92.意外な結末
参ったな、というのが正直な感想だった。鑑定のためとはいえ、二体同時に倒せというのはあんまりだ。しかも、二つの魔法を同時に使うという制限付き。
組み合わせも悪い。全長五メートルはあろうかという雷鳥は上空で羽を広げ、雷をほとばしらせながらこっちを覗っているし、岩オオトカゲの方は普通乗用車並みの大きさで、吐息を漏らす度に口から炎を噴き出している。
ドリスが言うように、確かに竜化すれば難なく倒してしまうんだろう。けど、これは俺の実力を測る試験。どうせなら自分だけの力で何とかしたいところ。美桜もジークもAだというのだから、そこまで追いつきたいという気持ちはある。
剣を構え直し、作戦を練る。さて、どうすべきだ。
さっきの砂漠狼とは違い、近づくだけで自分が被害を受けかねないわけで。となると、接近戦は避けなければならない。なるべく距離を取りつつ、防御も考慮しながら攻撃しなければ。
考えていたのはほんの少しの間だった。
だが、相手に攻撃の隙を与えるには十分だった。
巨大な鳥は雷を蓄えながら滑空し、俺に迫った。風圧とそこに含まれた電流は、軽装備の俺をいとも簡単にはじき飛ばし、痺れさせた。草地をバウンドし転がる。受け身をとってはいたが、かなりの衝撃だ。直接触られたわけでもないのに、さっきの砂漠狼とは偉い違いだ。
顔を上げる。直ぐそこまで炎が迫っている――トカゲ、いつの間に。
咄嗟にシールドの魔法を張った。透明な盾が幾重にもなって火を弾く。火炎放射器並みの炎じゃないか、コイツ……!
確かにこれじゃ、一度に二つ以上魔法を操るでもしないと、倒せそうにない。かなりの技量が必要になるし、正確性や判断力も重要になってくる。鑑定と言うからには、死ぬようなことはないんだろうけども、本気で向かわなければ残念な結果しか得られそうにないな。
「凌殿、竜化は禁止しておらんのだぞ? 必要であればいつでも」
「大丈夫。これしき」
マシュー翁が心配して声をかけてくれたのはありがたいが、これくらいで音を上げてたんじゃ、かの竜には立ち向かえない。
雷を逆手に取るか。避雷針――剣に雷を蓄えて魔法剣のように扱ってみたらどうか。帯電しやすいよう剣に魔法をかけ、ゴム製の手袋などして感電防止に努めてみたら。剣の種類を変えるか。両手剣じゃなく、片手で扱いやすいロングソードがいい。
手元の武器が変わったのを確認し、もう一度立ち上がる。剣を掲げると同時に、また雷鳥が迫ってくるのが見えた。放電――今だ。
――“剣よ、雷を蓄えよ”
しっかりと魔法をかけたいときはやっぱり魔法陣が吉。刻んだ文字が光を帯び、魔法陣が刃を撫でるようにスライドしていく。
ズン……ッと、全身に衝撃が走った。雷鳥の雷は想定外に強烈。剣に吸い取らせようとしたのは良いものの、まともに浴びたダメージは半端ない。踏ん張り、奥歯を噛んで堪える。電流が身体を突き抜け、地面に吸い込まれていくのがわかった。大丈夫、まだ行ける。こんなことで死ぬなんてあり得ない、そう思い込む。思い込むことで本当になるのが“この世界”なのだから。
「馬鹿かッ! 悪人面! もっと考えて動け!」
ノエルが叫んでいる。
「こりゃ、口出しはするでない。じゃが……、確かに受け身だけでは鑑定が難しいじゃろう。どうにかして攻撃に転じねば体力が削られるだけじゃぞ」
「お気遣い、どうも」
結界の外で観戦している側からしたら、無駄な動きが多すぎだろうな。けど、どうにもこうにも戦い方がわからないんだから仕方ない。俺は俺でがむしゃらに動くだけだ。
帯電した剣を握り、構える。目標は岩オオトカゲ。雷を避けるようにして俺と雷鳥から離れていた、ということは雷が苦手? あくまで仮定だが、やってみる価値はあるか。
地面を蹴り、トカゲに向かって突き進む。さっきの反省も踏まえ、炎を避ける対策も講じねばならない。シールド魔法。常に自分の前にシールドが現れているようなイメージで。キャンプでドレグ・ルゴラと戦ったときも、この幾重にも連なったシールドが炎を防いだ。走りながらの魔法陣は難しい。イメージを高める。俺の前には薄くて見えないシールドが沢山ある。それをどんどん突き抜け、破りながら前へ進んでいくんだ。
パリンと、耳元で音がした。
身体が透明な薄いガラスに当たり、割れていく。当たったガラスは消え、又進行方向には新しいガラスの板が出現していく。
岩オオトカゲは俺の存在に気付き炎を噴射したが、透明なシールドはこれを上手くはじき返す。余裕だ。俺には当たらない。けど、このまま正面突破じゃ、また炎の餌食となる。上へ――、見えない階段を駆け上がり、岩オオトカゲの真上へ行くんだ。一歩一歩、階段を駆け上がる。徐々に高度が増す。
「一気に行くぜ!」
岩オオトカゲめがけ、俺は思いっきり剣を振り下ろした。電流を帯びた剣が、トカゲの背中を狙う。剣先を下に向け、自分の身体ごとぶつけるつもりで落ちていく。落ちて、落ちて、刃先が届き――。
折れた。
ゴム状の背中に弾かれ、俺は地面に放り出された。固い尻尾がぐるんと周り、はじき飛ばされる。
嘘、だろ。岩オオトカゲって、岩地にいる大きなトカゲって意味じゃないのか。岩ぐらい硬い皮膚を備えたトカゲ?
「クソがッ」
こんなのと戦って勝てだなんて、どうなってんだ。
もしかして、本格的に竜化しなければ勝てない相手だとでも言うのか?
確かにピンチの時には常に竜化していた気もする。俺一人の力じゃ、まともに戦えなくて、いつもテラに力を借りていた。昨日の巨人だって、竜化したからこそ勝てた。自分の意思で自由に変化できないのが悩みどころだが、してしまえば何だってできた。
俺の評価は竜と同化しているという部分込みでなされるはずだ。この世界を救うという使命を背負わされた以上、俺だってその期待に応えるべく努力はしてきたが、如何せん力の使い方がわからない。人に見られながら戦う、評価を受けるという心的要因が働いているとはいえ、上手く立ち回れていないのは事実。理想と現実のアンバランスさを見せつけることで、何かしらの打開策を見いだしてもらえるなら、もしかしてその方が得策、……か?
「し、仕方ない。竜化する。ちょっと時間をくれ」
肩で息しながら、俺はマシュー翁がいるはずの空間に顔を向けた。
「時間が必要なのか。仕方あるまい。魔物の動きを止めよ」
待たせるなんて、ホントの戦いじゃ無理なんだが、今は許されるのじゃないかと言ってみて正解だった。マシュー翁の指示で魔物が移動を止める。
「助かる」
礼を言って、俺はゆっくりと深呼吸した。
強く願えばとディアナは言ったが、早々簡単にできるものではない。今までも、本当にピンチになってからじゃないと竜化はできなかった。
頼むぜ、テラ。鑑定とやらにはどうしても力が必要なんだ。協力してくれよな。
目を閉じ、額に埋められた竜石に精神を集中して、竜の力を解放させる。自分の身体に竜の力が行き渡るのを強くイメージしていく。腕に足、身体。それから背中の羽も。
竜化さえできれば、あんな敵どうにでもなる。
それこそ、ランクもA以上確定に違いない。
竜の力……、解放。
俺は何度も強く願った。が。
「どうしたのじゃ、凌殿」
マシュー翁がいち早く異変を感じた。
「だ、大丈夫です。時間があれば」
苦し紛れに言ってはみたものの、全く力が解放されるようなイメージが湧かない。
どうした。昨日みたいにやればいいんじゃないのか。
思ってはみたものの、時間だけが過ぎていって、全く手応えがない。
「……ダメだと思うよ。昨日とは何かが違う」
そう言ったのはノエル。
何かが違う。それは俺も感じている。でも、何が違うかなんてさっぱり見当が付かない。
「気迫が足りない。昨日はあんなに鬼気迫っていたのに、今日は何だか緩い気がする」
緩い……? そんなつもりは。
おい、テラ。どうしてだ。どうして力を貸してくれない。
こんなこと考えても、返事の一つもないテラに届くかどうか甚だ疑問だが。一体どうして竜化できないんだ。
「中止、しますか」
ドリスが言った。
ここまでやったのに? 冗談じゃない。
「昨日は確かに竜化しておった。ドリスも見たじゃろう。モニカに呼ばれて駆けつけたときは、確かに竜化しておった。気を失うのと同時に竜化が解け、彼が噂の救世主なのだと知ったのを、忘れたわけではあるまい。竜化のためには何かしらの切っ掛けが必要だということなのかの。しかし……、このままでは面白くない。ハッキリとわかるのは、凌殿一人の力では、もしかしたら期待するほどの評価はできないかもしれんと言うことのみ。確かに、魔法陣や魔法、武器の出現は正確で淀みなく、身体能力も平均以上には優れておる。が、それが決定的に他の能力者や干渉者から抜きんでて秀でているかと言うと、そうは言い切れないレベルじゃ。上手く……竜の力を引き出すところを見せてくれれば、評価は変わるのじゃがな」
マシュー翁の淡々とした解析が、俺の胸に突き刺さっていく。
わかってる。わかりきってる。
それだけに、何一つ反論できない。
「最初から無意味だったと知るべきだ」
誰かの声が響き、俺はハッとして周囲を見渡した。
「人間が人間を評価する、ランク付けするという時点で、私はこのシステムに反対だった。実に愚かしい。こんなことのために何故協力しなければならない?」
結界の外、濃い霧の中から聞こえてきているというわけではなさそうだ。
どちらかというと、結界の内側。
待てよ。今、俺の口、動いて。
「何を言っておるのじゃ、凌殿」
やっぱり、俺の声だったのか。
でも、俺は何も。
「今すぐこのくだらない鑑定を止めろ。さもなくば、この施設を破壊する。勿論、以後干渉者協会などというくだらない機関には何の協力もできない」
俺の口が、勝手に何か喋ってる。
そんなこと、俺は微塵も考えちゃいないってのに。
「――装置を止めなさい」
ドリスが指示し、それに応じてパチンパチンと操作パネルを押す音が響いた。
周囲が元の薄暗い中庭に戻っていく。結界が解かれ、霧も晴れ、俺を囲むように立つ鑑定士らと、壁際で見守っていたマシュー翁、ドリス、ノエルとモニカの姿が露わになる。
「凌様、どうなさいました。我々の鑑定方法に何か不都合でも?」
かしこまってドリスは聞いたつもりのようだが、俺の口を動かしている何かは更なる怒りを覚えたらしく、俺の意思とは無関係に身体をドリスの方に向ける。
「方法云々の問題ではない。私はこのシステムそのものを否定していると言ったのだ。こんなくだらない方法で、力の底を測れるとでも? 滑稽な、実に愚かな生き物らしき考えだ。こんなことのために竜化を求めるとは、愚かしいにも程がある。悪いが、協力はしない。私の力は、かの竜ドレグ・ルゴラを倒すためのもの。干渉者協会などという低俗な機関に見せつけ、評価されるためのものではない」
「無礼な。いくら救世主という肩書きを持つお方であったとしても、協会に対して何という暴言を」
ドリスは怒りを露わにして吐き捨てた。
「落ち着くのじゃ、凌殿。そなたの言い分はよくわかった。儂が勝手に鑑定させて欲しいと言ったのじゃし、そなたの意見も何も聞かずに推し進めた儂の責任であることには間違いない。申し訳ないことをした」
マシュー翁が目を細め、額をシワだらけにして謝っている。
けど、違う。俺は、マシュー翁を責めたりは。
「救世主様……ではありませんよね?」
言ったのはモニカだった。
まさかそんなことはと、そこに居た全員がモニカに注目する。
「救世主様は、こんな言い方をしません。もっと優しくて、周囲を気遣ってくださって。私にはわかります。今、救世主様の身体を借りて話されているあなたは、一体、どなた様なのですか」
俺の口が、ニヤリと笑った。
再び、全ての目線が俺に注がれる。
「流石はモニカ嬢。凌のことを心底尊敬しているだけのことはある。その隣のノエル坊も、うすうす気が付いてはいたようだがな」
なんだよ、その“モニカ嬢”とか“ノエル坊”とか。
俺は二人をそんな風に呼んだりはしないぞ。
『文句は言うな』
言わない方がおかしい。俺の口で適当なこと喋りやがって。
『仕方がないだろう、モニカ嬢は君から見れば年上だろうが、私から見ればまだまだ若々しいのだから。ノエル坊に至っては、赤子と大差ないではないか』
は?
なんじゃそりゃ。
「残念ながら、私に名乗るべき名はない。私は常に主と共に。様々な主と出会ってきたが、私をこれほどに翻弄し、苦しませた人物は後にも先にも、この身体の持ち主、来澄凌以外には存在しなかった。彼は私をこう呼んだ。親しみを込めて。……テラ、と」
――テラ!
「金色竜……? まさか、凌殿の身体と同化した竜が、凌殿の身体を借りて話していると?」
余程の衝撃だったのか、マシュー翁はあんぐりと口を開けてよろめいた。ドリスとモニカが慌てて身体を支え、やっと立っている状態。大丈夫ですかと女性二人に気遣われても、マシュー翁は答えることもできず、目を白黒させている。
「力として竜を取り込んだというわけではない。共存させている……? そんなことが。一体、どうなっておるのじゃ」
「どうもこうも。私が眠りに就いていた間に、散々凌を弄んでくれたようだ。救世主などと持ち上げるのは結構、期待するのも結構。が、必要でもないのに力を見せろというのが気に食わない。私の力は見世物ではない。凌が渋々了承したのは、眠ったまま声の聞こえない私を心配してのこと。こうして私は再び目覚めたのだ、鑑定などという意味のないことをこれ以上続ける必要はない」
「じゃが……」
マシュー翁の口から言葉が漏れるのを、テラは聞き逃さなかった。
俺の右手がスッと挙がり、空を指さした。中庭を埋め尽くすほどの大きな魔法陣が、赤黒い光を帯びて出現している。次々に文字が刻まれていく、が……、俺が作っているものではない。俺はあんな、レグルの文字を刻んだ魔法陣を錬成できない。
「ま、魔法を使える竜など聞いたことが」
これまでにないような怯えた表情で、マシュー翁が呟く。
「そりゃそうだ。これは私の力ではない。凌の力を借りている。私自身は殆ど魔法を操れないが、魔法の知識はあるのでね。さぁて、発動するのは時間の問題。いい加減、鑑定を諦めるんだ。さもなくば、この施設を破壊する。一緒に消えてなくなるか、それとも凌の鑑定を諦めるか」
頭が正面を向いていて、上空の魔法陣の字が読めない。“施設の破壊”という文字がチラリと見えたのは間違いないが。
「わ、わかった。もう止めじゃ。中止。今後一切、凌殿の力は鑑定しない。本当に、申し訳ないことをした」
髪の毛のない頭を掻きむしり、マシュー翁は遂に白旗を上げた。
こうなっては、ドリスも他の鑑定士たちも従わざるを得ない。納得はできていないのだろう、ドリスは特に悔しそうに首を横に振っている。
パチンと俺が指を弾くと、魔法陣は跡形もなく消え去った。未完成の魔法陣を不慮の事故ではなく、自分の意思で消し去るなんて。実はテラのヤツ、凄い竜なのか。
わかればいいんだよとばかりに、上から目線で周囲を見渡す俺は、どんな風に見えているのだろうか。中庭の中心部からマシュー翁たちのそばに歩いて行くと、心なしか皆数歩後退った。
「戻るぞ」
俺の声で、テラが言った。
いつもの俺が言ったなら、素直に応じてくれただろうモニカが、なかなかハイと言わない。ノエルも複雑そうな顔をして、こっちを睨み付けている。
「どうした。戻ると言ったのだ。聞こえなかったか」
青ざめている、という言葉がしっくりくるのかもしれない。
俺らしくないセリフを吐く俺を、二人は明らかに、異常だと感じ取っているようだった。