90.古書
無理に動き続けたのが仇となったのか、まともに食事を取ることができたのは次の日の昼飯からだった。モニカの治癒魔法で少しずつ体力は回復してきていたが、やはり栄養は口から取りたいわけで、俺はまだギシギシする身体を引きずって階下のダイニングに降りていった。
モニカの話では、俺は死んだ様に眠っていたらしい。そりゃそうだ。地下牢からやっと出られたと思ったら、突然の戦闘。不意打ちにも程があるというもの。俺だってまだ“こっち”に全部身体を持ってきてから間もないんだし、竜石にも慣れてない。なのに準備運動なしにフルマラソンさせられたんだから、ある意味倒れるべくして倒れたのだ。
しかし、そんな悠長なことを言ってる場合じゃないってのは俺にだってよくわかっている。あの残虐非道な竜が、俺のこんな現状を見たらどう思うか。考えただけでも身震いする。それどころか、もしかしたらかの竜は、全てを見ていてわざと攻撃をしかけてこないんじゃないかと邪推してしまう。
とにかく、無理して倒れて回復まで時間がかかってという悪循環から抜け出さなければ、この先もっとヤバいことになる。それを回避するためにも、マシュー翁が言うところの『己の力を知る必要がある』のではないかと思い始めていた。
「お口に合いましたか?」
食事を済ますと、メイドの一人が頬を赤くして聞いてきた。
「久々に美味しいご飯だった。ありがとう」
レグルノーラに来てからは碌なことがなくて、やっと落ち着いて飯が食えたのだ。優しい、舌触りの良い食事は久々だった。
屋敷には二人のメイドがモニカたちとは別に派遣されていた。年の頃は俺と同じくらい、双子の少女セラとルラは丈長のスカートと大きめのエプロン姿で、中世のメイドを彷彿とさせていた。セラは料理が得意らしく、主に厨房に。ルラは掃除洗濯などを主に担当しているようだった。
住み込みがこの世界では主流らしい。屋敷の中にメイド用として区切られた空間があり、彼女たちはそこで寝起きするのだ。
一つ屋根の下に年上の女性と年下のガキ、それから同い年くらいの少女二人という、如何にもそういうのが好きな人から見たら喜びそうなシチュエーションではあるが、俺は正直、身の置き方に困ってしまってまともに会話が進まない。そもそも、急に救世主として持ち上げられたのが未だに飲み込めず、胸の辺りがもやもやするのだ。
俺が眠りこけている間も、彼女らはモニカと共に懸命に看病してくれたらしかった。時にうなされていたとモニカは言って、休めるうちに休むべきだという助言もくれた。けど、やるべきこと、やらなければいけないことは待ってはくれない。世の中、そういうものらしい。
腹ごしらえを終えてリビングへ行くと、モニカが難しそうな顔をしながらソファに座り、ローテーブルに大きな古い本を置いてゆっくりとページをめくっていた。俺が、ディアナの部下から借りた本だ。
「お食事は済まされたのですね」
モニカはこちらに気付いて本を閉じようとしたが、
「何か、有用なことでも書いてあった?」
俺は彼女の手を止め、一緒に中身を読もうと彼女の隣へと滑り込んだ。
「あ、はい。そうですね。私も語り草でしか知らなかったことが書かれていたものですから」
開いていたのは例の金色竜のページだった。
竜石の力でレグルの文字が読めるようになったのだとしたら読めるかもしれないという、希望的臆測で本を借りたのだ。
前のめりになって本を覗き込むと、モニカはそっと俺の方に本を寄せてくれた。
「昨日、竜化したお姿を拝見したときは、正直戸惑いました。本当に竜と身体を共有していらっしゃるのだと。半竜人は何度か見かけましたが、彼らとは全く違います。竜と同化して、かの白き竜を砂漠の果てに追いやった救世主の話は、私たちレグルノーラの住民にとって身近な昔話でしたが、同等の力を持った方が目の前に居る、そしてそのサポートを命じられたとあれば、やはりそれ相応の覚悟が必要なのだと噛みしめていたのです。ノエルのことは……、本当に申し訳ないとしか言い様がありません。あの子はあの子なりにいろんなものと戦っているのです。私がきちんと止めなければならないのに、なかなか話を聞いてくれなくて」
モニカは肩を落とし、頭を垂れていた。
俺は深くため息を吐き、グルッと室内を見渡したが、周囲にノエルらしい人影はない。
「モニカが謝る必要はないよ。それに、ノエルを責めるつもりもない。信じられなくて当然だと思うし、俺だって未だ受け入れきれてない。迷惑、かけると思うけど、これからよろしく頼める……かな」
「はい……! もちろん!」
沈んでいたモニカの顔が急に明るくなる。俺の手を両手で握り、瞳を潤わせている。
ノエルなら同じセリフを言ったとしても素直には受け入れてくれないんだろうなと考えると、苦笑いしか浮かばない。が、今後のこともあるし、彼ともキッチリ話をしなければ。
「ところで、他のページはどうだった? 何か興味深いことでも書いてあった?」
「はい。えっとですね……」
パラパラと数十ページめくっていくと、年表の様なものか書かれていた。併記されている数字は“こちら”の暦によるものらしい。
今からおよそ三百年前、かの竜が現れたという記述。更にその五十年ほど前、百年ほど前……と、おぼろ気な記録が続く。
「かの竜は、我々人類と共に歴史を歩んできました。“大地は竜と共にある”という言葉があるのですが、これは“かの竜のご機嫌一つでこの世界が消える危険性を孕んでいる”という意味も含んでいて、つまり“できることならば何ごともなく安心して過ごせるよう、極力かの竜には関わるな”という先人たちの教えです」
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≪白き竜は本来存在しないものである。どの種類の竜との交配でも誕生しないことは、研究から明らかとなっており、白き竜がどこで生まれ、どのようにしてこの地に至ったのかは明らかでない。
人語を操り、時に人間の姿に変化する魔法力の高い竜は一握りであり、こうした竜のいずれかから突然変異的に誕生したものではないかと推測されるが、そもそも竜の産卵率は非常に低く検証不能である。
白き竜の恐ろしさはその巨体にある。街を一飲みしてしまうほどの大きな口と、全てを吹き飛ばさんばかりの巨大な羽、森を払い尽くせるほどの長い尾は、出現する度に甚大な被害をもたらした。
記録に残る最古の被害はおよそ一千年前。それまでレグルノーラは広大な森と山々に囲まれた豊かな土地であったが、白き竜は山という山を全て砕き、砂漠を築いたという。但し、砂漠の地質と山の地質は本来全く異なるものであり、地質学的にはあり得ない話であることからして、白き竜の脅威を伝えるための方便ではないかと結論づけられている。
また、白き竜の出現と同時期に、野生動物の一部が魔物化したという調査結果がある。それまで人間の生活範囲を脅かすことのなかった魔物が森に巣くい、居住空間を奪っていった。人間は自らを守るため竜を飼い慣らし始める。従順で賢い竜は人間に従い、共に戦う様になっていった。≫
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「かの竜の登場と共に現れたのが、“干渉者”だという記述もありました」
モニカはまた、数ページ目繰ってその記述を指で示して見せた。
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≪それまで全く別の道を辿ってきた二つの世界が、ある一点において交差すると穴ができる。リアレイトの言葉で“ゲート”と呼ばれる穴は、二つの世界を行き来する力を能力者に与える一方、全く魔法を帯びないリアレイト側の人間にも力を与えた。
力を得たレグル人とリアレイト人はそれぞれの世界を行き来する様になり、互いの文化に干渉し、言葉、生活様式、食文化、建築など多岐にわたって強く影響を及ぼしあってきた。
この穴は何らかの要因がなければ通常開くことはなく、それぞれの世界を守るための見えない膜を破るには相当量の魔力が必要になるため、一説には白き竜が穴を押し広げていると言われている。≫
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“リアレイト”というのは“表”のことだろうか。普段は“表”“裏”としか呼称しないのにも何か理由があるのだろうか。
「それから、さっき見ていたのが救世主様に直接関わりそうなページで……」
元のページに戻る。
金色竜と赤い石を持った人間の挿絵。
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≪金色竜を従えたリアレイトの干渉者は、竜の力をその身に宿し白き竜に立ち向かった。元々魔法に耐性のないリアレイト人にとってこの行為は命に関わるため、レグル人の助言により竜石の力を借りたと言われている。リアレイトの干渉者は、竜の瞳と同じ色の石に力を蓄え、必要に応じ力を解放することで身体への負担を減らした。
これは唯一竜の力を操る方法だとされるが、完全に力を操るまでには相当の時間を要し、この期間は白き竜による破壊行為を防ぐことができなかった。≫
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竜石の力で思ったよりスルスルと文章が頭に入ってきた。なるほど、これまでのことが少しずつだが補完される。この本に寄れば、以前救世主と呼ばれた人物もそれなりに苦労して力を手に入れたということらしい。
気になるのは、その先の記述が何故か黒く塗り潰されてしまっていること。ページをめくって裏のページに透けていないか確認するが、裏移りはしておらず、透かしも効かない。
「この本って、一冊だけ? 同じ本がどこかに保存されている可能性は?」
どうしてもこの先が気になる。
モニカは首を捻り、
「干渉者協会には置いてある可能性がありますけど、もしかしたらこの本自体が協会のものなのかもしれません」
本を一度パタンと閉じて、表紙の裏を確認する。
「あ……、やっぱり協会のものですね。最近文書は大抵デジタル化してしまいますから、もしかしたらデータで確認できるかもしれません。行ってみますか?」
「だな。どうせ鑑定とやらもしてもらわなくちゃいけないようだし、ついでってことで」
俺は本を抱えて立ち上がった。
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「で、どうしてオレも行かなくちゃいけないわけ?」
ノエルは口をとがらせ悪態を吐いた。
昨日の今日で顔を合わせづらかったのだろう、一人で庭を散策していた様だ。
日中帯になり、前日の被害状況が目に見えて明らかになっていた。壊れた家具や割れたガラス窓など、ある程度は魔法で修復した様だったが、倒れた木々や折れた草花は直しようがない。屋敷から外側に向かっていろんなものがなぎ倒されていた。
ノエルは何を考えて庭先に一人でいたのだろうか。
「昨日のことは昨日のこと。救世主様もそうおっしゃってるわ。何より、ディアナ様に頼まれたのだから、単独行動はナシよ」
モニカはそう言いながら、機嫌の悪いノエルを家の中に引っ張ってきた。ばつの悪そうなノエルは、なかなか目を合わさない。そりゃそうだ。やり過ぎたのは本人が一番わかっているだろうし、俺は余計なことを言わない方が良いだろう。
「協会へ飛びます。夜までには戻るわ、セラ、ルラ」
声をかけた先に双子のメイドが居た。
「いってらっしゃいませ」
二人は同時に頭を下げる。
「ホラ、ノエルもこっち」
足元で魔法陣が光る。
俺たちはそのまま干渉者協会へと飛んだ。
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塔から少し離れたビル群の谷間に、キリスト教会風の建物があった。決定的にそれと違うのは、十字架やマリア像がないこと。ステンドグラスの美しい白壁の建物は、まるでそこだけ別次元の様にひっそりと佇んでいた。壁一面、庇ギリギリまで手の凝った草花の彫刻が見受けられた。
辿り着くなりノエルは手を思い切り払ってそっぽを向いた。あくまで無視を決め込んでいるらしい。それはそれで反抗期の子供っぽくて可愛くはある。けど、どうにかして機嫌を直してもらわなければならない。余計なトラブルを生まなければ良いのだが。
協会のドアは開け放たれ、衛兵が一人ずつ、入り口の両側で警備に当たっていた。彼らは俺の顔を見るなり敬礼し、無言で通してくれた。やはり、竜石を見てのことなのだろうか。
入り口からすぐのところで、前日モニカと共に治療をしてくれたドリスという中年女性が待っていた。ふくよかな顔をにんまりとさせ、
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
と奥に案内する。
だだっ広い空間だ。集会でもするのだろうか、奥の方に演台もある。
「マシュー会長がお待ちです」
集会場の横を通り、どんどん歩いて行く。しばらくすると建物から一旦出て、広い中庭の空間になった。ここも何かに使うのだろうか、中心部分には草地だけで、建物に沿う様にして背の低い木がいくつか植えてある程度だ。また屋根がかかり、今度は別棟の内部へ。ここでようやく終わりらしい。木の扉の前でドリスは案内を止めた。
コンコンコンとノックし、
「会長、お連れしました」
と言うと、中から、
「お入りなさい」
と声がする。
「失礼致します」
とドリスが言うのに続いて室内に入っていくと、昨日屋敷に赴いてくれたマシュー翁その人が、執務机に書類を広げて待っていた。
「よくぞいらした、救世主殿。体力は回復したかの」
天井までギッシリと詰まった本棚に囲まれるようにして、マシュー翁はゆっくりと立ち上がった。
「おかげさまで、何とか来られました」
「全快でないにしても、若いだけあって回復力は高そうじゃの。モニカとノエルも、落ち着いたかの」
「はい、何とか」
とモニカが言い、ノエルは無言でそっぽを向いた。
「ま、色々と思うことはあるじゃろうが、それはさておき。さて、なにか大荷物を抱えておるようじゃが」
言われてハッとし、俺は前に進み出て小脇に抱えていた本を差し出した。
「ディアナに借りたのですが、どうやらここの本だと知ったので、お返しに。ところで、この本の一部に黒塗りがしてありました。副本かデータがあれば拝見したいのですが」
マシュー翁は『黒塗り』に反応し、ヒゲをピクリと動かした。本を受け取って机に置き、ゆっくり息を吐くと、
「この本には魔法がかけてあっての。複製はないのじゃ」
と言う。
「魔法、ですか」
「魔法じゃ。読むだけで複製はできない。書き写すこともならない。閲覧のみ。どうしても、そうせざるを得ない理由があっての。詳しくは……後で話そう。先に、鑑定をさせてもらいたいのじゃが、よろしいかの」
マシュー翁は言葉を濁した。やはり、あの黒塗りの部分に何かある様だ。
「いつでも、大丈夫です」
後で話すというのだ、俺もあえてツッコミはしない。
小さくうなずくと、マシュー翁は満足した様にうなずき返してきた。
「ならばドリス、お願いできるかの」
「かしこまりました。では中庭へ。鑑定士が待っています」
ドリスはそう言ってドアを開け、俺たちを中庭へと誘導した。