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湖のヌシ

 「こいつは……、この湖のヌシってやつはもしかしてこいつのことじゃないよな。もしそうだとしたら釣っていいもんじゃなかったぞっ」

 

 目の前に現れた巨大な生物に向かってそう呟いてしまう。


 一見カバのような見た目をしているが、しかし、カバとは明らかに違う光沢を放った硬質そうな鱗、また、下の歯から突き出したこの世の全てを貫いてしまいそうな立派な牙を持った魔物はただの魔物ではないことをその己が全貌で物語っていた。

 

 そして、その異常さを直に感じさせたのは優に二十メートルを超えるかというほどの巨体だった。むしろカバが可愛らしく見えてくるほどの形貌であった。

 この巨大な魔物がこの湖の生態系の頂点に君臨しており、そしてヌシなのであろう。

 

 いや、間違いなく『ヌシ』である。

 

 この姿を目にすれば、この湖の水生の魔物が少ないという話も真に信じることができた。

 この湖はやつのテリトリーであり、他の魔物が跋扈することなど許されないのだろう。

 いち早く、その危険性に気が付いたのは俺であり、一瞬の間をおいて次にイリスであった。

 俺は一瞬の判断で、身体強化の術を自身にかけ、聖剣ステラを鞘から抜き放つ。

 

 いつこの巨大な魔物が仕掛けてくるか分からない状況のため、一瞬も目を離すことができない俺は、矢継ぎ早にイリスに話しかける。


 「これはちょっとやばいぞ。イリス! 爺さんを守って、後ろに下がってくれ。ちっとばかしつらいがなんとかしてみる。まあ、心配するなって、為せば成る為さねばならぬだ。正直なとこ、勝率は五分ってとこだがな」


 まだ俺たちみたいにその危険性に気が付けていない、腰を抜かし地面にへたり込んでいる老人を守ってもらうようにイリスに告げる。いいや、気が付いていないのではなく今の状況に理解が追い付いていないのだろう。

 

 俺たちみたいに、普段から冒険者としていくつもの修羅場をくぐり抜けてきているわけではない一般人の老人にとって、この状況は名状しがたい事であり、その衝撃に対して呆けてしまうのも無理はない話である。

 

 俺達の場合は、冒険者時代から危険な状況など段階を踏んで慣れてきたようなものだが、だからといって、その爺さんの状態を責めるようなことはなしない。それが普通であり、俺たちの感覚を爺さんに強要するのはお門違いだからだ。それに、このような状況には慣れているものの自分と同等かそれ以上の存在を前にして恐怖を感じないかと言われれば否と答える。

 感情が麻痺し、慣れることと人が生まれながらにして持つ本能というものは別であるからだ。

 

 実際に今も手足を震わせたいぐらい恐いし、できることならば踵を返してこの場から逃げ出したい気持ちなのだが、後ろに老人とそして彼を守るイリスがいるこの状況で逃げることなどできない。『守る』というその唯一の決意のみがここから逃亡するという選択肢をなくしているのだ。


 もし、イリスと二人だけであれば、その選択肢もありだったからもしれないが、見るからに俺と同等かそれ以上の力を持つ目の前の脅威からは老人を守りながらここを去るということは不可能に思えた。

 

 また何よりも、逃げ出すはずの退路は目の前の存在に断たれており、俺たちの後ろには空しく湖が広がっているだけだ。


 「ええ、分かったわ! シン、それよりも昔、文献で読んだことがあるんだけど私の記憶に間違いがなければあんたの目の前にいるのはベヒモスよ!」


 (ベヒモスだとっ!?)


 イリスみたいに文献で詳しく読んだことはないが、その名は一介の冒険者時代だった俺でも知っている名だ。

 

 神に想像されし、二体の幻獣。

 神々に喧嘩を売ったこともあると言われ、非常に好戦的で七つの頭と多眼を持ち、絶大な攻撃力を有しているとされる怪物リヴァイアサン。

 そして、リヴァイアサンの対だと言われている、普段は温和な性質だが、その身は頑丈な鱗で覆われ、絶大な防御力を有しているとされる怪物ベヒモス。

 

 この二体の怪物は、神が己の身を守るために創造したとされるが、その姿を見たと公言している者が今世に入ってからいないため、その実態は分からなかった。神々がいた世を生きたもの達は数多く存在しているが、実際にこの二体の怪物を見たものはおそらく少なかったのだろう。

 

 そのため本当に存在するのか、事実謎だったことでこの二体の怪物を文献で読むならば幻獣と記されているとか。

 

 また、何故俺が文献を読んだことがないのにその名を知っていたかというと英雄伝説にその名が出てくるからである。


 かつて、世を混沌に導いていた一柱の神が英雄を危険視し、二体の怪物を英雄に仕向けたという話がある。その話に出てくるのが怪物リヴァイアサンと怪物ベヒモスなのであった。  

 その時、英雄はこの二体を同時に相手どり戦い、勝ったらしいが、二体の生死までは話の中になかった。その後、英雄に二体の怪物を仕向けた神は結局英雄に殺されてしまった。

 

 (ちくしょう。それにしてもこいつに勝てる気がしないな)


 聖剣ステラの本来の力を全力で使えるのなら勝てる可能性も格段に上がるのだが、今の俺は聖剣を使い過ぎた反動でその力は全盛期の十分の一ほどに下がっている。聖剣ステラの意思で習得した型だが、そもそもその型は剣技と組み合わせることで本来の力を発揮する。そのため、戦闘に使うことはできても大した攻撃力を発揮できないのだ。

 

 そういった理由で、俺が戦闘を開始できず攻めあぐねていると、


 『ヒュンッ!』


 今まで俺をその大きな目で観察していたのか、はたまた魔法を行使するための魔力を整えていたのか分からないが、俺めがけて猛烈な速さで巨大な水刃カッターが三つ飛んでくる。

 

 身体強化により倍速で回る思考回路でそのあまりの速さに一瞬避けようかと考えたが、後ろに老人とイリスがいるのを思い出し、その考えを一寸のところで脇へと追いやる。

 

 もしこの場にクロエがいれば、得意の炎魔法で相殺してくれたのだろうがここにいない以上はそのような贅沢も言えない。

 いや、仮にクロエがいたとしてもこのスピードで迫る水刃を防げたか分からない。その考え自体クロエがいないため、無駄な思考なのだが。

 

 避けられないと判断した俺は、聖剣ステラを正面に構え、必死の思いで水刃をこの場で防ぐことに決めた。

 

 迫る水刃の一つ目を斜めに叩き切り、そして次に数舜遅れて迫ってきた二つ目を返し刀で後ろ上方へと方向を逸らし、最後の一つを――再度剣を振りかぶる余裕が無かったため――もろに剣刃けんじんで受け止めてしまう。

 

 速さにより重みが乗った水刃の衝撃に数メートル後方へ身体を押し出されるが、身体強化された両脚でなんとか地面に脚を食い込ませ、力押しで水刃を切り裂くことに成功する。


 魔法を放った直後のせいかベヒモスの動きが止まった一瞬の隙を見逃すことなく、俺は片足に力を入れて、その場からベヒモスに突っ込む。

 

 ベヒモスの巨体に向け、渾身の一撃を叩き込むために精一杯聖剣ステラを振りかぶり、突っ込んだ勢いを余さず聖剣ステラを振り下げた。


 俺の渾身の一撃がベヒモスへと当たった瞬間俺の手に鈍い痛みが走る。

 なんと俺が渾身だと思っていた一撃は硬質の鱗で覆われたベヒモスの体表を傷つけることさえできずに弾かれてしまったのだ。

 

 そしてもうすでに先ほどの魔法行使の影響から復帰していたベヒモスは俺の攻撃に対して勘に触ったのかどうやったらその巨体でそのような速さで動けるのか分からないが、大きな体を翻し、俺に向けてそれもまた巨大な尾で叩き飛ばそうとしてくる。


 すぐさまその攻撃を察知した俺は攻撃が失敗したことによる手の痺れから復活する暇ももらえずに、ベヒモスの体表を蹴り飛ばし、イリスたちのいる後方へ避難する。

 

 イリスたちの少し前方に降り立った俺は、ベヒモスが現れてからずっと気になっていたある一つの疑問をイリスに問いかける。


 「イリス! こいつが現れてから一つ疑問に思っていたことがあるんだが、聞いていいか」

 「何よ、この状況で質問してくるなんてまだ意外と余裕があるのね。あんたが派手に闘うせいでこっちは防御結界の維持が大変なんだから。すこしは周りの状況に気を遣って闘ってほしいものね」

 「そりゃあ、悪うござんした! これでも一応、お前たちのことを気にして闘ってるんだぜ。いいや、そんなことよりもだ。最初から不思議に思ってたんだが、なんでこいつ最初から好戦的なんだよっ? ベヒモスって温和な性質だって聞いたことあるんだけどな……」


 そうなのである。

 この化け物が現れてからずっと気になっていたことがあった。

 湖から現れた瞬間から現在まで俺たちのことをずっと敵視し続けているのだ。

 先ほども、ベヒモスについて思い出していたことなのだが、英雄伝説に出てくる怪物ベヒモスも、おそらく文献に出てくるベヒモスもだろうが、その本来の性質は『温和』であると言われる。英雄と戦った時は、創造主たる神の命令だったため、その、内に秘めたる力を振るったのだろうが、今目の前にいるベヒモスは神の命令など受けていないはずである。

 

 そもそも、その創造主たる神自体英雄に殺されており、もうこの世界には存在しない。

 そして、きっと自分を殺した英雄のことを恨んでいるだろうが、その英雄はもうこの世にいないし、仮に英雄が使っていた聖剣ステラを持っている勇者が俺だったとしても面識の無い神に恨まれている筋合いもない。

 もしその神が復活しており、短慮でなければの話であるが。

 

 というような、俺の疑問に対してイリスはきょとんとした顔でこうのたまったのだった。


 「当り前じゃない、私のかけた精霊術は生物を好戦的にさせるものだもの」 


 と。


 ナンノジョウダンダ?

 

 いやいやいやいや!

 きっと冗談だろう。そうに違いないさ。

 

 ……。

 

『冗談だよね?』

 

 というような顔をしてイリスに振り返った俺に対し、


 「あれ? 言ってなかったけ? えへっ∇」


 うっかりっという感じで笑いかけるのだった。


 「 『えへっ∇』 じゃねえよっ! おまっ、おまえ――そういう事は初めに言えよ!」

 「何よ! あんたが術かけろって言ったんじゃないのよ! それに聞かれなかったんだもん、しょうがないじゃない」

 「 『だもん』 とか可愛く言ったって許さねえからな!」


 クソッ、まじかよ。

 

 それでこんなにも好戦的だったのか。

 おかしいなーおかしいなー。

 とは思っていたのだが、とんだ伏線が隠されていたようであった。いや、伏線って言えるほどのものではないのだが。

 

 おかしいなと思っていた理由だが、そもそもベヒモスの性質が温和だってことは先ほど言った通りだが、いつからここにヌシとして住み着いているのかは分からないが、住み着いた当初から今に至るまで、ベヒモスがこの地にて暴れたことがあるなんて聞いたことがない。

 もし、そのような事件が起きているのならば、一度くらいはその話を冒険者として耳にしていてもおかしくないからだ。

 

 そして、もう一つ理由があるのだが、それはかれこれ五十年近くこの湖で釣りをしているはずの老人が――真相は分からないが――このヌシを一度少しだけ見たがあり、またそれ切りその姿を見ていないことだ。

 仮に、今目の前にいるような状態がベヒモスの常時だったのならばテリトリーに日常的に入っていた老人は今頃この世に存在していないだろう。そして、爺さん以外にもこの場所に釣りに来る人なんて度々いただろうが、そんな話はもちろん聞いたことは無い。

 

ということはだ。

 

 今、この目の前にいる怪物は、伝承にある通り、その本来持つ性質は温和であり、人間など歯牙にもかけていなかったことになると推測できるのだ。

 

 しかし、イリスのかけた精霊術で戦闘意欲を刺激されたベヒモスは、その術をかけた者達を不快に思い、おそらくだが、こうして目の前に現れたのだろう。

 

 はぁー……。

 イリスは以前からちょっと抜けているところがあるなと思っていたが、どうやらそれは俺の勘違いではなかったらしい。あとで文句の一つでも言いたいものだ。

 殴られるだろうが。

 

 確かにイリスの言った通り、かけた精霊術はどのような効果があるんだと詳しくイリスに聞かなかった俺にも少しの落ち度があるかもしれないが、そもそも『魔物があつまりやすくなる』ぐらいの認識しかなかったし――実際そうであったけれども――まさか好戦的になるとまでは普通思わないだろう。俺の認識は本当に「便利な精霊術だねぇ」ぐらいだったのだ。

 

 この湖にもある程度魔物がいることは分かっていたのだから『この術は生物を好戦的にさせるから魔物とかには気を付けてね』ぐらいのことを事前に言っておいてくれてもよかったじゃんとも思うわけである。

 今頃あーだこーだ言ったって遅いけどさ。

 

 まあ、そんなことよりもだ。


 「それで、イリス。その術ってのは解除できないのか?」


 元々温和だったのならば、その術さえ解いてしまえば俺たちに対する敵意は無くなるんじゃないか? と考えたわけなんだが――


 「すぐに術を解くすべは残念だけど無いわ。もし術を解きたいならここで倒してしまうか永久的に効果が続くわけじゃないから、自然に術の効果が切れるのを待つしかないわね」


 非情にもそう告げてきた。

 

 「倒すなんて簡単に言ってくれるじゃないか」


 俺はイリスの答えに対して苦い顔をしながら嘆く。

 

 俺とイリスが話しているその間もベヒモスとの攻防はもちろん続いていた。

 まだ、俺の力量を試しているのか――おそらくだが聖剣ステラのことを覚えているのではないだろうか――先ほどとの攻撃とは違い、小さくなった水刃が矢継ぎ早に飛んでくる。

 

 極大の水刃ではなく、小さくすることによって魔法を行使した影響が少なくなるのか、先ほどのように休む暇を与えてはくれない。


 三つの時と若干速度が落ちているもののその脅威は先ほどとはあまり変わらないため、油断もできない。

 

 だが、先ほどより小さくかつ速度が遅いため一歩手前のところでかろうじていなすことができている。

 俺が元勇者で、且つ、俺の持つ剣が聖剣ステラでなければとっくの間に切り刻まれていただろう。というか普通の剣なら折れる。


 しかしながら、それも長くは耐えられそうにない。

  

 先ほどベヒモスに与えた一撃の時の腕へのダメージがいまだに残っているからである。

 こちらが攻撃を与えたのに逆に手傷を負ってしまうなんて本当に恐ろしい怪物だ。

  

 このままでは手詰まりか……。

 

 と脳裏に過った瞬間、いいやまだ一つだけ手があることを思い出す。

 しかし、この閃いたことはあまり実行に移したくはないのだが……。

 

 だが、どんどん衰弱していく俺の体力とベヒモスの終わらない攻撃にそんなことも言っていられる状況じゃなくなってきたため俺は思いついた最後の手段を実行に移すことにした。


 「イリス、聖剣の力を解放する。すまんが後のことはよろしく頼むぜ?」

 「ちょっとあんた、そんなことして大丈夫なの?!」


 さっそく力を解放する準備に入るために集中しだした俺はイリスの制止の声をそよ風のように聞き流し、数秒後に力を解放したのだった。


お読み下さりありがとうございます。


突然入ってしまった戦闘回! のんびりなんじゃなかったんだよっとお思いの方もいるかと思いますが、私は悪くありません。全てはイリスのせいです。本当はのんびり釣りだけする予定だったんだです。


さて、今完結まで残すところ三話かけば終わりの予定です。10万字書きたかったけどいきそうにない……。

また、新連載に向けてネタ考えているのですがなかなか出てこない。

次は転生ものとか書きたいですね。一応この続編もプロットとしてはあるっちゃあるんですがね~。

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