第2話「貴女」
特に前書きはありません。と書いてみました。
俺の名前は俺自身ですらわからなくなってしまった。けがの影響だろうか。口の中を貫通していたんだ、ショックで一時的に忘れているだけかもしれない。とりあえず、俺に関する記憶がないことは黙っておこう。
そうだな、ここは一つ、偽名でも作ってみよう。
(出身地や両親の名前、他にも昔見ていたアニメの主人公とかから名前を引っ張ってくるのもいいな)
そんなことを考えていた中で、とりあえずの名前を決めた。
「俺の、俺の名前は楠木 集。気軽に集と呼んでください」
そう、今日から記憶を取り戻すまでは俺は楠木集として生きていくんだ。そう思っていた矢先に、彼女の口からとんでもない言葉が飛んできた。
「名前、違う」
え?
彼女は俺の名前を知っている?もしそうだとしたら、俺はとんでもなく恥ずかしいことをしていたのではないだろうか。
10秒前の自分を思い出していたら、少しばかりかっこいい名前を言い放っていたことが恥ずかしい。俺みたいな人間は、ゴミ太郎とかカス介とかでいいんだ。
「私の、名前」
彼女の言っている意味がよくわからなかった。私の名前、ということは彼女自身も自分の記憶が無いという事だろうか。
「ごめんなさい、私には貴女の名前は知りません」
取り合えず謝っておくに越したことはない。精いっぱいのごめんなさいを彼女にぶつけた。彼女は再び考える姿勢をとっていた。可愛い女の子がうなっている場面に遭遇することが貴重なんだ。俺は、ゆっくりと彼女のほうを見ながら、気づいたら笑っていた。
俺と彼女の間で、名前も知らない間柄なにに、なぜかとても心地よく感じる時間が流れていた。
「次!つってももういなかったか?」
入口のほうから大きな声がした。足音がどんどんこちらに近づいてくる。洞窟の中だからか、一つ一つの物音が大きく聞こえるような気がして仕方がない。そして、ゲラゲラとした笑い声と共に、5人の屈強な男どもが現れた。
「ん?こいつらは…、おい、誰がこいつらをここに招いた?」
きっとこいつがリーダーなのだろう。後ろに控えて歩いていた男たちにそう聞いているが、誰も反応が薄い。少なくとも、俺たちは連れ去られてきたというわけではなさそうだ。
「まぁいい。そんなことよりも、この女、相当レベルがたけぇなおい。俺が相手してやる。こっちに連れてこい」
そう命令が出た瞬間に、四人の男たちは薄ら笑いを浮かべながら、こちらに近寄ってきた。いや、正確には、彼女の下に近づいてきた。
男たちの顔は徐々に薄ら笑いからにやけ顔へと変わり、明らかに性的視線を彼女に送りながら近づいてきた。このままでは、彼女が男たちの餌食にされてしまう、そう思った瞬間には体が動いていた。彼女と男たちの前に立ち塞がり、できうる限りかっこいいと思える声で言ってやった。どうせ死ぬんだ。少しは格好を付けさせてくれてもいいだろう。
「君、逃げて。もし君を守れたのなら、俺の生きた証になって生き続けてくれ!」
そういった時には、彼女の姿は無かった。どうしてだろうか、もしかして俺がかっこつけている最中に逃げ出せていたのだろうか。それならよかった、これで心置きなく死ねる。
ゆっくりと思考を巡らせている中、ふと目の前が暗くなった。いや違う、彼女がいた。
先ほどまでの気怠そうな眼とは異なり、明らかに怒りの表情をしている。今まで短い言葉でしか会話できていないが、それでも彼女が優しい人だという事くらい俺でもわかる。その彼女が怒っていたのだ。
「この人、苦しめた奴、殺す」
そう言い終えた瞬間に、目の前に砂埃が舞った。明らかに人間離れした動きで男四人へと間合いを詰めていく。いつの間にか、彼女の手には長い刀のようなものが握られていた。一人目の男が一瞬で首が飛ぶ中、不自然なことに、彼女の刀を綺麗だと感じていた。
彼女の戦う姿は、女神の舞踊のように鮮やかで無駄がなく、いつまでも見ていられるとさえ思えた。
男たちは戦闘の素人なのか、一人目の男が殺された瞬間に、腰が引けたり、武器を落とすものまでいた。一日に、目の前で何人も殺される姿を見たことがあるのは、きっと俺くらいだろう。
「お前ら!ちっ、使えねぇ奴らだ」
あっという間に四人の男たちの胴体と頭をさよならさせた彼女は、続けざまにリーダー格の男へと走っていった。この調子ならあの男もやれる!そう思ってしまった俺が確かにそこにいた。
(なぜ俺は人の死を喜んでいるのだろうか。目の前で人が死んでいるというのに…)
「くそアマ!しねぇ!」
大きく振りかざした剣を、軽く受け止めた。そう、あの華奢な体からは想像ができないほど、異様な光景だった。大の男の力を、いとも簡単に止める彼女。本来であれば恐ろしく感じてしまうかもしれないが、今はとても頼りになる。
「…」
静かに、ただ綺麗に。
そうしてリーダー格との勝負は一合打ち合っただけであっけなく片付いた。もう少し、アニメ的展開で打ち合いが始まるかとも思ったが、ここは素直に彼女が生きてくれているという事実だけで満足しておこう。それに、彼女がいくら強いと知っても、確実ではない。
彼女には、傷ついてほしくない。
「た、助かった…のか?」
「奥、複数、人いる。けど、大丈夫」
どうやらここでの戦闘はひとまず終了らしい。ただ、奥にも同じような人間が集まっている場所もあるという事か。とりあえず、彼女の手を汚させてしまった。それだけは、男として許されないことだ。そう思い立ったため、自分のことをぶん殴った。
「ってぇ。いてぇ…だけど、けじめだ」
彼女はとても不思議そうな顔をしてみていたが、二発目を繰り出した俺の拳を、柔らかい彼女の手が包んでいた。
「だめ」
その手は確かに全力だったはずだ。それをこうも簡単に止められる彼女の正体は何者だろうか。もともと興味は持っていたが、さらに興味を持っていた。
「君の名前、教えてもらえるかな」
「ない。つけて」
ない、だと。今までどう生きてきたのかとても不思議だが、さらに不思議なのは俺が命名しなければならないこの状況だ。俺は彼女のことを知らない。彼女のことで知っていることと言えば、優しく、なぜか俺の味方でいてくれることだけだ。
もう一度彼女を観察してみる。
淡い緑色の眼をして、髪は白に近い金色。身長は155㎝くらいだろうか。年は15歳くらいだろう。俺よりは年下のはずだ。女性の膨らみは服の上からわかるものの、そこまで巨大というほどでもないだろう、多分平均的なサイズだ。後は服装だが、何と表現すればいいのだろう。清楚な白を基調とした服なんだが、如何せん説明がしにくい。あえて表現するなら、巫女服と制服を良いとこをとったとでも表現しておこう。あと可愛い。とても可愛い。
話を戻そう。彼女は俺に名前を付けてほしいと言ってきた。断ることは簡単…でもないが、できるだろう。だが、男として頼られたら答えてあげたくなるというのが本性ではないのだろうか。
彼女のイメージカラーは白だろう。服装と髪色から、きっと白が似合うと思う。いや、どんな色の服でも彼女は着こなしそうだが、それはひとまず置いておこう。
(白…シロ…ホワイト…どうしようかな…俺にネーミングセンスなんてないぞ…)
「よし。貴女の名前はシロで。単純な名前しか思いつかなくてごめんなさい。変えたかったら自由にかえ…」
言い終わる前に、彼女、シロはとても嬉しそうな顔で立っていた。なんとかシロという名前で納得してもらえたようだ。人に名前を付けることなんてそうないだろう、寧ろいい名前が咄嗟に出てくる奴の頭の中を覗いてみたい。
「シロ」
「はい、シロさん」
「敬語、やだ」
有無を言わさない眼でした。いきなり敬語をやめるとうるさい人なんてこの世に何人いるんだろうか。相手から、シロから嫌だと言われては仕方がない。
「じゃあシロ、これでいいか?」
「ん」
短い会話だったけれども、何かがつながったような感覚が確かにあった。
そろそろ現状を確認して、安全の確保を最優先するとしよう。
人の名前を考えるのは難しいですね…