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6-7


 港は使われなくなってからもう随分と経つようだった。だが、まだ生きている区画がある。人気のない港に立ち並ぶ倉庫がそうだ。その近くには、築三十年は経っているだろう五階建ての古びたビルが建っている。倉庫管理会社のビルだ。明かりがまばらについていて、まだ中には人がいるようだ。


 ゴクマの連中が深田を連れ込んだとされるのが、このビルだった。会社自体にゴクマの息がかかっているらしい。

 時計を見ると十一時半を回ったところだ。〝亡霊〟が全員に向けて言った。


「打ち合わせ通りだ。俺と一班は正面からビルを強襲、二班は裏口から回って敵を攪乱。突入から三分後、探偵を含む三班が裏口から侵入し脱出ルートを確保。探偵はその間に内部を捜索、深田を発見次第連れて脱出しろ」

 構成員達が一斉に了解と言った。

「よし。行くぞ」


 〝亡霊〟が一班の三人を連れて立ち上がった。正面玄関に四人の影が入り、一拍置いたあとに炸裂音が響き渡った。二班が立ち上がり、裏口へ回った。激しい銃声が聞こえてくる。怒声や叫び声が行き交い、たちまちビル内は戦場と化した。

 時計の針が三分を刻み、叉反達三班が動き出した。二班が突入したのと同じく、裏口へ回り、ビルの中へ入る。


 廊下は嵐が通り過ぎたような有様だった。ガラス戸は割れて破片が飛び散り、銃撃を受けたらしい何人かの男が呻き声を上げて倒れている。

「弾の発射薬を減らして、殺傷力を下げている」

 三班の一人が振り向きもせず言った。

「お前の弾も同様だ。行け、探偵」


 それだけ言うと、三班の男は他のメンバーを連れて通路の奥へ走っていく。

 叉反はレバーを上げ、セイフティを解除した。深田の監禁場所は見当がついていない。ざっと見回したところでは、地下室があるようでもない。一階ずつ調べたいが、そんな余裕もないだろう。誰かから聞き出すしかない。


 壁を背に、慎重に階段を上る。二階に射手の姿が見えた。手に大型拳銃。床を蹴って正面に跳ぶ。発射炎の光、大音の銃声が連続して、三箇所壁が砕けた。マグナム弾か。チョッキを着ているとはいえ当たりたくはない。

 相手は一人。真上の辺りだ。向こうの死角に入ったはずだ。このまま膠着してもいられない。意を決し、飛び出す。階段を駆け上がる叉反を狙って、再び銃声が響く。射手の姿が見えた。


 自分の中で何かが切り替わるのを感じた。

 瞬間訪れた集中の中で、反射的に撃った。一発目が外れた。二発目が相手のわき腹を掠めた。三発目が肩口を弾いた。階段を駆け上がり切って、相手の元に飛び込む。大柄の男だが格闘戦は苦手だったらしい。右手の銃を叩き落とし、足を払って床に倒す。立て続けに強力な弾を撃ったせいだろう。右腕にはほとんど力が入っていない。


「深田さんはどこだ?」

 相手の目が叉反を睨む。答える気はない。さらに聞き出そうとした時、廊下の向こうから駆けてくる足音が聞えた。銃弾が飛んでくる。廊下の奥にある部屋の扉が砕けた。男の拳銃を拾い、手前にあったドアの中に飛び込む。便所だった。意外に広い。手前に洗面台。奥に便器が二つと個室が二つ。個室の横に用具入れがある。

閃いた。拳銃をホルスターとベルトに突っ込み、用具入れを開ける。タイプの違う洗剤二つを取り出し、大容量ボトルに入った液状洗剤を床に撒き、もう一つを手に戸を開けた個室に隠れる。


 足音が聞こえる。三人くらいだ。便所の中に駆け込んでくる。

「うわっ!」

 上ずった声が上がり、誰かが倒れるような音がした。仕掛けにかかった。個室の影から粉末洗剤を容器ごと入り口のほうへ投げ、飛び出しざま奪った拳銃の引き金を引いた。


 右腕に悪い冗談のような衝撃。音を立てて破裂した粉末が広がる。容器を破壊した銃弾が向かいの壁を砕いた。白くなった視界の中で戸惑う人影に向かって叉反はローリングの要領で突っ込む。間隔を空けずに立っていた二人が将棋倒しになり、廊下に出た叉反は振り返らず走り出す。さっき打ち倒した射手を飛び越え、突き当りを右に曲がり、階段を見つけて駆け上がる。資材室の掛札がされた部屋を見て、そこへ飛び込む。


 部屋に明かりはついていない。好都合だ。室内を走り、資料棚の影に身を隠す。カーテンが引かれておらず、月明かりが差し込んでいる。満月にも見えたが、少し違和感があった。まだ満ちてはいないのかもしれない。

 体中が汗ばんでいる。走り回ったし、銃撃戦の後だ。手持ちは大型拳銃二挺にダブルカーラムの弾倉一つ。P9Rはともかく、もう一つの銃が少し重い。

 ハンカチを取り出し、頭とスーツについた粉洗剤と拭き取る。ついでに奪った銃を確認する。


デザート・イーグル。50AEが撃てるハンドキャノンだ。ゴクマの銃の見本市振りは健在らしい。残弾はあと四発。P9Rがあと十二発。弾倉を含めて、あと二十六発。

 決して充分とは言えないが、武力はある。コンディションもいい。銃への拒否反応など起きやしない。

 目を瞑って息をつく。認めざるを得ない。どんなに銃を嫌悪しようと、口で罵倒しようと、自分は銃手なのだ、と。


 今はそれでいい。胸に去来した数々の感情を全て追いやって、叉反は自らに言い聞かせる。集中しろ。戦え。全ては仕事を終えてからだ。

 急にバタンと資材室のドアが開く音がした。人が入ってきた。叉反は窓ガラスに映った侵入者の姿を見た。廊下の電灯が侵入者を照らし、二人分の影を作る。男。恰好から見てゴクマだ。おそらくフュージョナーではない。厄介なのは武器だ。一人は拳銃だが、一人はサブマシンガンらしい物を持っている。


 P9Rを抜き、デザート・イーグルをホルスターに仕舞う。一般的に考えて、マグナム弾より減装弾のほうが人を殺さない。それに発射炎の光の強さもある。ゴーグルもないのに、下手をすれば目が眩む。

 再び影に隠れる。と、パチ、と音がして明かりがついた。サブマシンガンのほうが足音を立てないように慎重に歩を進めてきた。彼が足を踏み出すタイミングを感じ取りながら、こちらも慎重に棚の影をドアのほうへと移動していく。


 不意にサブマシンガンの男が、電気のスイッチを入れた拳銃の男へ振り返った。

「ドア閉めて、鍵かけとけ。俺は左半分見て回る。お前は右を見ろ」

「わかりました」

 頷いて拳銃の男がドアの内鍵を回す。ガチャという音がした。

 その時だった。


「走れ!」

 〝サブマシンガン〟が叫んだ。一拍遅れて、ドアのほうから駆けてくる足音が聞こえる。

 やられた。叉反は駆け出す。銃を左手に持ち替える。連中、こちらに隠れる隙を与えないつもりだ!

「いました!」


 拳銃男が叫ぶと同時に撃ってくる。棚の側面に隠れ、左手だけを出して逆手でめくら撃つ。外れた拳銃の弾で窓ガラスが割れた。デザート・イーグルを抜き、叉反は部屋端の通路に僅かに体を出して二発撃つ。激しい衝撃に、右腕が壊れそうだ。

 駆けつけていたサブマシンガンの男が、慌てて飛び退き、引き金を引きながら後退する。叉反は棚に隠れる。マシンガンの弾が連続して壁に穴を空け、窓を割った。


 状況は悪い。棚を挟む左右の通路、そのどちらにも敵がいる。P9Rがあと五発。デザート・イーグルがあと二発。

「お前の負けだ。大人しく出て来い、フュージョナー!」

 サブマシンガンの男が怒鳴った。そんな選択肢はない。かといってこのまま戦うのは無理だ。逃げるしかないが、下がコンクリなので、映画のように窓から飛び降りるのも駄目だ。


 右か左か、どちらかから行くしかない。そして行くなら、断然出口に近い左だった。

 腹をくくって、跳んだ。すぐさま拳銃が発砲される。尻尾に熱い物が走った。駆け抜ける。中央の通路からドアまで一直線だ。拳銃の男が目の端に映る。デザート・イーグルとP9Rを縦に構えた。高い位置と低い位置を同時に狙えるように。

 男が撃った。射撃音が三発。二つの引き金を引いた。馬鹿げた反動、右腕が振り子のように振り上がる。気を張って銃把を握る。


 ガキン! と、金属が砕ける音が二重にし、同じくして頬、肩、腹と銃弾が当たる。熱と痛み、無視して足を踏み込み、タックルの体勢でドアへ突進する。

 蝶番は上下ともに壊れていた。九十五キロの叉反の体がドアにぶち当たり、鍵をへし折りながら廊下へドアごと転がり出る。立ち上がる間もなく床を蹴り、左へ跳ぶ。直後にサブマシンガンの激しい銃撃が放たれた。


 何とか立ち上がり、階段の影に身を隠す。追手はすぐそこだ。荒々しい足音が迫ってくる。

 タイミングを計る。二人の敵が来る。デザート・イーグルを構える。三、二、一……。

 引き金を引き絞る。追手の鼻先で50AE発射の轟音が響く。残弾ゼロ。イーグルを手放す。


 影から飛び出し際、横膝を〝サブマシンガン〟の横腹に蹴り入れる。不意打ちは男の肋骨をへし折り、一拍遅れで呻き声を吐き出させ、機関短銃の引き金を引かせた。

 反動でぶれないように機関銃ごとその手を抑えてやる。銃の震えがこちらにも伝わる。一分としないうちに、機関短銃は銃弾を撃ち尽くして沈黙した。


 拳銃の男は腰を抜かしていた。まだ若い。二十歳そこそこだろう。サブマシンガンを構えていた男が床に倒れ伏す。叉反は拳銃の男に近付いた。

「ここに連れて来られた男がいるはずだ」

 淡々と、叉反は告げる。拳銃の男は完全に竦んでいた。

「どこだ」


 男は震えた声で、四階の会議室だと答えた。

 叉反は頷いた。男が握っていた拳銃に手を伸ばす。抵抗はなかった。男の戦意は折れている。

 新たに手に入れた銃を確かめる。FNモデル・ハイ・パワー・マーク3。弾はまだ入っている。


「予備弾倉はあるか」

 男はがくがくと頷いた。ポケットから弾倉を取り出す。一つ。特に変形もしていない。

 廊下の奥に向けて、試しに引き金を二回引く。撃った感触もおかしくない。きちんと手入れされている。

 残弾を確かめる。薬室に一発。弾倉に二発ほど。弾倉を入れ替えた。

「早く逃げろ」

 男にそう言い捨てて、叉反は四階を目指して走り出した。



 四階の廊下は明かりがほとんどない。小さな電灯が等間隔で灯っているだけだ。

 階下では、未だ銃撃戦が行われているようだった。皆そちらへ行っているのか、四階の廊下には人の気配がなかった。

 会議室へ行く手前で、P9Rの弾倉を入れ替える。これで少なくとも、突入後すぐに弾切れになる事はない。ハイ・パワー・マーク3をホルスターに仕舞い、P9Rを構えながら、会議室の扉を開ける。


「――よお」

 凄まじい爆音と共に叉反の胸元で、小さな爆発が起こった。衝撃に体が吹き飛ばされる。あっという間に壁に叩き付けられたが、頭がぼんやりして痛みなど感じない。明確なのは、攻撃を受けた胸元の痛みだ。たちまち血を吐いた。量が多い。吐血のせいで眩暈がし、息を整えようとするが上手くいかない。


 P9Rは、まだ右手の中にある。

「あー、すげえ威力だな。銃も壊れたんじゃねえのか」

 耳もやられたらしい。耳鳴りの中、小さく聞こえるが、覚えのあるノイズ混じりの男の声が頭上から降ってくる。

「は、がくれ……」


 呟き、そのせいで咳き込む。呼吸が満足に出来ない。力も、入らない。

 足が近付いて来る。二本の黒い足。ゴクマのフュージョナー。

「さすがに今のは効いたろ。ええ? 見ろよこれ、マジでぶっ壊れちまいやがった」

 目の前に大きな鉄の塊が音を立てて落ちる。デザート・イーグル。銃口からフレームの半ばにかけて(ひび)が入っている。排莢口からは、排出に失敗した薬莢が破裂した状態で引っ掛かっていた。おそらく、発射薬の量を過度に増やしたのだろう。


 破隠の複眼がこちらを睨む。と思いきや、左手が伸びてきて叉反の顔を掴んだ。

「生きてやがったか、探偵。まあ、部下共で殺せるかって言ったら微妙なとこだったけどな。まさか団体さんを引き連れてここまで来るとは思わなかったよ」

 指先に力が入る。頬骨を強く圧迫される。歯を食いしばって耐えた。


 この左手は貫いたはずだ。つい数時間前、ランガムホテルのヘリポートで。

「痛かったぜえ、てめえの針は。でも俺の体は特別製でな、胴体でもぶった切られない限り、大抵の傷は治しちまう」

 破隠の腕に力が込められる。大柄で、人並み以上の叉反の肉体が、軽々と持ち上がっていく。


「知ってるかどうかは知らねえが、生命の危険に冒されたフュージョナーは普通じゃ考えられない速度で傷が治癒する。回帰症で起こる体細胞変異の仕組みで、体を健康な状態にまで〝回帰〟させてるってわけだ」

 顔から指が離される。同時に体が浮遊する。一秒とない時間で、叉反は床に放り捨てられた。


「ぐっ!」

 床で胸を打った。咳き込めば、また血を吐き出す。

「俺の体は、その治癒力が常人の三倍強い。やろうと思えばコントロールする事も出来る。九ミリくらいなら、てめえみたいなダセえチョッキはいらねえんだ」

 頭に固い感触がした。本当に、ここ最近で何度目になるだろう。


「てめえにしろ深田にしろ馬鹿な野郎だ。そもそも関わらなきゃいい事に首突っ込みやがって。俺らよりよっぽど頭がおかしいぜ」

「……深田さんは」

 痛みを堪えながら、叉反は言った。

「まだ生きてるさ。拷問も何度かしてやったが、相変わらず口を割らねえ。そこだけは大した野郎だよ」


 わざとらしく撃鉄を起こして、破隠が続ける。

「なあ、最期に教えてくれ。なんで死ぬような目に合うのに俺達を追って来た? ゴクマに攫われた時点で警察の仕事だろう。なんで探偵ごときが追って来たんだ」


 警察が動いてるのに、探偵がしゃしゃり出てどうするのさ。

 仁の言葉を思い出す。しゃしゃり出た。確かにそうかもしれない。だが、見たのだ。事務所にやって来た彼女の顔を。その娘を。


 ――助けて、頂けませんか――


 彼女が頭を下げる。

 ――大事な人が、行方不明になってしまったんです。昔、悪い事をしていたせいで、警察には頼れません。でも、今は立派になったんです。どうか、お願いします。助けて下さい。

 力を貸して下さい。

 探偵さん。


「依頼を受けたからだ」

「……ああ?」

 破隠に虚が生まれたその瞬間、叉反は動いた。相手の股間に掌底を叩き込み、銃口が外れた刹那に胴体目がけてP9Rの引き金を引く。計五発の九ミリ弾を受けた破隠の体が衝撃で後ずさり、崩れ落ちる。


 立ち上がって、その手の銃を蹴り飛ばし、叉反は破隠に銃を向けた。

「探偵が動く理由なんていつも一つだ。依頼人の依頼を引き受けた。それだけだ」

「しゃらくせえ……真似を……」

「減装弾だ。それに、九ミリくらいならチョッキはいらないんだろう」

 言い終えた途端に咳き込みそうになる。喋るとまだ胸が痛む。早々に決着をつけなければならない。


「深田さんはどこだ」

「……は、甘えよ!」

 一瞬の動作で、後ろに伸びた破隠の手に拳銃が握られていた。立て続けに引き金を引く。二挺分の銃声が廊下に幾重にも響き交錯する。銃弾を食らう度に衝撃が体を揺さぶり、残弾を撃ち尽くすかのような連射は同時に終わる。体が崩れる。痛がる暇はない。破隠の右手が動く。銃床が来る。咄嗟に左腕で庇う。次の瞬間、鳩尾(みぞおち)に岩のような拳が入る。一瞬、全身から力が抜けた。右手が払われ、P9Rが弾き飛ばされる。


「ふん!」

 銃床が額を打つ。何度も。銃ごと左頬を殴り飛ばされ、すかさず破隠が飛び掛かってくる。

 蹴り足が出たのは本能的な反応だ。奴の下腹目がけて左足を蹴り入れ立ち上がる。破隠が銃を捨てていた。お互い無手だ。


 拳の勝負だ。より速く、より多く、より強く。倒れる事が許されない、最短距離での殴り合い。防御も回避も出来なかった。全ての動作を攻撃に費やし、拳を繰り出す。打拳。打拳。打拳。ストレートの構えが見えた。奴の頬に照準した。

 突き抜けるような一撃が、お互いの頭部を捉えた。


「ぐうぅ……」

「っ……」

 動作を止めたくはない。今途切れてしまえば、意識さえ消えてしまう。それは死を意味する。

 キン、キン、と金属が床に跳ね返る音がした。破隠の吐息に笑みが混ざる。

 信じられない事だが、相手の体から銃弾が出て来ていた。銃創が肉で急速に塞がり、体の銃弾を押し出しているのだ。


 破隠が構える。体調は悪くないらしい。叉反もまた構えをとる。終わりまでやる。どちらかの命が尽きるまで――……。

「ボス!」

 女の声が廊下の向こうからしたのは、その時だった。さっき破隠の傍にいた女だ。駆け寄ってくる。薄手のコートを着て、手に持っているのはショットガンだ。

「来るんじゃねえ」


 破隠が凄む。怯んだ様子もなく、女は足を止めて言う。

「準備が終わった。船に乗って」

「……ちっ。時間切れか」

 舌打ちした破隠が、ゆるやかに構えを解く。

「どういう事だ?」


「残念だが探偵、ここでお別れだ。俺には次の仕事が待っている」

「逃げる気か」

 女がショットガンを構える。その銃口が叉反を牽制する。

「終わりなんだよ。計画書が手に戻らなかったのは残念だが……まあ、いい。当てはある」


 興味を失ったかのように、破隠は背を向けた。

「あばよ、探偵。殴り合いは久し振りだったぜ」

 ショットガンが叉反の胸元を狙う。この距離では躱しようがない。どう動こうと散弾は確実に叉反の胴体に着弾する。そして、向こうは撃つ事を決して躊躇わない。


 万事休す。腹をくくった。望みがあるとすれば、せいぜい正面に突っ込んでどうになるかどうか、というくらいだが……。

「――いいや。さよならにはまだ早い」

 新たな声が聞こえたのは、その時だった。

 黒い突撃銃が、ショットガンを構えた女に向けられていた。黒のスーツを身に纏った男が、いつの間にか傍に立っていた。


「〝亡霊(ゴースト)〟……」

「ふん。これはこれは」

 破隠が感心したように向き直った。

「噂の〝亡霊〟のお出ましとはな。優男の仇でも取りに来たのか?」

 破隠の言葉に、〝亡霊〟は顔色一つ変えなかった。


「なるほど、事務所を襲ったのはお前らか。昆虫野郎に拠点を吹っ飛ばされるとは……。うちのボスも焼きが回ったかな」

 女が息を飲んだ。亡霊〟はふっと笑った。気色ばんだ女を破隠が制した。

「ゆっくりお話してえが、もう時間がねえ。深田ならその部屋の奥だ。連れて帰るんだな」


「どういう風の吹き回しだ。あれだけ連れ回した深田を置いていくとは」

「こう見えて俺は忙しいんだ。いつまでチンピラや探偵と遊んではいられねえ」

 破隠がそう言った時だった。突然、大爆音と共に、建物が大きく揺らいだ。叉反と〝亡霊〟に緊張が走った。廊下の小さな電灯が明滅している。


 揺れはほどなくして収まった。だが、廊下には嫌な気配が漂い始めていた。暗雲がもたげ始めたような、嫌な気配が。

「潮時だな」

 破隠が呟いた。

「じゃあ、俺達は行くぜ。二度と会う事はないだろが、せいぜい生き延びるんだな」


 言って、破隠は悠然と踵を返し、廊下の向こうへと歩き出した。動く事は出来なかった。女のショットガンがまだ叉反達に向けられていた。

 二人の姿は、すぐに廊下の闇へと消えていった。その時になって、もう一度爆音が鳴り響き、建物がぐらぐらと揺れた。

「建物ごと俺達を処分する気か」


 〝亡霊〟が言った。叉反はP9Rを拾い、ポケットに差し込んだ。それから〝亡霊〟に向き直って言った。

「助かった」

「礼はあとだ。とにかく深田を連れて逃げよう」

 叉反は頷き、〝亡霊〟と共に会議室へと踏み込んだ。

 建物は、微かに震えていた。


       7


 深田は会議室の奥にある小部屋に閉じ込められていた。憔悴し切って、ほとんど立てる状態ではなかったが、よく見ると顔の痣や傷が治り始めている。生命の危機に瀕した際の、急速回復が起こっている。

「いい状態じゃない」

 〝亡霊〟が苦み走った口調で言った。同意見だ。いくら傷を治すとはいえ、これは回帰症の症状なのだ。起こって欲しいものではない。


 深田の体を背負い、会議室を出る。震動は未だ続いている。突撃銃を構えた〝亡霊〟に続いて、廊下を進む。

 三度目の爆音がした。天井の破片がいくつも落ちてきた。壁には亀裂が走り、時間がない事を無感動に知らせていた。

「急ごう」


 淡々と言って、〝亡霊〟は走り出した。深田を背負い直し、叉反もそれに続く。途端に、不可解な音が床下から聞こえてきた。岩が転がるような耳慣れない音。

 崩壊が始まったのだ。

 崩れる音は次第に大きくなっていった。階段を駆け下りて三階に出る。そのまま真っ直ぐに駆け下りようとした時だった。

「来るな!」


 鋭い叫びと共に、〝亡霊〟が突撃銃の引き金を引いた。その前に立ちはだかっていた男達が呻き声と共に倒れた。胸に数発ずつ。突撃銃の弾が減装弾かどうかは知らないが、男達はぴくりとも動かなかった。

「まだ残っていたのか……」

 〝亡霊〟の呟きを聞きながら、叉反は前に進み出る。


 軽く、呼吸を忘れた。

 男達の顔には見覚えがあった。忘れるわけもない。ついさっき撃ち合いをしたサブマシンガンの男と、その部下の若者だった。瞳孔が開き、どこか呆けたような顔で、胸から血を流している。

 死んでいた。若者も、サブマシンガンの男も逃げなかったのだ。命令か、さもなくば自分の意志か。それはわからないが、結果彼らは死んだ。


「何している。行くぞ」

 〝亡霊〟が言った。人を殺した事への感情など一切見られなかった。当たり前だ。武器を握るというのはそういう事だ。武器は殺しのためにある。それが刃であれ、拳であれ関係ない。銃ならばなおさらの事だ。殺さずに済ませる事も出来るが、結局殺してしまったほうがいい。殺した相手は決して追って来はしない――。


「おい。探偵」

 苛立たしげに〝亡霊〟が言った。叉反は頷いた。ああ、と言ったつもりだったが声にはならなかった。

 足音が聞こえてきたのはその時だった。〝亡霊〟が咄嗟に銃を構えた。階下から二人、廊下から二人。サブマシンガンを持って迫ってくる。

「走れ!」


 敵だった。突撃銃が火を吹いた。瞬く間に階段の二人が倒れる。叉反は二階へ向けて走り出した。背後でまた銃声がした。撃ち合いにはなっていない。〝亡霊〟の銃弾は、撃たれる前に確実に敵を殺している。

 二階に着いた途端に銃声が頬を掠めていった。目の前に男が拳銃を構えて立っていた。大柄の男。デザート・イーグルを持っていた男だ。今、その手に握られているのはイーグルより小さかったが、叉反を撃つには充分だった。


 階段へ飛び退く。男の引き金が引かれる。一発だけチョッキに突き刺さる。この防弾チョッキももはや限界だ。男が叉反に照準する。銃声が響いた。後方から。

 男の巨体がばたりと床に倒れ込んだ。花が咲いたように、胸元に大きな赤い染みが出来ていた。

 〝亡霊〟は何も言わず、辺りの様子を確認する。と、上の階と廊下の奥から、また足音が聞こえてきた。数が多い。どちらにも人数がいるようだ。


 他に道はない。一階への階段は叉反が昇ってきたものしかなさそうだ。ならば、廊下を抜けるしかない。

「深田を下せ」

 〝亡霊〟が固い声で言った。

「俺は廊下のほうをやる。お前は階段の奴等を始末してくれ」


 叉反は答えずに深田を下すと、柱の影にもたれかけさせた。ハイ・パワー・マーク3を抜き、構える。

 一瞬だけ瞑目する。迷っている暇はない。

 敵の姿が見えた。その瞬間、自分の中で全てが切り替わった。引き金を引いた。現れた標的は三人。呼吸を読まれたかのように、それらが一斉に散開する。三発の銃弾は壁に食らい付いたに過ぎない。反撃が来た。叉反は走り出した。銃声が嫌に鮮明に聞こえる。


 接近して、確実に当てる。三連続立て続けに引いた。一番手前の男が倒れた。

残り二人がすかさず下がり、叉反はその後を追う。一人の膝を撃ち抜き、崩れ落ちたところを撃つ。一人の肩を破壊し、その衝撃で踊るような背中を撃つ。


 敵は次々と来た。残弾をカウントしながら、叉反は冷静に彼らを撃ち続けた。魂が戦闘の場から離れ、ただ体が自動的に動いているかのようだ。階段の影に隠れながら撃ち続け、足元に転がった拳銃を拾ってはまた撃つ。崩壊寸前のビルの中に、これだけの人が残っているのは驚きだ。たとえ死んでも、叉反達を足止めする気なのか。

 硝煙と銃声がべったりと体に張り付く。時間経過を忘れる。銃弾を避け、撃ち続ける――


 気付いた時には、撃ち合いは終わっていた。目の前にも、後ろにも、人が倒れていた。

 殺さずに済ます事は出来る。努力すれば。そのための技術も磨いた。

 だから急所は外すように撃ったはずだ。

 だが、彼らが生きているかどうかなど確認したくない。

 その覚悟が、叉反にはない。


「終わったか」

 気が付くと、〝亡霊〟が深田を背負って後ろに立っていた。息をつき、叉反は頷いた。

「行こう」

 〝亡霊〟は駆け出した。叉反は黙ってその後に続いた。



 建物を抜け出すと冷たい夜気が頬に吹きつけた。叉反は走った。建物はいつ崩壊するかわからない。心が麻痺したのか、それ以上の事が考えられない。

 建物がかなり遠くなった時、突然、何かが豪快に砕けるような凄まじい音がした。振り返れば、倉庫の管理会社だったビルがまさに崩れ落ちたところだった。さっきまで撃ち合いをしていた場所は、一瞬で瓦礫の山になった。銃撃によって死体となった者達も、もしかしたらまだ生きていたかもしれない者達も、瓦礫の下敷きになっていた。


 いや、生きていたかもしれないなどと、言う資格はない。自分は撃った。生死を確かめず置き去りにした。建物はいつ崩れてもおかしくなかった。立ち上がれなくなるほどの銃撃を受けて、助かる道理はない。

「ひとまず、生き延びたな」


 〝亡霊〟がぽつりと言った。銃を出せ、と言うので空弾倉と一緒にP9Rを渡した。ハイ・パワー・マーク3は、銃撃戦の最中に捨てた。マーク3の元の持ち主が瓦礫の中であろうと、そもそも〝亡霊〟が彼を撃ち殺していようとどうでもいい事だ。それ以上は考えないようにした。ポケットの中をまさぐるとフィリップ・モリスがライターと一緒に入っていた。以前このスーツを使った時に買った物だ。機械的に一本を取り出して銜え、火をつけた。〝亡霊〟があれこれ指示を飛ばしているのを背に、少しその輪から離れて海のほうへ行った。


 暗い海は少し荒れているようだった。風は冷たく、周りには波の他何も見えない。破隠達が乗った船も、見当たらない。銜え煙草のまま、叉反は紫煙を吐き出す。灰が、ぼろぼろと風に巻かれていく。

 短くなった煙草を、携帯灰皿に押し付ける。音が鳴るまでしっかりと蓋をして灰皿を仕舞う。


 海は、相変わらず荒れている。激しい波音。飛び散る飛沫。磯の匂い。

 内情がどんなに変化しても、この国らしい景色に変わりはなかった。叉反は海辺育ちではないが、それでもこうして見る港の風景はこの国だけの物だ。どんなに無骨で、造りとしては他国と大差なかったとしても、この風景は固有の物だ。


 だが、あの内乱以来、この国には銃が出回るようになった。海外との闇ルートがいくつも造られ、今もまだ断たれてはいない。非合法ではあるが、相応の金さえ払えば民間人でさえ容易く銃を握れる国になった。場合によっては、ヤクザよりも一般人のほうが、より精度の良い銃を持っている可能性だってあるのだ。


 そうなってからは、国の銃に対する捉え方も変わった。専門家を何人も招き、銃に対する法律を変え、抵抗力を作った。長期間に渡って訓練を受けた者、国家が管理する組織に所属する者、条件付きだが、かつて所属していた者など、審査をくぐり抜け資格を手に入れた者は銃を公的に持つ事が可能になった。

 叉反の師も、資格を持つ一人だった。怜悧で、正確で、そして容赦がなかった。

殺意を持って自分の前に立つ人間は迷う事なく撃った。そういう人だった。


 ――銃で人を殺さない方法は一つしかない。撃たない事だ。そして、もし撃つ事が避けられないのであれば、可能な限り急所を外す事だ。正中線を避け、内臓を避け、肩や足を狙って行動を封じる――

 理想論、いや質の悪い妄想だ。そう言われても仕方がない。だが、師匠はその腕を上げろ、と言った。銃を持ちながら人を殺したくないのならば、そうするしかない、と。


 結局、俺は人を殺した。間接的だったか直接的だったか、今となってはもうわからない。確かめる事を怖がったからだ。だが、どうであれ死の一因を作った。その事実からは、決して逃げられない。

 煙草を取り出した。銜えて火を着けようとした。風のせいで、ライターの火はなかなか着かない。何度か擦って、ようやく煙草に赤い火が灯る。


 後方で足音がした。誰が来たのか、見当はついた。

「一本くれないか」

 〝亡霊〟だった。暗がりだが、顔はわかった。フィリップ・モリスを引き出すと、自前のオイルライターで火を着けた。

 二人で黙って煙草を吸った。フィリップ・モリスの甘い匂いが漂っていた。

「人が死ぬところを見たのは初めてか」

 しばらくして、〝亡霊〟が言った。紫煙が風に流されて消える。

「……いいや」


 叉反は答えた。

「人を殺したのが、初めてだ」

 返答はなかった。〝亡霊〟は頷きもしなかった。煙草の灰を叩いて落とした。

「この先、お前はナユタまで深田を送り届けなくちゃならない。一人でだ」

 構わない。別に驚きはない。彼らがいつまでも手を貸してくれるはずがないからだ。


「ついさっき連絡があった。昼間捕えられたゴクマの一人、あれが病院から脱走したそうだ」

「……レインコートのフュージョナー?」

「そうだ。名前は嵐場(らんば)(みち)(かげ)。まあ、これはリングネームだがな。元、裏格闘技界のチャンプだよ。回帰症がひどくなって引退、行方を眩ませたあとはゴクマの用心棒として雇われていたらしい。具体的にどういう活動に関わったのかは不明だが」


「どこからの情報だ」

「俺はこれでも友人が多い」

 あくまで情報源を話すつもりはないようだ。

「情報通りなら、嵐場はかなり忠誠心が強いようだ。回帰症で錯乱しているとはいえ、おそらく与えられた命令を果たしにやってくる。計画書を奪いにな」

「こちらの場所は知りようがないはずだ」


「勿論だ。だがゴクマの目はどこで光っているかわからない。昆虫野郎は諦めたような口ぶりだったが、信用は出来ない。お前には最後まで深田を守り切る力が必要になる」

 煙草を捨て〝亡霊〟が手に持っていた物を掲げて見せた。FEGモデルP9R。

「薬室も含めて、弾は入っている。弾倉も三つ用意した」

「襲撃者は、殺せと?」


「必要とあらばそうするしかない。お前も深田も、生き延びなくちゃならない」

「他人の命を犠牲にしてもか」

「そうだ。お前だってわかっているだろう、この国が未だに戦場だって事は」

 戦場。確かにそうかもしれない。誰もが銃を隠し持ち、己の主義や使命や、自衛のために引き金を引く時代だ。内乱が終わっても、新たな街が出来ても、変わってしまったものはそう簡単には戻らない。


 業。

 ふとそんな言葉を思い出した。武器を持つ者が常に覚悟しなければならない、自らが背負い得る十字架。

 ついに、背負ってしまった。

 紫煙を吐き出し、灰皿に煙草を入れて蓋をする。いずれ火は消える。


「俺は探偵だ」

 ようやく、叉反は言った。体は重く、鉛が伸し掛かるかのようだ。

 だが意志を決める事は出来る。

「依頼を受けた以上は、生き延びる。依頼を果たすために」

 P9Rを〝亡霊〟の手から取る。差し出された弾倉三つをマガジンポーチに仕舞う。


 暗闇で波が弾けている。

「行こうか」

 〝亡霊〟が言った。

「最後の一仕事だ」


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