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9.妙な噂

 ジークの話は衝撃的だった。

 何も知らされず“レグルノーラ”へ飛ばされた俺からしたら、初めてまともに“表と裏の関係”について知った気がした。もちろん、まだまだわからないことはたくさんあるのだけど。

 美桜は相変わらず、必要最低限のことしか喋らない。彼女曰く、『超がつくほど人見知りで話し下手』だそうだが、それだけじゃないはずだ。

 俺が話しかけづらい人間だというのは認める。認めざるを得ない。

 自覚はある。

 目つきは悪いし、愛想も悪い。顔もそれほどよくはない。

 格好つけようとも思わない。ワックスで髪の毛立てたり、制服着崩したり、そういう“モテたいオーラ”を出そうと必死になってる連中と一緒だとは思われたくない。常に、近寄るな俺に構うなと思い続けてきた。

 だからこそ、美桜が俺に近づいてきた理由が、最初はさっぱりわからなかった。

 彼女と“レグルノーラ”へ飛ぶようになって半月以上経つが、相変わらず俺たちの距離は縮まらなかった。

 彼女が『ごめんね』のメモを寄越したことで、俺は一瞬何かを期待してしまったのだが、それは全くの思い過ごしだった。その証拠に、彼女は明くる日も変わらぬ態度で俺と接した。何ごとも起きていないと言わんばかりの彼女に、俺はため息を吐かざるを得なかった。かといって、こちらからアプローチなんてことをしようとは思わないわけで。

 二人の関係はいつまでも平行線のまま。

 つまり、一向に近づく気配はない、ということだ。





□━□━□━□━□━□━□━□





 五月も下旬に近づいてきた雨の日、いつものように放課後の教室で待っていた俺に、美桜は前触れもなくこんなことを言い出した。


「もう、放課後に教室で会うのは止めましょう」


 どういう意味なのか。

 彼女の言葉に、俺の意識は半分消えかけた。


「“あっち”にはもう行けないって、そういうことかよ」


 少しずつレグルノーラに飛ぶ時間が延びてきたところだった。

 集中力如何で飛べる時間が変わってくるということが感覚でわかってきて、“あっち”に行けば自分の思った通りに物を変化させたり、身体を動かしたりすることも、理屈はさて置きできるようになってきたところだった。

 退屈な学校生活も、放課後の美桜とのひととき……とはいっても甘いものではかったが、それがあると思ったからこそ乗り越えられていたというのに。

 突然、何がどうしたのか。

 俺は理解に苦しんだ。


「“あっち”には、今まで通り飛ぶつもりよ。私が言っているのは、放課後のこの時間、二人でコソコソと会って飛ぶのは止めましょうってこと。今の凌なら、私の手を介さなくったって飛ぶことはできるはずよ」


「あ、な……なんだ、そういうこと」


 俺はまた、“レグルノーラ”への“干渉禁止”を告げられたのだとばかり。

 ホッとしたのと同時に、なぜ今そんなことを言い出すのだろうという疑問も生じる。

 美桜は相変わらずの淡々とした口調で、そのセリフの奥には何もないのだと強調しているようにも思えた。それが逆に引っかかった。

 朝からの雨で、教室はいつになくずっしりとした重たい空気に包まれていた。カーテンは開け放されていたものの、室内は薄暗く、そして寒い。しとしとと降る雨の音が教室の中にまで響いた。


「ちなみにさ。今のって、二人で会うこと自体止めようって、そういう意味だったり、する?」


 まさかなと思いながらも、念のために聞いておく。


「何を気にしてるの」


 何を。

 そうきたか。


「いや、もしそういう意味だったとしたら、悲しいかなって」


「私たち二人について“妙な噂”を流している人がいるみたいだから、止めようって言ったのよ。心配しないで。“干渉者”としてのあなたは必要だから。まだ本当の“目覚め”にはほど遠いみたいだけど」


 美桜は眼鏡の奥で目を細めた。

 あまりご機嫌ではないようだ。

 美桜が気にするくらいの“妙な噂”、か。気になるところだが、とても聞けそうな雰囲気にない。


「ほとぼりが冷めるまで、それぞれで“あっち”に飛んだ方がいいわね。もし、一人での行動が不安なら、“あっち”で待ち合わせをする、とか」


「そうしてもらえると、助かるよ」


 こうして俺と美桜の、放課後のひとときは終了した。

 以来、教室ではまともに目すら合わせていない。





□━□━□━□━□━□━□━□





 美桜にとって、俺は“干渉者仲間”以外の何者でもない。

 それは重々承知していたはずだった。

 だが、それまで秘密裏に続いていた放課後の密会が叶わなくなって以降、俺は本当にそれ以上でもそれ以下でもない存在なのだと思い知らされる。

 すぐ前の席で平然と授業を受けている彼女とは普段全く話す機会はない。廊下ですれ違っても、同じ教室にいても、俺は空気と同じように扱われた。彼女は決して俺を見ない。声をかけない、反応しない。ひと月前まではそういう関係だったことも忘れ、俺は一人傷ついた。

 芳野美桜という人物にとって、“裏の世界レグルノーラ”と“干渉者”という存在は、一体どれほど重要なモノなのか。せめて、なぜそれほどまでに“レグルノーラ”にこだわるのか――“干渉者”という特殊能力者であることを除いて――、彼女は話してはくれないだろうか。

 秘密主義なのか。それとも俺のことを信用していないのか。

 後者……、だろうな。間違いない。

 クラスの誰とも親しくすることのない彼女を見ていても、そう思う。

 美桜は結局、誰のことも信用していないのだ。

 信用のない人間には何も話す必要がない。必要なこと以外、何も。

 “裏の世界の干渉者”ジークとは、仲が良さそうだった。彼のような信頼できる大人には、きっと全てを話しているのだろう。“裏”に干渉し続ける理由も、“悪魔”を追う理由も。

 美桜と過ごせなくなった放課後、俺は一人、教室を後にしながらそんなことを考えるようになっていた。





□━□━□━□━□━□━□━□





 くだんの“妙な噂”の正体を俺が知るまで、ほとんど時間はかからなかった。

 社交辞令的な付き合いしかしていないクラス委員の芝山哲弥が、昼休み、廊下で俺を呼び止めた。クセのないストレートのキノコカットで、絵に描いたようなガリ勉眼鏡の芝山は、丸い顔を紅潮させて鼻息荒く言ったのだ。


「よ、芳野さんとは、つつ、つ、付き合ってるの」


「ハァ?」


 まさしく『ハァ』である。

 よりによって、人通りの多い時間帯だった。

 2年の教室がずらっと並ぶ二階の廊下に、芝山の上ずった声が妙に響いた。そして、誰もが俺に注目した。


「付き合ってるって、何で?」


 教室の隅でぼっち飯をかき込んだ後、午後の授業までフラッと教室から出て行くところだった。美桜と放課後の教室で待ち合わせられなくなった分、どこでどう時間を合わせて“あっち”へ行くのか、彼女とこっそり話がしたかったからだ。

 恐らく彼女も独りなのだろう。あの性格だ、他の女子と一緒に過ごしているとは考えにくい。だからって、美桜が昼休みにどこで誰と過ごしているかなど俺は全く知るよしもないのだが。

 こう、考え事をしているときに限って、どうしてこんな根も葉もないことを言われなければならないのか。

 俺はしばし首を傾げ、そして思わず、あっと声を上げた。

 これが、“妙な噂”か。


「ままま毎日、ふ、二人で放課後、何、やってたんだよ。お、おかしいじゃないか。男女が二人っきりで、教室にいるなんて」


 芝山はやたらと興奮している様子で、普段はそんなことはないのだが、やたらとどもっていた。まだ夏とは言えない季節なのに顔中に汗を掻いて、自分より背の高い俺の顔をこれでもかと下から睨み付けてくる。

 誤解だ。

 とでも言えば、納得するか?

 そんなことはないだろう。

 いつぞや、ジークのところで見た、俺と美桜が見つめ合っているように見えたあの画像。二人が愛を深め合っているようにも見えなくはなかった。手を繋いで見つめ合うなんて、何の関係もない二人だと言う方が不自然だ。

 いつの間に目撃されていたのだろう。しかも芝山は“毎日”と言った。目撃されていたのは一日だけじゃない。となると、言い逃れもできなくなってくる。

 廊下は次第にガヤガヤし始める。それどころか、教室の中から窓を開けて廊下をのぞき込む輩まで出てくる。

 学校一と言っても過言ではない美少女と、絡みづらい目つきの悪い“ぼっち”男。この組み合わせに納得できるヤツなど、まずいない。ゼロだ。俺だって未だに納得できていない。

 否定、すべきか。

 放置、すべきか。


「付き合ってると、……したら?」


 否定も肯定も、しない。この作戦は、どうだろう。

 芝山はポカンと口を開け、顔面蒼白でこちらを見上げている。


「ま……まま、まさ、か。よ、よ、芳野さんが、ききき君のこと、すす好きなんて、あり……あり得、ない、あり得ないよ! ば、ばば、馬鹿言うな!」


 馬鹿はお前の方だ。

 勘違いもいいところだとため息をつくが、あの行動が恋仲以外の何に見えるのかと聞かれたら、答えに窮する。

 芝山は美桜のことが好きなんだろう。だから、俺の言葉尻にやたらと噛みつくのだ。そんなのは誰が見ても明らかだった。例えそれが自分の気持ちを暴露することになるのだとしても、彼は彼なりに、彼女と俺の関係をはっきりさせたかったに違いない。

 こいつもこいつで、真面目を絵に描いたような男だ。ダサいし、パッとしない。クラスの中にいる“ぼっち連中”の一人だ。

 本来ならば、俺と同列。同情すべき相手なのかもしれない。

 だが、今回は話が違う。芝山の中で俺は、“完全なる敵”になってしまっている。

 やはり、きちんと否定した方がいいのだろうか。

 しばらく考えているうちに、辺りは更に騒がしくなってきた。どいつもこいつも、口々になにやら喋っている。


「あいつ、芳野と付き合ってるんだって」


「誰」


「ほら、2-Cの珍しい名字の」


「きすみ? 知らないなぁ」


「イケメン? え、違うじゃん」


「趣味悪……」


「芳野さんの彼氏? 嘘でしょ?」


「あの噂、ホントなの?」


「来澄ってさ、何考えてるかわかんなくね?」


 ほら、言いたい放題だ。

 やっぱり、“ぼっち”には“ぼっち”なりの理由ってもんがあるんだよ。

 決して好かれる方じゃないのは知っていた。だけど、本音ってヤツは思っていたよりも酷くグサグサと心に刺さってくる。

 人混みの中で、俺は完全に孤立していた。

 “芳野美桜という美少女を捕まえた珍獣”だとでも、思われているんだろう。

 こうなったら勘違いを逆手にとって、“芳野美桜をとっ捕まえて、付き合えと迫ったのだ”とでも言った方がいいのだろうか。こんな騒ぎになるくらいなら、さっさと肯定でもなんでもしてしまった方が、気が楽だ。

 実際は俺の方が迫られ、灰色の広がる“裏の世界”へ連れて行かれたのだ、などと、誰も信じないだろう。

 嫌な汗をじっとり掻いていた。手のひらが、妙に濡れている。


「あり得なくても、じ……事実、だとしたら、どうするんだよ」


 自分の声が、やたらと大きく耳に響いた。

 四面楚歌、か。

 また、周囲がざわつき始める。


「き……君みたいな男と、芳野さんが付き合うなんて、お、おお、おかしいじゃないか。みんなも、みんなもそう思うだろ? な、なぁ!」


 いきり立った芝山は、口から唾を飛ばしながら握り拳を上下に揺らし、俺の真ん前まで迫ってきた。

 こいつ、どこまで美桜のことを。

 そう思うと、何だか怖いような恐ろしいような、哀れな気持ちになってくる。

 もうすぐ昼休みが終わる頃だ。特別教室で授業のあるクラスのヤツらがなだれ込み、廊下は更にごった返してきた。立ち止まり、何の騒ぎだとこちらを覗ってみたり、それに対し事細かに説明してみたりと、事態は収まるどころか更に膨れあがっていた。

 どうする。

 渇いた喉に唾を押し込めたとき、辺りのざわめきが一斉に収まった。


「芳野さん」


 どこぞの女子が、美桜の名を呼んだ。

 俺に向けられていたはずの視線が、次第に廊下の先へと移動する。

 そこには、いつもの鉄仮面をした美桜が立っていた。


「何の騒ぎ?」


 まさか自分が渦中にいたとは思わぬ美桜は、首を傾げ、眼鏡の端をクイと上げた。

 皆、美桜の表情を覗っている。


「もうすぐ、五時限目でしょう」


 自分の歩みと周囲の視線が同じ早さで動くのをわかっていても、美桜は何食わぬ顔で人垣を抜けてきた。教室の真ん前で立ち往生している俺のこともきちんと視界に入っているはずなのに、彼女は目を合わせようとしない。


「よよ、よ、芳野さん!」


 芝山はガバッと振り返り、両手を広げて、美桜に通せんぼした。


「何、芝山君」


 美桜の足が止まったのを確認して、芝山は手を下ろし肩で大きく息をする。

 そしてこの様子を、何の修羅場だとそこにいた誰もが凝視している。

 気が付けば、廊下に面した他の教室の窓からも、たくさんの顔が覗いていた。今や騒ぎは、2-Cのみならず、このフロアにあるほとんどのクラスに注目されてしまっていたのだ。


「き、君はァ、この、この男と、来澄君と、つつつ、つき……つき……付き合ってるの、か?」


 芝山は、また声を上ずらせた。


「ど、どうな……どうなんだよ」


 そろそろ、予鈴が鳴る。

 早くこの事態を収拾させなきゃならない。それは美桜も、うすうすわかっているはずだ。

 何を喋るのか。

 固唾をのんで見守る中、美桜はゆっくりと息を吐き、眼鏡の奥で目を細めた。


「付き合ってるわよ」


 ――えっ。今、何て。


「付き合ってるわ。男女の仲。いけない?」


 耳を疑った。

 ざわめきが、どよめきに変わる。奇異なものを見るような目線が、次々に刺さってくる。


「み……じゃなかった、芳野さん。突然、何、言い出すんだよ」


 “芳野さん”なんて、久々に口にした。その気持ち悪さで、俺の口は変にひん曲がった。

 芝山は、嘘だとばかりに、俺と美桜の顔を何度も見比べ肩をふるわせている。


「芳野さん、君、おかしいよ! なんで、なんでこんな男と」


 あまりのショックでどもりが消えたか、芝山は美桜に迫る勢いでいたが、彼女はそれをスッと交わし、俺のそばまで何食わぬ顔で歩み寄った。

 相変わらずの無表情。美桜の考えは、全く見えない。


「なんであんなこと」


 俺はボソッと、美桜の耳元で囁いた。

 静かに群衆を見つめる彼女は、心の中に怒りを抱えているように思えたのだ。


「いいじゃない。そう思わせておいた方が、楽だわ」


 美桜はそう小声で話すと、ぐいと俺の肩に手を伸ばし、俺の頭を無理やり自分の顔に近づけた。


「キスでもすれば、信じてもらえる?」


 ほっぺたに、美桜の眼鏡の縁が当たった。未だかつてない、超至近距離。

 夢でも見ているのか。

 俺の心臓は、体験したことがないほど速く、強く、動いている。

 美桜の髪のいい香りが鼻の奥まで広がった。胸は密着しているし、足には太ももが引っ付いている。

 しかも、こんな大勢の前でだ。


「ふ、不潔、不潔だ! 芳野さん、君には……、君には幻滅した!」


 うわぁっとふ抜けた声を出し、芝山は突然走り出した。教室とは逆方向へ、一目散に駆けていく。

 幻滅も何も、芳野美桜とはそういう女だ。

 もっとも、その事実を知っているのは俺だけなのだろうが。

 芝山が去っていくのを確認すると、美桜は早々に俺に絡めていた手を離し、スカートの裾を直した。ブレザーの襟を正し、グルッと首を回す。右、左と、自分の肩を交互に揉みながら、騒ぎの鎮火とともにそれぞれのクラスに戻っていく群衆の背を目で追った。


「面倒ね」


 確かに、面倒だ。

 “妙な噂”――俺と美桜が、付き合っているという噂が、こんな事態に発展するとは。

 美桜としては、早めに手を打ったつもりだったのだろうが、噂の広まるスピードの方が、それよりずっと早かった、ということなのか。


「よかったのか、あんなことまで言って」


 俺も、ネクタイを直しながら、美桜を見下ろした。

 彼女は乱れた髪を手ぐしで直しながら、フッと短くため息をつく。


「いいのよ。これで面倒な連中が近づかなくなるのなら、安いモノよ」


 美桜はそのまま俺を見ることなく、何事もなかったかのように教室へと入っていった。

 美桜と俺を見る周囲の目が、その時を境に急激に変わっていったのは、言うまでもない。


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黄昏のレグルノーラ~災厄の神の子と復活の破壊竜~
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「レグルノーラの悪魔」から20年後のお話です。
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