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       8


 だいぶ夜も更けただろうが、今の時刻を確認していなかった。だが、別に気にする事でもない。ここから向かう先は決まっている。

 〝亡霊〟に教えられた道を、叉反は歩いて進んだ。一人だった。他の者は皆それぞれ散開していた。〝亡霊〟も姿を消した。自分の役割は終わったと言って。

 ――深田を頼む。


 最後に奴が言った言葉がそれだ。死者のレッテルを貼られた男からの依頼だった。

 暗い林の中を叉反は進む。港からはだいぶ離れたはずだ。もうすぐ指定された地点に着く。

 辺りは虫の声がするばかりだ。一応足音を立てないように慎重に歩いているが、人の気配はない。


 と、遠方に黒い箱型の影が見えた。セダンタイプ。人の姿も見える。

「探偵。こっちだ」

 声が聞こえた。確か、三班にいた者だ。叉反は影に近付いた。

 月明かりで、ようやく顔が見える。

「深田さんは?」

「ここだ」


 答えたのは三班の男ではなかった。

 後部座席の窓が開いた。深田慎二が、顔を覗かせていた。

「意識が戻ったんですか」

「まだ立とうとするとふらつくよ。でも、この人らに貰った薬が効いて、さっきよりかなり良くなった」


「薬?」

 叉反の問いに、三班の男が何かを取り出した。針のない注射器、のような物。

「これだ。フュージョナーの体細胞を活性化させる薬品だ。安全テストも行われていて、海外の特殊部隊などで使用されている」

「そんな物を何故お前達が?」

「その問いは無駄だ。答えられない」


 腕を出せ、と三班の男が言った。

「お前にも打っておく必要がある」

「嫌だと言ったら?」

「打たない。だが、今の状態で無事ナユタまでたどり着けるか、自分の胸に聞いてみるといい」


 こちらのコンディションの問題だと、三班の男は言っていた。

気力は満ちている。体が悲鳴を上げても、最悪精神力で何とか乗り切れるかもしれない。だが、根拠に欠けるのも確かだ。体は、確実に消耗している。

「副作用はないんだろうな?」

 特殊部隊で使用している、という言葉を信じる。それに、彼らが裏切るのなら、もっと早くにやっているだろう。


「ない。薬品は注射から二十四時間後、排泄物と共に体外に出る。後遺症もない」

 叉反は頷いた。袖をまくって、腕を出した。

 ペンライトで腕が照らされる。血管に注射器が宛がわれ、小さな音を立てて薬液が体内に入る。異物感はあったが、痛みはない。

「これでいい。短時間でお前の体は回復する。ほぼ万全のコンディションを取り戻せるだろう」

 言って、三班の男は注射器を仕舞った。

「この先を道なりに行けば道路に出る。標識に従ってナユタまで戻れ。夜明けには着くはずだ」



 しばらく一般道を走った後、高速に乗る。薬が効いてきたようで、体が軽く、頭がすっきりと澄み切っている。この分なら、不測の事態にも対応出来そうだ。

 深夜のせいか、高速にそれほど車両は多くない。ある程度のところまで行ったら、また一般道に降りる。そこからは、そのままナユタを目指す。


 深田は後部座席で横になっていた。薬は効いているのだろうが、それまで受けた執拗な責め苦の痛手は、そうそう取れるものではない。休む時間が必要だった。

 横になってはいるが、深田は眠っているわけではないらしい。ルームミラーに姿が映っている。黙ったまま、ずっと天井を見つめている。


「眠ったほうがいい」

 前方を見ながら叉反は言った。深田はややあって答えた。

「眠れねえんだ」

 ぽつりと、そう言った。水面に小石を投げたような、小さな声だった。

「何だか、色々とろくでもない目に合せちまったな。こんな恰好だが、本当にすまねえと思っている」


 天井を見つめたまま、深田は言った。

「いえ。俺のほうは仕事ですから」

「いや、あんた達が助けに来てくれなきゃ、俺は今頃この世にはいなかった。礼は、必ずきちんとした形でさせてもらう」

 深田の声は強い意志に満ちていた。


 何も言えず、叉反はただ頷いた。深田の家族、妻の美恵子と娘の凜は未だ行方不明だ。警察は捜査を進めているはずだが、その後の進展状況はわかっていない。

 二人が行方不明である事は、深田には伝えていなかった。伝えて、どうなるものでもない。余計な負担をかけるだけだ。

「……思い出すよ」


 不意に、深田が言った。依頼人の事を考えていて、一瞬叉反は反応が遅れた。

「何をです」

「昔、俺がまだ刀山会にいた頃、こんな感じに怪我をして西島さんに連れて帰ってもらった事がある」


 深田はその時の事を話した。とある組織との抗争で、鉄砲玉だった深田とその兄貴分の西島が駆り出された。相手方の事務所に乗り込んだ二人は大暴れした末、ぼろぼろになりながらも事務所を脱出、相手の車を奪って東京まで帰った。

「俺ぁドスで足刺されちまって。西島さん、手当てなんか出来ねえから適当に包帯ぐるぐる巻きにして。(いて)え痛えって叫んでたら怒鳴り付けられた。『うるせえ! てめえだけが痛えんじゃねえ!』って」


 くっくと、深田は笑った。

「その後も、『大体なんで俺が運転してるんだ』、『普通は下っ端が運転するだろうが』ってぶつぶつぼやいてた。足怪我してるから無理ですって言ったら、『てめえトカゲだろう。ちょん切ったらまた生えてくるだろうが』ってさ。ひでえよなあ。普通フュージョナーに言わねえよなあ、そんな事」


 言いながら、深田はどこか楽しそうだった。

 いや、事実楽しかったのだろう。決して褒められたものではないにせよ、兄貴分との冒険が。

「ヤクザだったけどな、俺にとっちゃ悪い人じゃなかった。ガキの俺に礼儀を教えてくれた。ああいう人だから、到底カタギにゃなれなかっただろうけど、それでも屑みたいな真似だけはしない人だった」


 そこで深田は沈黙した。

 胸の内をどう言い表すべきか、言葉を探しているようだった。

「探偵さん。西島さんが(ヤク)の商売に手を出した理由は知っているのか?」

「……調査の際に得た情報では、西島は自らの地位向上を強く望んでいたそうです。このまま有礼の派閥に追いやられるのを待つなら、ゴクマと組んで関東一帯を平定しよう、と」


「……博打か。あの人らしい」

 深田が息を吐いた。

「でもクスリはいけねえ。他の組と戦争なんざ、タチが悪い。そうまでして手を汚して、何になる? あの人にとって上に行くってのは、そういう意味だったのか?」


「そうする事が、生き甲斐だったのかもしれません。おそらく、俺より深田さんのほうがわかるはずです」

 ついさっき、叉反は生きるために人を撃った。

 西島は、きっと違う。ほんの数分しか顔を合わさなかったあの男は、きっと生きるためではなく、生きた上で行う何かのために殺そうとしていたのだ。自分の目的を阻む者達を。だからきっと、生きるために誰かを殺すという事では迷わない。考えるまでもなく、殺すだろう。


「――いい兄貴だった」

 ぽつりと、深田が言った。

「でも碌な人間じゃなかった。骨の髄までヤクザだったんだ」

 それっきり、深田は黙り込んだ。

 車は夜更けの高速道路を進んでいく。


       9


 もっとも暗い時間を抜けると、空が白み始めてくる。

 標識に、ナユタの文字が見えた。中央街道へと至る道。左右は木立に挟まれている。遠目に新市街の高層建築の並びが見えるその道を叉反達は走っていた。

 ナユタは、もう目前だ。市内に入ったら、まず始めにするべきは依頼人達の行方を追う事だ。深田を無事彼女達の元へ届け、この依頼を達成する。


 深田は眠っているようだった。微かに寝息が聞こえる。

 ひとまず事務所に戻るか、それとも別の場所に身を隠すか、考えた時だった。

 目の端に、黒い影が映った。辺りに車はない。人もいない。

 その影は、叉反達が乗るセダンのスピードに追い付き、そして追い抜いて行った。


 今、姿は見えない。

 叉反は自然と襲撃に備えた。影の正体が誰かは、問うまでもないだろう。

 車は走り続けている。周囲には人の姿はおろか、動物さえいない。

 緊張感だけが、高まっていく。

「……探偵?」


 いつの間にか、深田が起きていた。起き上がり、座席の背に背中を預けている。

「何かあったのか?」

 叉反の雰囲気を察したのか、深田が固い声で言った。その瞬間だった。

 雷でも落ちたかのような衝撃と共に、セダンのハンドルが一気に重くなる。上だ。何かが飛び乗った。

「掴まれ!」


 一気に叉反はブレーキを踏み込んだ。急激に制動がかかったせいで、タイヤが悲鳴を上げながら路面を滑っていく。深田のくぐもった声が聞こえ、その体が座席から落ちる。

 フロントガラスの向こうで、黒い影が路上に着地した。急ブレーキの衝撃など、物ともしていない。


 来たのだ。予想される中で、おそらくはもっとも厄介な追手が。

「中にいて下さい。それから、隙を見て逃げて下さい」

 シートベルトを外して、叉反は深田に言った。出やしねえよ、という返答が、少し間を空けて床のほうから聞こえた。

 くすりと笑って、叉反はP9Rをホルスターから抜き、車を降りた。


 目の前に、そいつはいた。ずっとその姿を隠してきたレインコートは、何があったのか、今や襤褸切れも同然だった。フードは脱げ、その素顔も露わになっている。瞳に、正気の光はない。忌々しげにコートの残骸を剥ぎ取り、唸り声ともつかぬ荒い息を吐き出す。巨躯を獣のように四肢で支え、飛び掛かる構えを見せている。


「嵐場……」

 ようやく知り得た襲撃者の名前を叉反は呟く。

 返答は、咆哮だった。獣の口がナユタの空に吼え猛る。全身の筋肉が撓み、震える。

 黄金の(たてがみ)が昇り始めた朝日を受けて煌めく。

 百獣の王、ライオンのフュージョナー。それが襲撃者、嵐場道影の正体だった。

「完全に回帰したのか……」


 P9Rを構える。もはや素手で渡り合える相手ではない。相手は獣だ。それも規格外の体格を持った巨獣だ。

 合図はない。待ったはなかった。

 獅子が、跳んだ。その瞬間に引き金を引いた。

 照準が追いつくスピードではなかった。弾丸の如き速さで迫る巨体を間一髪躱し、動き回る獅子を撃つ。銃声が、道路上に木霊する。当たらない。いくら何でも速過ぎる。


 ライオンで考えられるスピードではない。鍛え上げた人間の肉体が獣と化したからこそ出る、常識の範疇を超えた速さ。

 まともには戦えない。

 叉反は走った。走りながら引き金を引く。もうすぐ、最初の弾倉が尽きる。だが、弾は掠りさえしない。路上では不利だ。場所を変える必要がある。


 草むらに転がりながら、獅子の姿を捉える。追ってきている。車には目もくれない。よし。それならいい。車からなるべく引き離す。

 暗がりの木立へ叉反は入った。迫り来る獅子に向けて銃弾を放ち、木々の間を移動しながら弾倉を落とす。息遣いが聞こえる。すぐそこまで迫っている。


 弾倉を叩き込みざま、引き金を引き続ける。

 銃弾が黄金の体躯に深くめり込む。血飛沫が暗い木立に飛び散る。だというのに、獅子の動きを止めるには至らない。落下しざまの剛爪が、間一髪叉反が立っていた土の上を抉った。すかさず撃った。九ミリの銃弾が腹と腕に食らい付く。だが、獅子の腕はすでに振りかぶられていた。


 風切音。

 轟風を伴った衝撃が叉反の腹部を抉り取った。黒い防弾チョッキが引き千切れて宙を舞っていた。この一撃だけだ。これでもう、あの爪を防御する術はない。

 連射する。獅子の毛皮が血で染まっていく。痛みなどまるで感じていない。唸り声一つ上げて、すぐさま肉薄する。


 距離が近付いた。銃口と、獅子の目の距離が。

 撃った。

 絶叫が響き渡る。獅子の巨体が、地の上でのた打ち回っていた。

 マガジン・キャッチボタンを押す。音も立てずに落ちた弾倉に代わり、三つ目を即座にP9Rに押し込む。


 照準する。痛みに耐えきれず暴れ回る獅子の白い腹が見える。

 ――迷いはない。

 外さぬように両手で構え、引き金を引いた。

 銃声。銃声。銃声。銃声――

 着弾と同時に血が飛散する。赤い穴がいくつも空いた。それで、獅子の動きが緩慢になる。


 やがて、獅子はもがく事を止めた。

 動きが止まった後も、しばらく構えが解けなかった。

 一分ほどして、ようやく叉反は銃を下した。

 獅子が動く様子はない。かつて、人間と獣の狭間にいた者。今は、完全に獅子と化した者は、ぴくりとも動かない。


 ――……殺した。今度は確実に、殺意を以て殺した。

 たとえ体が獅子となっても、人間を殺した事に変わりはない。

 息を吐く。張り詰めていた神経が弛む。疲労が、どっと押し寄せてきた。

 とにかく、車まで戻らなければ。深田が逃げているなら、それはそれでいい。

 木立の出口を目指す。足取りが、重い。だが行かなければならない。全ては、仕事を終えてからだ。



 ――――がさり―――



 物音が聞こえた。後方から。背を向けた戦場から。

 かす。かす。足元に広がる草むらに何かが触れる音だ。一度や二度ではない。小雨のように、リズミカルに何かが落ちている。

 何が?

 決まっている。


 破隠の時と同じだ。

 走り出す。振り返る暇はない。すぐさま、来る!

 駆ける。駆ける。駆け抜ける。木立を抜け――その時、羽ばたきにも似た音が聞こえ――太陽に照らされた影が見えた。瞬間、叉反は左へ跳んだ。


 まるで隕石の落下だった。衝撃に地面が震え、土埃が立ち、そして――

 グオオオオオォォオオオオオッ!!

 咆哮と共に黄金の獅子が煙の中から飛び出してくる!

「おぉォっ!!」

 もはや避けようがない。撃った。引き金を引いた。仕留めるしかなかった。今ここで外せば待つのは死だけだ。

 銃声が続く。排出された薬莢が先に落ちた薬莢にぶつかる。

 そして。

 弾は、全て命中した。


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