確かに勇者で巫女だけど、それ違うから。
空が薄っすらと明るくなり、鳥たちが囀り始める。
冷たく澄んだ空気は巫女装束を着込んだ身にはちょうど心地良く快適だ。
鮮やかな紅葉も目を楽しませてくれるが、落ち葉をかき集めて焼き芋をするのが待ち遠しい。なんて俗物なことを思いながら私は毎朝のお勤めとして神社のご神木へと続く道を竹箒で掃いていた。
フラッシュのような光が一瞬視界の端に映る。
うぅ、目がしぱしぱする。
境木家が代々継ぐ神社は朱塗りの欄干や浮橋など風流な光景も誇っており、写真を撮る人の姿も多く見かける。なので珍しくは無いとはいえ、やけに眩しいフラッシュだった。
未だに白く残像が残る目を擦って私は光源に首をめぐらした。
ご神木の傍らに立つのは、剣を手にし濃紺の服に青いマントを羽織った黒髪の若者。
金色の繊細な刺繍や肩章は煌びやかで、目を伏せた立ち姿はどこかの王子か貴族かといった風体だ。神域の中にあっても分かる何か力を秘めた空気と淡い光に包まれている。
…………えっと? これは何かの間違い?
竹刀に道着か学生服であれば同じ高校で見知った姿なのだが。
私はもう一度目を擦った。
だが、何も変わらない。
ど、どうしたら良いのかしら? ここは見なかったふり?
動揺した私が背を向ける間もなく彼は目を開けた。そして、ばっちり視線が合ってしまう。
すっと確かめるように細められたかと思えば、瞬き、大きく見開かれた彼の瞳。見てはいけないものを見てしまったというような、幽霊でも見たかのような表情。
いや、私のほうこそ見てはいけないものを見てしまったよね? これってつまりアレでしょ? コスプレでしょ? まさかの。
彼の、薄く開いた唇が微かに動く。
「ミ、コ?」
えっ、愛称呼び!?
昨日まで境木さんだったのに!?
「本当に、君か?」
彼も隣のクラスの女子に見られてしまった痛恨のミスに動揺しているのだろう。だが安心して欲しい。私の口は固い。
「風峰くん、だよね?」
大丈夫このことは誰にも言わないよと口を開きかけたけど、端正な顔をくしゃっと歪めた彼に私は言葉を失う。
まるで泣き笑いのような、心底安堵したような、それでも後悔しているような縋り付く熱い眼差し。
「良かった、生きてたんだ」
彼の中で、私に何が起きていた!?
誤報かタチの悪い冗談でも聞いたのだろうか。「本当に良かった」と掠れぎみに彼は呟いて、駆け寄って来た。かと思うと腕を伸ばしぐっと私をその胸に抱き寄せる。
「俺は、君を失ってしまったのかと……」
首にかかる息がくすぐったい。肩に頭を埋められ、私は身じろぎする。
な、何コレ!? どうしてこうなった!? 混乱で目が回りそうになる。ちょ、止めてください。首は弱いんです。
「ミコ……。美琴」
頬を優しく手で包まれる。
艶めいた吐息が落とされ見上げると、至近距離で見つめられ、私は息を止めた。心臓がさっきからずっと高鳴っている。だって仕方がないよね!? 綺麗な顔が目前に迫って居れば顔に熱も集まる。息苦しいのか胸が切なく苦しいのか分からずとにかく予想外の出来事に硬直してしまう。
そんな私を風峰くんは揺れる瞳で見下ろす。
つつつっと唇を指でなぞられ、肩がぴくりとはねた。
甘く何かを期待するようなその感覚、ふっと口元を緩めた学校では見た事もない表情の彼、処理しきれない色んな感情が押し寄せて頭が白くなる。
箒を手放し、彼の胸にどんっと手をついた。
突き放すように一歩下がる。
何てな状況だ。有り得ない。
スキンシップ過多にも程があるだろう。
これじゃあまるで、彼は私のことが好きみたいじゃない! いや、違うのは重々承知してますよ? じゃあこれは色落とし懐柔作戦!?
「あの、落ち着いて!? 誰にも絶対に言わないから!」
ビ・クール。カームダウン。自分も落ち着け。
彼に手のひらを向けて私はどーどーと宥めるような仕草をする。というかまずは謝ろうか? 破廉恥な真似をしてすみませんと。
「……なんのこと?」
片眉を跳ね上げ首を傾げる彼に、私の方が首を傾げたい。
一歩彼が踏み出して来たその近すぎる距離。親密過ぎて私はまた一歩退く。ちょ、近い近い。それなのに大股で詰めてくる彼。
「……まさか、覚えてないのか?」
「え? 何を?」
後退る私を何故か呆然と見る風峰くんは、私の返事に傷ついたように息を飲む。それから首を振り、じっと物言いたげな目で見据えてくる。
そんな哀れみを覚えるような目で見られても、思い当たる事はありません!
逃げ出したい雰囲気を感じたのか、彼は私の手を取る。うぅ。
そして大切な秘密を打ち明けるように、ゆっくり、一つ一つの言葉に重みをもって告げた。
「驚かないで聞いてくれ。俺は、異世界で勇者をしていたんだ。そして、君は神子だった」
……。
頭、打った!?
いや、苦し紛れの言い訳か冗談か?
「えーと、うん。風峰くんは剣道部の勇者で、私は神社の巫女だね」
あえず無難に肯定しておいた。事実のところだけ。でもやっぱりここは笑い飛ばすところだったかしら。
だがそういう意味じゃないのだと彼は首を振る。
「いや。そうだけど、そうじゃないんだ。……ここではない異なる世界に、俺達は魔王を倒すために召喚されたんだよ」
私にどう反応しろと!?
言い訳ではなく、ごっこ遊びへ強制参加させたいのか。真剣な眼差しはからかっている様には見えないけど、どうしよう?
「美琴」
眉尻を下げて訴えかけるように名前を呼ばれると、胸がざわつく。
まるでこっちが悪者みたいじゃない。
取られた手は握り返すことも解くこともできず、ぎこちなく伸ばされたまま。指先だけがどうしようかと迷って不規則に動く。
でもそんな手を奪い取るように力強く後方に引き離され、私はたたらを踏んだ。
「美琴おいで、危ない人と関わっちゃだめだよ」
凛と響く澄んだ声。
手を引いたままそんな私の肩を支えたのは白衣に浅葱の袴を着た少年。真央だ。
「まお……!? どうしてお前がここに!?」
纏う空気をがらりと変え、風峰くんが鋭い眼差しを真央に向ける。
あれ? 学年違うけどお知り合いですか?
「それはこっちのセリフさ。どうして『勇者』がここに居るわけ?」
嫌そうに眉を寄せて目を細める真央。だが返答なんて聞く気もないらしく落ちていた竹箒を拾って私を引き連れ歩き出した。
「ほら美琴、さっさとお勤めを終わらせよう。美琴が遅いと僕の仕事が増えるじゃないか」
おい弟よ。お姉さまとお呼び。相変わらず小生意気だな。
「何回も言ってるでしょ、お姉ちゃんを呼び捨てにしないの!」
はいはい、と軽く受け流されてしまう。幼少のあの日、何があってもずっと味方だよと宣言して以来、私は分かりやすいように彼に愛情を示している。
なのにお年頃になってから弟は冷たい。姉の愛を再認識させようとがばっと手を広げてハグしようとした。ら、おでこを人差し指で押され拒否された。む、反抗期か。
「弟?」
「……だったら、何?」
探るような風峰くんの声に反応して、真央が振り返る。
男二人の間で隙のない視線が交錯する。言葉もなく目で語り合っているのだろうか。
それにしても今朝は驚いてばかりだ。
我が春日高校には万年弱小剣道部を全国大会へと導いた救世主が居る。二年の春になって転入してきた彼は、文武両道で優しく気さくな人柄で老若男女問わず人気者。しかも鍛えられた身体はすらっと背が高く切れ長の涼しい目元が印象的な爽やかイケメン君でもある。
そんな彼を思春期の多感な学生達は放っておくはずがなく、風峰勇という名前にもちなんで憧れと尊敬とちょっとしたからかいの念を込めて『勇者』と呼んでいる。だが真面目な優等生でもある彼はそんな周囲からの扱いに驕ることなく至って模範的だ。常に微笑を浮かべ人の輪の中心である彼は教師陣からも評判がよい。
なんだそれ。どんだけ完璧なの。
クラスは違えど同じ学年で時々交流のある彼に私は黄色い声援を送る事は無くただ大変そうだなぁと傍観していた。
だがたった今、真央と睨み合うように不快な感情をのせたその視線も、不可思議な言動も様々な感情溢れる表情も、学校での完璧模範優等生の様が崩れている。
そっか、そんな表情もするんだ。
私はそっちの方が好きだけどなぁ。
どうやら風峰くんは皆に内緒で妄想逞しく勇者になりきっているようだ。
それを見られた恥辱の言い訳なのか本当に異世界で勇者だったのか私はどっちでも良いんだけど、だた、巻き込まないで欲しいかな。
それに、好かれてると勘違いしてしまいそうなあのスキンシップは改めた方が良いと思う。
彼って、そんな人だったっけ?
そして翌日、『勇者』は『魔王』と呼ばれるようになっていた。
えっと、何で?