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10-11


       10


 車は、少し進んだ先で止まっていた。ちょうどエンジンが切られ、運転手が中から降りるところだった。

 どうしました、と深田の背に声をかけようとして、叉反は止めた。停車した理由がすぐにわかったからだ。


 目の前に、三人の人間がいた。若い女性と、女の子。彼女達は手錠で手を繋がれて、身動きが出来ないようだった。

 そして三人目の、スーツ姿のその男は、これ見よがしに銃を女に突き付け、薄笑いを浮かべていた。

「あなた!」


 女――深田美恵子が叫んだ。娘の凜は怯えきって声が出ないようだ。

「凜! 美恵子!」

 思わず深田が走り出そうとする。だが、スーツの男がそれを制した。

「おっと。そこまでだ、深田。約束の物を渡してもらおう」

 ヤクザらしくないその男の美顔が、醜い笑いに歪んだ。


有礼(ありかた)……」

 その名を呟き、叉反は一歩前に出た。

「生きていたのか」

「ああ。さすがにゴクマの奴らに爆撃を受けた時には肝を冷やしたけどね。逃げる手段はいくらでもあるさ。それより、よくやってくれたな探偵。無事深田を僕の元まで連れてきた」


「――話が見えなかったが、これでようやくわかった。深田さんを唆して計画書を盗ませたのは、お前だったのか」

「唆した、というのは言葉が違う。これは契約だ。計画書を奪取する代わりに、彼の家族の安全を保障した」

「俺は約束を守ったぞ!」


 引き絞るような声で、深田が叫んだ。

「あんたの言う通り西島さんの誘いに乗った! 事務所から計画書を奪って、ゴクマの連中からも守り通した! 全部あんたの指示通りだ! 今、計画書を渡す。だから女房と子供を放せ!」

 悲鳴にも似た深田の言葉を、有礼はにやけた笑いで聞いていた。


「ああ、いいとも。まずは物を見せてみろ」

 頷き、深田は車に近付いた。一拍の間を置いて、ウィンドウに拳を叩き込む。

 その場の誰もが呆気に取られていた。だが、深田は意に介さなかった。割れたウィンドウの破片を握り、トカゲ尾の根本にある縫合痕に尖った先を当てる。

「ぐうぅっ!」


 歯を食いしばって、深田は縫合部分を切り裂いた。青光りするトカゲ尾から赤い血が溢れ出す。その傷口に深田は指を突っ込んだ。

「ぐうあっ……!」

 勢いよく、傷口から指を引き出す。その先には銃弾にも似た小さな物があった。

「これが……あんたの欲しがってた、本物の計画書だ」

 痛みを堪えるように肩で息をしながら、深田は言った。


 有礼が、目を細めてじっとそれを見つめる。

「……なるほど。確かに本物のようだ。よくやったな、フュージョナー」

「御託はいい。美恵子と凜を放せ!」

「ああ。いいとも」


 有礼の手が動く。美恵子と凜を繋ぐ手錠の鎖に手を掛け、深田のほうへと放るように引き摺り出す。

 深田の視線は、二人に合せられていた。有礼が銃口を自分に向ける動きなど、まるで目に入っていなかった。

 だから、叉反は撃った。


「――っ!?」

 銃声が明け方の空に響き、金属音を立てて有礼が持っていた銃が路面に転がる。深田も美恵子も凜も、突然の銃声に反応が出来ていなかった。

トリガーにかかっていた人差し指が折れたのか、有礼が苦悶の表情を浮かべて膝をつく。


「探偵、貴様……!」

「深田さん、計画書を渡して二人を連れて逃げろ。あとは俺が引き受ける」

「あんたは!?」

「俺の事はいい。いいから早くナユタを出ろ。誰も追って来ないようなところまで逃げるんだ、早く!」


 銃口を有礼に向けたまま、叉反は叫んだ。深田の判断は速かった。血に濡れた計画書を投げ捨てて二人を車に乗せ、運転席に散らばったガラスを払い、エンジンをかける。

「無事を祈る」

 それだけ言い捨てて、セダンが来た道を戻り始める。


 エンジンの音が聞こえなくなるまで、叉反は有礼と睨み合ったままだった。

「……で、どうする気だ」

 右手を抑えたまま、有礼が言った。

「一つだけ約束してもらおう。今後一切深田さんの家族には関わらないと」

「お前、正気か? そんな約束を誰が守ると思っている」


「そうだな」

 銃口を有礼の胸に向ける。心臓の辺りに。

「……ふふ、ははは」

 有礼の口元が笑みに歪む。心底可笑しそうに、破顔する。

「随分汚い事をするじゃないか! 探偵をやめてヤクザにでもなる気か!?」

「勘違いするな」


 素早く身を翻す。節くれ立った蠍の尾先が風を裂いた。

 鈍い音がした。尾に痛みが走った。人一人の体が軽く飛んで、路上に倒れ伏す。

「銃なんか使わない」

 脳を揺さぶられて瞬時に気を失った有礼に、叉反は言った。



 十分後、刀山会の幹部有礼淳也は、ナユタ市警察の手によって保護された。



      11


 全ての後始末を終えて叉反が事務所に帰って来たのは、結局夕刻だった。

 街中の移動にも気を使い、事務所に警察が張り込んでいる事も想定していたのだが、意外な事に、事務所はおろか、ショッピングモールに残していた車さえ見張られていなかった。


 車内の荷物を降ろし、自宅である事務所の上の階まで運ぶ。全ての荷物を運び終え、叉反はようやく一息ついた。

 この後、どうするかについてはまだ考えていない。

 このままナユタで探偵を続けられるのか、あるいは叉反もまた姿を消すべきなのか。


 とにかく、今回の一件については早急に整理して事実関係を見直す必要がある。多くの裏社会の人間に関わってしまった。これがどういう作用を起こすのか、予測し対策を練らなければ。

 そんな事を考えていた時だ。

 ふとポケットの携帯が震え出した。


 電話着信だ。だが、画面には番号が表示されていない。

 ただひたすら、着信を知らせる震動が続くばかりだ。

「…………」

 意を決して、叉反は電話に出た。

「……もしもし」


「――これは警告だ」

 不気味な、機械によって変声された音声が、静かにそう言った。

「今後もナユタで探偵を続けたいのなら、今回の一件で見聞きした全てを忘れる事だ」

「……もし、忘れなければ?」


「お前は全てを失って地獄に落ちる」

 何も言えなかった。機械音声が続けた。

「公安のマークからお前を外しておいた。最後のチャンスだと思え」

 そう言って、電話は切れた。

 不通を知らせる電子音が、通話口から漏れて聞える。


 電源ボタンを押して、叉反は通話を切った。

 思考がまとまらなかった。何が、一体どうなっているというのだ。

 家のインターホンが鳴ったのは、叉反が思考の檻に囚われだしたまさにその時だった。


「!?」

 思わず肩が震える。一呼吸して、落ち着いて立ち上がり、インターホンの受話器を取る。

「――はい」

『あ、叉反―? いるー?』

『おい尾賀、帰ってるんだったら出てきやがれ。てめえには聞きたい事が山ほどあるんだ』


「――――」

 よく知った二人の声だ。体の力が抜ける。

 玄関まで行って、ドアを開ける。

 小さい背丈の少年と、坊主頭の制服警官が、並んで立っていた。

「おお。ようやく帰ってきやがったな尾賀。じゃあ早速約束通り話を聞かせてもらおうじゃねえか」


「……ねえ、叉反。この人知り合い? この間塾に迎えに来てからずっと怒りっぱなしなんだけど、何なの?」

 仁の困ったような、いやどちらかといえば呆れたような声に、ナユタ市警巡査山本銕郎が目を剥く。

「この小学生! 言っただろうが、俺は尾賀のダチなんだよ、ダチ!」

「いやまあ、それはわかったけど。もう少し静かに喋ってもらえません? 怒鳴り過ぎ」


「何だと!」

 つい最近知り合ったらしい二人は、コントめいたやり取りし始める。

 気が抜けていくのがわかる。緊張が、ようやく解ける。

 少なくとも、今日は休んだほうがいいだろう。

「ん? 叉反臭い。お風呂入ってないの?」

「ああ、そういえばまだだったな」


「さいあく……。さっさと入ってきなよ。僕らリビングで待ってるからさ」

「そうか」

 どうやら上がり込むつもりらしい。

「少し待っててくれ。部屋の中を片付ける」

「りょーかい。あ、そうだ叉反」


 部屋に向かおうとした叉反を、少年は呼び止めた。

「おかえり、探偵」

 ――ナユタに日が落ちようとしていた。悪夢めいた騒動の日々が、終わろうとしている。



「――ああ。ただいま」

 ここ数日決して得る事のなかった穏やかな気持ちで、叉反は言った。




 異国の街の夜に風が吹き抜けていく。祖国とは比べ物にならないほどの電光に彩られた街並みを見下ろすと、柄にもなく自分の存在の小ささを認識してしまう。

 それが不愉快ではないのは、きっと自分が根本的にテロリストだからだろう。この世界を焼き落とし、破壊し尽くしたいという欲望が、広大な世界を魅力的な破壊対象に見せるのだ。


 屋上に待ち合わせの男が現れると、破隠はそちらを向いて声をかけた。

「よう。わざわざこんなところまですまなかったな」

 男は不快そうに眼鏡の位置を直す。深く刻まれた皺に、上等なスーツを着こなしたその姿。見た目は経験を積んだビジネスマン、といったところか。

「全くだ。私物の管理くらい自分でしろ」


 言いながら、男は小さなそれを投げて寄越した。落ちてきたそれを破隠は掴み取る。

 銃弾くらいの大きさの、銀のカプセルだ。底は球形になっていて、残りは先の丸い三角錐めいた形になっている。

「……血の匂いがするな」

「例のチンピラが自分の尻尾に隠して持っていたんだよ。見つけた時には血まみれだった」


「ははあ。そんなところに隠していたとはね。拷問せずに尻尾を千切れば良かったのか」

 男は何も言わない。聞き慣れているのだ。これくらいの残虐な言葉は。

「それで? 結局今回はどういう話だったんだ」


「どうもこうもない。貴様らゴクマが無分別に暴れ回るのを良しとしなかった結社内の一派が、首領である貴様を排斥するために今回の一件を企てたんだよ。計画書を奪い返すために、余計な騒ぎを起こした貴様の責任を追及する――そういう筋書きだったそうだ」


「……下らねえなあ。まあ、おかげさんでしばらくゴクマは活動出来ねえけどな。金を使い過ぎちまったし。でもまあ、有礼の野郎にはペナルティがあるんだろう? 今回の首謀者だったんだからな」

「当たり前だ。じきに奴を刑務所から出す。その後、査問会が開かれる」

 言って、男は風に吹かれながら、光り輝く街並みに目をやる。


「計画の実行はそう遠くない。だというのに、結社内の足並みが揃わないのでは……。先が思いやられるな」

「別にいいだろ。騒ぎばっかりで、俺達の計画にぴったりじゃねえか」

 レンズの奥で男が破隠を睨む。破隠は肩をすくめ、〝計画書〟である銀のカプセルを握り締めた。


「とにかく楽しみだよ。この『騒乱計画』が実行される日がな」

 異国の風は吹き荒び、勢いを増していく。

 ――嵐のような計画の日は、まだ先だ。

                                                         

                     了




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