完璧主義者の失態1
日はやや傾いている。窓からは気持ちの良い風が吹いている。
5月下旬、体育祭を1週間前に控えた一葉高校のグラウンドからは相変わらず活発な声が響き、向かいの校舎からはダンス部だろうか、何やらやかましい音楽がする。俺は参加しないが、うちの体育祭では3年と希望者が応援演技として創作ダンスを披露する。きっとこの音楽もその演技の練習なのだろう。
依然として、ボロボロで少し小さい黒板には『議題、都市伝説を作ろう。』という文字が躍る。
律はむー、と茹だりながら何やら考えている。咲夜も教室を見回して考えてるような素振りを見せる。
俺は考える気などさらさらないので文庫本に目を通す。
今日も読書が捗る。この本はあたりだな。単調ながらも、少年少女の心情が綺麗に表現されている。 クライマックスに差し掛かっていて、そのうち、最早、周りの声などほとんど聞こえなかった。
どれほど時間がたっただろうか。いや、文字の世界に引き込まれていたから気づかなかったが、本当はそんなに時はたっていなかったと思う。
ふと顔を上げたとき、不意に咲夜が呟いた。
「そういえば、明日は委員会できませんね」
俺と律は顔を合わせる。今日は木曜日。明日は休日でもなんでもない。行事の連絡もなかった。
「え? なんで?」
「どうしてって、二人とも聞かされてないのですか?」
律の問に咲夜が首を傾ける。
俺と律は同じクラスだが、俺も聞かされていない。
「サト、そんな連絡あった?」
「いや、なかったと思うが」
「伝達ミス……ですかね?」
「いや、それはないと思うぞ」
「そうよね」
「え、どうしてですか?」
「俺らの担任、神田なんだ」
「あ、なるほど」
神田弘之は数学の男性教師だ。確かJ組の咲夜のクラスも担当しているのを本人が言っていた。
神田は潔癖なほどの完璧主義者で、自分のミスを許さない。しかしながら、固い性格ではなく、割と緩い感じの人だ。それゆえ、生徒からの信頼も厚い。
「神田さんがミスなんてねー、いままであった?」
「いや、わからん。でも珍しいな」
「神田先生が……」
皆が理解に苦しむ。
それはそうだ、完璧主義者なゆえに、授業やホームルームは機械的に行われる。ホームルームでは必要最低限のことしか連絡しないし、今まで伝達ミスなんてのもなかった。
「そういえば、明日はなんで部活ができないんだ?」
話を戻す。正直、先の話に神田の話は特に関係ないと思った。
「明日は、急遽体育祭関係の集まりが入って、午後からは授業がないんですよ。それに部活動は原則行えないと」
「え、そうなの!?」
そんなことは初耳だ。しかも、それはかなり重要な伝達ミスだ。神田でなくても絶対に忘れてはいけない報告だろう。
「それはまずいな……とりあえずSNSで皆に知らせとく」
俺は携帯を取り出して、まず身近な人間にその連絡を知っているか訊く。
2年になってから最初に親しくなった守野拓に訊いた。確かテニス部だったからその件については知っているはずだ。
数分たって返事がきた。『その話はクラブの連中から聞いたけど、神田、そんな話してたか?』と書いてある。やはり神田は連絡をしていなかったようだ。
そのあと、クラスのグループチャットというのにその件について書いた。これで明日は大事にはならないだろう。
「しかし……」
「不思議ね」
言葉の次を律が取った。
やはり、皆思うことは同じようだ。あの完璧主義者が何故そんな失敗を犯したのか。
人は誰しも失敗する。よくそんな気休めを聞いたことがある。しかし、それは神田弘之には当てはまらない。
嫌な感じがした。ただ、人が1つの連絡を忘れただけであるのに……。
「これは、まさに……」
少し大袈裟かもしれない。表現は的確でないのかもしれない。ただの思い込みかもしれないし、単なるうっかりだったのかもしれない。だからこそ、逆に適切であると思う。
「都市伝説だな」
日はもう落ちようとしていた。
2に続きます。