した? 朱里」
一瞬朱里の顔が強張ったのに気付いた俺は朱里の見ていた方へ目を向ける。
朱里が空を見上げるその方角には……
「なんだよ? これは…………」
目の前には満月が大きく現れていた。山の中腹辺りだから、俺たちが住んでいる場所より、月が大きく見えることはまだ納得できる。
しかし、問題はそこではない。
「赤い月……?」
その大きな月は
真っ赤に燃えていた……