87.拒絶
“塔きって”と言われて中年ベテラン能力者を思い浮かべるのはやはり無粋というものなのだろうか。目の前の二人は明らかに俺が苦手としている人種だった。
モニカという女性はディアナほど年上ではないが、俺の兄、浩基くらいに見える。スラッとしていて女性にしては肩幅が広い。かといって、美桜のように勝ち気というわけでもなさそうだ。目の下のほくろがチャーミングではある……。黒いストレートの髪に緑色の瞳が美しい。ふと目が合ってウインクされてしまった。気まずい。慌てて視線を逸らす。
ノエルという少年はというと、子供なのに子供らしくない雰囲気で、年の頃十二、三にもかかわらずニコリともせず俺のことを凝視している。短く切った金髪はくせっ毛なのか酷くツンツンとしていて、肌の色はやたらと白く病的にも見えるが、ディアナが言うんだからそれなりに力はあるってことなんだろう。
二人とも、市民服とは一線を画したような個性的な服装をしていた。ディアナもそうだし、過去の世界で一緒に戦った能力者の一部もそうだったが、ある程度力のある人間は市民服を嫌うのか、それとも突出した個を表現するためにわざと市民服を脱ぐのか。いずれにしても、顔を覚えるのが苦手な俺にとっては服装で判別できるというのはある程度ありがたいと思っておこう。
大柄にもかかわらずゴシックロリータ的な服装が好みなのか、モニカは上から下まで黒いメイドさんのような格好だし、ノエルは小さい背丈をカモフラージュしたいのか、丈の長いコートを大人顔負けに羽織っている。
なんて不釣り合いで絡みにくそうな二人なんだ。
……などと、ディアナの前では口が裂けても言えない。言いたいことが山ほどあるのをじっと我慢して無表情で通す。これしかない。
「彼が……、この世界を救う力を得たという干渉者なのですか」
ふんわりとした女性らしい声でモニカが言った。
「服装はともかく、顔だけ見れば救世主と言うより極悪に、――イテッ」
ノエルが不穏な言葉を口走ったところで、間髪入れずにモニカが肘を彼の頭に押しつけていた。丁度モニカの胸ぐらいの高さにノエルの頭があるのだ。
「人は見てくれで決まるもんじゃないって、普段からお前たちも言っているではないか。凌はこう見えても正義感が強いのだよ」
フォローになってないようなことをディアナに平然と言われ、あながち嘘でもないのでスルーする。つまりは、ファンタジー小説なんかで良くあるところの偽勇者的に見える訳か。否定はしないけど。
「まぁこっちへ来い」
ディアナは二人を直ぐそばに呼び寄せた。モニカは軽い足取りで、ノエルは面倒くさそうに歩いてくる。
「本来干渉者というモノは、自分の属する世界に本体を置き、意識を実体化させて別世界に干渉する。これは基礎の基礎だから今更言うまでもないのだろうが、今、凌は少し違った状態にある。元々“表”の人間でありながら、よりによって“表”に己の竜を呼び出し“同化”した。その上、同化した状態でレグルノーラに転移したせいで……、同化が解けなくなった。つまり、完全に身体の中に竜を取り込んでしまったのだ。塔の中でも騒ぎになっていたから、何となくは知っていたのだろうが、要するにそういうこと。今は竜石で力を抑えているから人間の姿でいられるが、その身体も意識体ではない。実体なのだ。今の状態では“表”に帰ることも叶わない。しばしの間、彼をサポートしてくれるか」
ディアナにしては丁寧に、かいつまんで俺のことを紹介してくれた。
ふぅんと、まずはノエルが声を出して、俺の額をまじまじと覗いている。そしてよりによって、手を伸ばし――。
「ちょ、止めろよ」
危険を察知し、身体を引いた。
「ウェッ……! なんだこれ、本物の目みたいだ」
ノエルのひと言に、どういうことなのか理解できず目をウロウロさせていると、
「痛覚も視覚もある。触られたら危ないから瞬きだってする」
ディアナがとんでもないことを言い出し、俺は唖然とした。
「え、ちょっと待って。ただ石をはめ込んだだけじゃなくて、本当に目として機能するってこと?」
「さっきそう話しただろう。『第三の目として』と」
何かおかしいことでもとディアナは首を傾げた。
おかしいことだらけだ!
地下牢では暗くてハッキリと見えなかったが、眼ン玉が三つに増えたような状態ってことだろ。そんなんじゃ、“表”に戻りたくても戻れない。戻ったとしても某巨匠の漫画みたいにデカい絆創膏貼ってなきゃ化け物扱いだし。しかも『脳と繋いで』とか『瞬きもする』とか恐ろしいことも言っていたようだから、指でポロッと外せる代物じゃないってわけで。本当にやられたい放題だ。
頭を抱え、自暴自棄になりながら、
「もうどうでもいいよ、話進めて」
と力なく言ったのだが、俺の気持ちは一切伝わっていない様子。
ディアナは、よくわからんが続けるぞとばかりに、話を戻した。
「“表”に戻れないということは、生活する場所が必要だということ。戸建ての宿舎に空きがあっただろう。事務の方で鍵を持っている。悪いが二人には、しばらくの間彼と同居してもらおうと思う。勝手の知らない世界に一人放り投げることもできまい。飯の世話や身の回りのことは別に家政婦を派遣する」
「え? 男性と一つ屋根の下で、ですか?」
モニカがわっと手で顔を覆った。
「二人ともかなりの年下。もしかして、お前の守備範囲だったか。それとも、凌の方がモニカを襲ったりは」
「ないです」
俺もモニカも、同じタイミングでピシャリと言った。
「ならば問題なかろう。ま、間違いがあったらあったで面白そうだがねぇ。最近の若いもんは冒険すら拒むから面白くない」
どんな冒険だと突っ込みたくもなるが、話がややこしくなるのでグッと堪える。
「ノエルも言いたいことはあるだろうが、これも経験のウチだと思って協力し給えよ。私はお前を買っているのだから」
「わ、わかってます」
口をとがらせ、そっぽを向くノエルの顔が少し赤い。
「森が、また消えたらしいのだよ」
ソファに身を委ね、紫煙を吐き出しながら、ディアナは唐突に言った。
「時空嵐は別名を“竜のため息”と言ってね、かの竜がこの世界の滅亡を考える度に巻き起こるのだと……、そう伝えられてきた。実際、かの竜の動きが活発になってきてから、どんどん森は削られていった。これだけ頻発するとなると、本当に消えるのは森だけなのかと心配になってくるほどだ。キャンプの近くでも森が削られたというし、予断を許さない状況になってきているというのに間違いはない。私やこの世界のために力を注いでくれている能力者たちは、とにかく都市部へのダメージだけは避けなければと必死に結界を張り続けているが、それだっていつまで持つことやら。そういった意味でも、この世界は窮している。さっさとかの竜を撃退し、悪魔を倒し、安心して都市部で暮らせるようにすることが必要不可欠なのさ」
全てを呑み込む黒い嵐――巻き込まれ過去の世界に飛んだことを思い出すと背筋が凍る。もし仮にあのキャンプが根こそぎ時空嵐に呑まれたらとんでもないことになる。
「かの竜は何故世界を滅ぼそうと? 自分が生きる世界がなくなってしまったら、行き場所なんてどこにもなくなってしまうってのに」
俺が言うと、モニカとノエルも僅かながらうなずいていた。
「それだけどね」
ディアナはまた、ゆっくりと紫煙を吐いた。
「よく、わからないのだ。どうやら長い年月を生きている竜らしいから、その長い一生の中で何かしら切っ掛けのようなモノはあったんだろうけどね。記録を辿るにも限界がある」
「『いずれ“表”と“裏”の区別が付かなくなる』って……聞いたことは?」
恐る恐る尋ねると、ディアナはビクンと反応してキセルを口から離した。
「なんだ……それは」
「テラが言ってたんだ。昔そういう話を聞いたらしい。そのとき、かの竜だけは『その混沌を見てみたい』と言ったんだと。もし、だけど。もし仮にそれが本当だったとして、かの竜がこの世界を滅ぼそうとしているのは、“表”と“裏”を融合させようとしているから……なんてことは、ないよな。あんな巨大な竜が住めるような場所、“表”にはないし」
「ないなら作れば良いという考えもある。それを実現させないためにも、どうにかして“裏”でかの竜を倒さねばならない。場合によっては危険を冒すことになるかもしれないね……」
ディアナはそう言って、俺たちから目を逸らした。
心なしか、前より少し、身体が細くなっているような気がしてならなかった。
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「気に入らないな」
ディアナの部屋を出るなり、開口一番ノエルが言った。
子供にそんなことを言われても正直返答に困る。苦い顔をしていると、隣でモニカが、
「気に入る気に入らないで判断しているウチは子供よ」
と笑った。
「うるさいな。第一、救世主と言うからにはもっとシャンとしたヤツに違いないと思うじゃないか。それがだよ。頼りがいがあるのかどうかさえ怪しい悪人面だなんて、納得がいかないね。ディアナ様が言うように、本当に竜の力なんか閉じ込めているのかも怪しい。実戦経験がどんなもんか知らないけど、かの竜を倒せるような力を持っているのかどうかわかったもんじゃないと思うよ」
両手を腰に当て、ノエルはさも偉そうにに突っかかってくる。
「コラ、あなたって子は。失礼よ。初対面なのに」
モニカが見かねて注意するも、ノエルは全く態度を変えようとはしなかった。
俺は分厚い本を片手に抱えたまま、もう片方の手で頭をさすった。
「あぁ、俺自身、自分にそんな力があるのかどうかと疑ってるくらいだから、お気遣いなく。えっと……、モニカ、とノエル。改めてよろしく頼むよ。俺のことは適当に呼んでくれて構わないから」
「んじゃ、“悪人面”って呼ぶよ」
「ノエル!」
ハハ……。“悪人面”、ねぇ……。
生意気盛りの少年が何故に“塔きっての能力者”なのかも気になるところだが、俺の認識なんてそんな程度だよなと思うと少し落ち込む。
ため息を吐き肩を落としていると、廊下の両脇に並んだ事務室の一つから女性が一人現れた。さっき廊下で書類を広げてしまった彼女だ。
「リョウ様、モニカ様、ノエル様。ディアナ様より鍵をお渡しするようにと言付けを預かっております」
女性は恥ずかしそうに顔を赤らめて、震える手で俺に鍵と紙を渡してきた。
「ありがとう」
軽く礼を言うと、女性は深々と頭を下げて足早に事務室に戻っていった。
なんだろう。一般人と能力者の態度の差が激しい。もしかして、能力者には力の不安定さが見透かされているのだろうか。
「地図、貸していただけますか」
モニカに言われ、紙を渡す。どうやら、塔から宿舎までの簡易地図だったようだ。公園通りを右手にしばらく行くと、塔で働く人たち専用の宿舎があるらしい。木々に囲まれ、ちょっとした訓練施設も併設されている。宿舎は集合住宅が二つと戸建てが八つあるようだが、戸建ての方はまるで別荘のように広い敷地に囲まれている。奥から数えて二つ目のところに赤で丸印が書いてあった。
「待遇が違いますね、さすがは救世主様」
地図を見て、モニカはため息を吐いた。
「私たちなど集合住宅が精一杯なのに。戸建ては余程の肩書きの人しか入れないんですよ。私は近づくのさえ初めてで……ドキドキしますね」
ディアナなりに気を遣ってくれた、ということで良いんだよな。
「近道しましょう」
モニカはニコッと笑い、足元に魔法陣を描き始めた。二重円の真ん中には細かい星模様が沢山ある。なかなかに可愛らしいデザインだ。レグル文字で移動先を書き込む。
――“公園通り宿舎二号橙の館へ”
あれ。読める。
「手を」
モニカが差し出した手に、そっと手を乗せる。
「はい、ノエルも」
俺が触ったのとは逆の手に、ノエルも触る。
魔法陣が光り輝き、俺たちは吸い込まれるように転移した。
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公園の森に隠れるように配置された宿舎からは、白く高くそびえる塔と、背の高いビルのてっぺんくらいしか見えなかった。まるで小さい団地みたいな不思議な空間で、プライバシーに配慮しているのか、戸建て宿舎は特に背の高い木々や塀で囲まれていた。
虹色をイメージしたと思われる宿舎は、赤、橙、黄、黄緑、緑、青、藍、紫と八つの色の名前が付けられていた。灰色のイメージしかないレグルノーラに虹の概念があるのかと不思議にも思えたが、プリズムなんかもあるのだろうし、彼らの身に着けている衣服や様々な乗り物、食べ物などの色は“表”と違わぬ鮮やかさなわけだから、気にするほどのことではないのかもしれない。
西ヨーロッパを思わせる落ち着いた橙色の壁と赤レンガの屋根は、きっと日の光が差したらもっと美しいだろうに、相変わらずの曇天の上、おそらく日が落ちてきていて少し薄暗くなってしまった状態ではなんだか寂しげにも見えた。
モニカの主導で中に入り、広いリビングダイニングにたどり着くと、ノエルは俺より先に大きめのソファに体を預けた。天井を仰ぎ見て、年寄りのように長いため息をつくあたり、本当に可愛くない。
借りた本をローテーブルに置いて、肩の凝りをほぐしながら、ぐるっと室内を見渡した。
備え付けの家具はどう考えても高そうなものばかり。一時的とはいえ、ここで生活することになるのかと思うと、気が滅入る。
「必要なものは各々持ってくるとして、部屋を決めたり、生活するうえでの最低限のルールを決めたりする必要はありますよ」
年長者らしく、モニカは俺とノエルに話しかけてきた。
「救世主様、ご自分の身の回りのもので必要なものはいかがなさいますか」
「――ブッ。きゅ、“救世主様”って! モニカはこの悪人面をそう呼ぶつもりかよ」
ソファの上でノエルが盛大に噴き出した。
「いけませんか」
モニカが眉をヒクヒクさせ、ノエルを睨み付ける。
「何にもしないウチから“救世主”だなんておこがましい。せめて数体半竜人を倒すだとか、ダークアイを殲滅させるだとか、そういう功績を作ってから名乗って欲しいと思うけどね。ディアナ様の手前、あれ以上言えなかったけど、オレはこの悪人面のこと全然信用してないんだ。モニカだって、半信半疑なんだろ。媚びる必要はないと思うけど」
言いたいことはよく分かる。が、俺は自分から名乗ったことは一度もないわけで。などと今のノエルに言ったところで、理解などされないだろう。
わかっていたから俺は何一つ言い返さなかったのだが、モニカはカチンときたらしい。ノエルの真ん前に仁王立ちになり、腕組みして見下ろしている。
「そういう言い方は良くないと思います。あなたがいくら塔で一二を争う能力を持っていたとしても、他人を侮辱するような物言いは賢明ではありませんよ。謝りなさい、ノエル」
「うるさいなぁ。そうやって良い子ぶる方が賢明じゃないと思うけど? 塔の権力者たちの前じゃないんだからさ。思ったことを思った通りに口にすればいいじゃないか。他人のご機嫌を伺うような真似、悪いけどオレにはできないね。信用できないんだから信用できないって態度で示してんだよ。本当に力があるってんならさ。そこの悪人面、オレと勝負しろよ。それでオレがぐうの音も出ないようだったら、今度こそ信用してやる。膝を折って忠誠を誓ってやろうじゃないか」
「あ……なた、ねぇ!」
確かディアナには、オレが暴走したときのストッパー的な人物をとお願いしたような気がするんだけど。それに、『大事な“救世主様”に粗相などないようにしなくては』って言ってたような気が。あれ……? 気のせい?
あんまり考えたくなかったこの展開。俺は明後日の方向を見て知らんぷりを決め込もうとしたんだが、当然そういう風にはいかないようで。
ソファでふんぞり返っていたノエルが、いつの間にか真ん前にいて、凄い剣幕で突っかかってきた。
「その肩書きが気にくわないって言ってるんだ。それともアレか。オレには勝てないから勝負はしないってことでいいんだな?」
め、面倒くさい。とんでもないトラブルメーカー押しつけて来やがったな、ディアナの奴……!
「だ、誰もそんなことは言ってないだろ。もうちょっと温和に」
「なれないね。温和に? ハンッ。馬鹿馬鹿しい。この世界の運命を預ける人間がどんなかハッキリとした力も示されないうちに、どうやって納得できるかって言ってるんだ。竜と同化した力……それが本当だとしたら何故地下牢に大人しく閉じ込められてたんだ? 額の竜石も、腕の刺青も仰々しいだけの単なる飾りなんだろ。ディアナ様は騙されてる。こんな奴が居なくったって、塔の力だけでかの竜を止めることは可能なはずだ……!」
幼いなりにも、ノエルは確固たるプライドを秘めている。彼にとっては、どこの馬の骨ともわからない男に仕えること自体、屈辱に違いない。
面倒なことは嫌いだし、話し合いで解決できるならそれに越したことはないんだが。
ディアナの手前、しっかりと自分の力を示す必要もありそうだ。
「全然、気は進まないんだけど」
俺は深くため息をして、ノエルの目を見た。彼は真剣だ。真剣に、俺に嫌悪感を抱いている。
「それで納得するなら、受けて立つしかない、か」
諦め半分に言ったのがまた、ノエルの逆鱗に触れた。
「そういう態度がムカつくって言ってるんだ。表に出ろ……!」
おいおい、嘘だろ。マジでやるのか。
でもなんか、既視感がある。これは確か、砂漠の帆船でも似たようなシチュエーションに。
なんでこう、俺って奴は面倒なことに巻き込まれていくんだ。
バリンと、庭に続く掃き出しの窓が勢いよく割れた。いつの間にかノエルの手には短めの杖が握られている。
コイツは本格的にヤバい。
「聞こえなかったか。表に出ろ」
ノエルは俺を蔑んだように睨み付けていた。